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35 いわゆる顔パスというやつ

 水曜日、今期二回目の授業の日。

 学期が始まってしばらくは、新しい学生を授業に迎え、名前と顔を覚え……。


 最初から親しく思ってくれる学生ばかりではない。

 いつまでも警戒心を解かない娘、これはまだいい。

 教師という者を馬鹿にしている子、背伸びしすぎて上から目線を貫こうとする子。

 そんな彼女たちにも、いつかは心を開いてもらって、信頼してもらって、あわよくば好きになってもらって、勉学に熱意を持ってもらいたい。

 できれば、十五回の最終授業後、打ち上げと称して、学食でお茶パーティくらい開いてくれるような関係が築ければ。


 こだわりを捨て、あっさりした授業でよいなら気持ちはかなり楽なのに。

 己の矜持がそれを許さない。

 学期の始まりは心に重荷を感じるのも事実。


 大阪環状線の福島駅から一駅、大阪で阪急電車に乗り換え、御影駅からはタクシー。

 大学まで歩けなくはないが、坂道二十分の登り。

 残暑の季節、かなり汗をかく。

 汗をかいたまま授業に臨むことはできない。相手はうら若き娘たち。

 それだけで評価は地に落ち、思い描く理想の関係は夢のまた夢となる。



 正門前でタクシーを降りた。

 大学が借り上げているぎゅうぎゅう詰めの学生用送迎バスもちょうど到着。

 おはよう、という声が周りから聞こえてくる。

 守衛が、チラと目を向けてきて、遠くからでもはっきりわかる会釈をよこしてきた。

 手招きされた。


 大学構内に入る場所はこの正門のみ。

 裏山からも入れないことはないかもしれないが、獣ならぬ人の身では至難。そんな物好きはいない。

 結果、守衛に見られず構内に入ることはできない。

 女子大である。

 特に男性には厳しい目が向けられるし、教師陣であっても、入構時に身分証の提示と全身スキャンが求められる。

 とはいえ、スキャンは守衛室手前のエリアで自動的に行われ、身分証提示は、守衛との親密度によって対応は異なる。

 旧知となれば、いわゆる顔パスというやつだ。



「まだまだ暑いですなあ。先生、ちょっと」


 なにか、話が?

 いつもの?


 守衛、ライトウェイ。

 六十過ぎにしては体格のいい男。

 短髪がすがすがしい。

 守衛として大学を守るだけでなく、植物好きが高じて、構内の植栽管理もこの男の手による。大学の裏山、紅焔山の見回りにも精を出している

 

「ちょっと気になってることがありましてね」


 こんなことを言い出すのは、よほどのことだろう。

 いつもは、紅焔山にアケビの実を見つけたとか、山から侵入してきた竹を駆除する方法はないだろうか、といった話題なのに、違うようだ。


 だが、あまり時間はない。

 講師控室で大学からの配布物や手紙を確認し、出席簿にサインするのはいつものことだが、今日は、授業準備室にも寄って、人数分のカラーコピーをしなくてはならない。

 授業準備室に入れば、ガリに挨拶をしないわけにもいかない。


「放課後、寄りますよ」

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