29 あれ、調べた方がいいかな
京都競馬第一レースのパドックが始まる前のファンサービス。
引退馬コイノメバエが、パドックに出てきて、ファンの前に首を伸ばしている。
「ねえ、コイノメバエ。覚えてるよ。あんたが桜花賞で五着だった時のこと。ボク、買ってたし。何年前かな」
と、ジンがすでに真っ白になった芦毛の馬体、首元あたりを撫でている。
聞かなかったことにしよう。
何年前、ということはR&Hに入部する前。
馬券を買える年齢に達していなかったかもしれないが、ここでそれを追求する意味はない。
ジンの年齢など聞けるはずもないし、少年っぽさとは裏腹に、もしかすると三十前ってこともあり得るわけで。
大学生だからと言って、二十歳前後とは限らない。
ジンとアイボリーはいつも一緒に行動する。
上背のあるアイボリーと小柄なジン。
いつものようにジンは活動的な服装。今日もショートパンツ。
アイボリーはと言えば、こちらもいつも通り白っぽいワンピース姿。
二人とも、今日はスニーカー。
スタンドとパドックを何往復もするわけだから、当然の足元。
コイノメバエが誘導の準備のために引き上げてから、パドックが始まるまでの手持無沙汰な時間。
まだ、三年生は誰も来ない。
「あ、ハルニナ先輩だ」
今年の卒業生、ハルニナが歩いてくるのが見えた。
彼女は遠くからでもよくわかる。
どんな意味があるのか聞いていないが、常に、大学でも競馬場でも、黄色いローブ姿。
しかもスタイルのいい長身に金色ロングヘア。
透き通るようなエメラルドの瞳。
美白モデルとは彼女のことというほどの美人。
いやでも人目を引く。
「おはよ」
「おはようございます!」
卒業すれば、先輩と呼ぼうが、丁寧な言葉を使おうがお構いなし。
「あなたたち、いつも早いわね」
「はい! フルにエンジョイですから」
「ミリッサ、今日、午前中くらいは一緒にいようかな、って」
ハルニナも、ミリッサと呼び捨てにする。
大学内では先生と呼んでいたが、一歩外に出れば、ミリッサ。
ジンは、ハルニナを先輩と呼び、先生をミリッサと呼び捨てにするのもおかしな具合だが、それはそれで親しみの表現として受け取っておけばいい。
「ミリッサ、ハルニナ先輩、ちょっとだけ、相談に乗ってくれるかな」
ジンの相談、がなにか、すぐに分かった。
きっと、あれだ。
「ブルータグの頼み、あ、頼みじゃないんだけど、あの自殺した人。理由を知りたいって、あれ、調べた方がいいのかな、なんて」
やはりそうだ。
ジンは、言葉遣いにふさわしくとても利発で、かつやさしい心の持ち主。
あんな風に言われると、自分にできることはしよう、という気になってしまうタチ。
昨年の出来事で、それは十分に知っている。
きっと、気にしてるだろうな、と思っていた。
「また、馬が教えてくれる、なんて変なこと言わないでよ」
と、ハルニナをからかうのも忘れていないが。
ジンがハルニナに事情を説明している。
さて、どうしたものか。
あてにするなよ、と、ブルータグには答えてある。
ということは、できることはする、と同じ。
京都府警には昨年の事件で知り合った刑事がいる。しかし、今回は大阪府警の管轄。
大阪府警にも知り合いがいるにはいる。いや、いた。
都合のいいことに高校の同級生の。
ただ、残念ながらここ二十年ばかり、会ったことがない。
しかも、女性。
今まだ、現役かどうかも知らない。
その薄い薄い伝手を頼って、聞いてみようとは思う。
それだけのこと。
そう説明すれば、ブルータグは納得するだろう。
ジンも、それならそれで、と済ますことができるだろう。
しかし、この話はあとだ。
第一レースのパドックが始まる。




