88 正使として
「お館様のところへ行ってほしい」
また、そんな、と言いかけてやめた。
総帥ハルニナは真剣な顔。
これまで見たこともないほど切迫した目。
エメラルド色の瞳は潤んでさえいる。
「私の正使として」
すでに、お館様は支援要員を派遣してくれている。
地上から土を運んでくれているのは、ほぼ妖怪連。
強力のものが三十名ほど来てくれている。
でも、もう最後の手段を考えておかないと。
「これを渡してほしい。内容は」
「聞いていいのか?」
「もちろん。私の正使なんだから」
コアYDは、壊滅的被害を受けている。
事態収拾のめどは立たない。
ついては、一時的に、PHルアリアンの拠点を、妖怪の村に設置させてもらえないだろうか。
「ということ」
「なんと!」
「しかたがない。カニとは抗争中だし、UDに移転するわけにもいかないし」
拠点がないのは絶対に困る、とのことだった。
平時ならいざ知らず、今はカニとの紛争状態。
かといって、どこかのビルを急遽借りるというのも現実的ではない。
そもそも、誰の名義で借りるのか。
「正使として、ミリッサが最適任。なにしろ、信頼が厚いみたいだし」
信頼?
そんな感情、妖怪の棟梁にあるのだろうか。
ランのような小娘でもあるまいに。
信用されていると感じることもあるが。
「念のため言っとくけど、お館様は今、取り込み中。理由は知らないけど」
ふう!
殺気立った妖怪の親玉に、居候させてくれと言いに行くのだな。
「人員を派遣してくれてるけど、それだって、お館様は無理してるはず。そこんとこ、よろしく。で、お館様は、承諾してくれるとしても絶対に見返りを要求してくる。妖怪だから、そういうところ、遠慮ないしシンプル思考。ミリッサもよく知ってる通り」
「どうすればいい?」
「そうねえ。見返りの質と量によるよね」
「そりゃそうだろ」
「ミリッサに任せる」
「いやいやいや! それは無理だろ。せめてヘッジホッグとか」
と、同行者としてPHルアリアンの幹部の名を出した。
まったく親しくはないが知らない仲ではない。
しかも、ハルニナによれば、懐刀。
総帥に次ぐ立場。
いわば軍師。参謀役。
「ダメなのよ。彼は妖怪嫌いだから。万一」
「わかったよ。でも、もう少し、事前にケースを想定してだな」
「そんな時間ない。わかるでしょ。ヲキさんを案内役に付けるから」
既にそのヲキ。
後ろに立っていた。
昨年、ここYDで潜伏生活をしていた時に世話になった初老の男性。
完全に信頼できる博識の人物。
「あ、ヲキさん、お久しぶりです。よろしくお願いします」
ヲキは、うむと頷いてから、ニコ、と笑った。
「こちらの希望は、そこにも書いてるけど、小さな小屋、三棟でいい。食料その他、一切、お構いしてもらう必要はない。ただ、飲み水だけは使わせてほしい。借家期限は取り急ぎ三か月。以降は自動更新」
はいはい。
なるようになれ。
いや、そんな気構えではいけない。
ハルニナの窮地を救わねば。
この娘からの信頼。
大切な大切な卒業生。
応えなければ。
だが、そうやすやすとお館様に謁見できるものなのだろうか。
そもそも、村に入る結界、お屋敷に入る結界、通っていけるものだろうか。
不安は胸の中に押し込むしかない。
そこらはヲキに任せればいいのかもしれない。




