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61 人を騙し続けるのは嫌

「さっきの話の続き、しようか」


 ココミクが目を輝かせて語った話。


 本質を、っていう先生のお話。

 その通りだと思います。

 私、嫌なんです。

 人を騙し続けるのは。


 パワースポットというのは、ちょっと違うのかなと。

 ここ、昔の記録にあるのは、室町時代の絵図。

 正五角形の森があって、その中央に建物が建っているのが見て取れます。

 江戸時代初期になると正五角形はそのままなんですけど、建物はなくなり、ただ、しょぼしょぼっと木が生えているだけ。

 徳川に焼き払われたのか、真田丸築造の時に木を切ったのか、わかりません。

 それ以降、徐々に上の土が剥がれ落ちてたみたいです。

 何に使われていた土地なのか、わかりません。

 江戸末期の絵では、ほぼ裸地になっていて、木がないことで、内部の様子も描かれています。

 真ん中の根本道場を中心にして、五つの穴。

 そう、今の位置ですね。 


 それから時代は下って、太平洋戦争のときには森になっていて、防空壕になってたそうです。

 この時代になると、敷地の正五角形は崩れ、市街地に侵食されてほぼ今の形に。

 これ、私の曽祖父から祖父が聞いてた話です。



 問題は、そこからなんです。


 曽祖父が言い出したそうなんです。

 気場きばって。

 つまり、上町気場ペンタゴン。

 戦後すぐ、そう銘打って、宣伝したそうなんです。

 地名というか、昔から孤庭台という名前があるのに。

 孤庭台の方がずっといいと思うんですけど、昔の人のセンスはわかりません。


 当時はまだ、土が被っていて、穴だけ開いてたそうなんです。空襲でも木々は少しは焼けましたけど、残っていたようです。

 大阪は焼け野原でしたから、貴重な緑地だったのかもしれません。

 気場っていうのも、焼けなかった、そのことに便乗したのかもしれません。

 幸運だ、力がある、ってことでしょうね。

 穴の入口で、見学料と称して、お金を取ってたそうです。


 それで、ここからは少しお話ししづらいんですけど、祖父がこの上町気場をもっと売り出したいと、思い切ったことを始めたんです。

 まず、高い塀を作り、敷地全体を有料化しました。

 それから、いわゆるヒストリーを作ったんですね。


 ご覧になりました?

 受付のところに案内板があったでしょう。

 そこに書いてあります。

 スサノオノミコトが降臨された地とされ、云々。

 天女伝承の地でもある、云々。

 菅原道真公が九州へ向かわれるとき、ここに逗留されたとか。


 これ、みんな、祖父の作り話です。



 パワースポット、これは間違いなくそうだと思います。

 でも、本質の、というか、大本の歴史ではなく、受けのいい作り話で事実を捻じ曲げてしまっては、いけないと思うんです。

 嘘を言いふらすのは、嫌です。


 かといって、じゃ、その事実としての歴史は、というと、何もわかりません。

 大昔から、きっとお社であろうと思われる建物が、この小高い丘に建っていた、ということだけ。

 どなたがお祀りされていたのか、いつからなのか、誰の手によって。

 なにも。

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