284 ニュアンスだけでも
エヌケイビーの個室に向かった。
病室とはいえ、テーブルも設えられた快適な部屋。
向かい合って座った。
「どうだ、体調は」
返事がない。
ならば。
「ヤタブーやココミクはオマエがここにいることを知らない。俺でよければ、何か伝えようか?」
エヌケイビーが目を挙げた。
やつれた感じはあるが、穏やかな目だ。
高校時代の面影が見えたような気がした。
「手紙を書くなら、便箋もペンも持ってきた」
「すまんな」
エヌケイビーの目が緩んだ。
便箋を前にして、考え込んでいるのか、手は動かない。
「長くなければ、聞いてもいいけど。書くなら、封筒に入れて封をすればいい」
「ああ。いろいろ、すまんな。ちょっと待ってくれ」
「ゆっくりでいいぞ」
やがて、エヌケイビーがペンを動かし始めた。
手元を見ないようにして、エヌケイビーの頭の上、壁に貼られたカレンダーを眺めた。
山の紅葉の写真を背景に、お館様のお言葉だろうか、「必要以上に大声で話す者には注意せよ、ささやきは怪しめ」と書かれてある。
エヌケイビーが顔をあげた。
「書き言葉にするのは難しいな。これ渡してくれるか」
「わかった」
「それで、すまんが、口頭でも伝えてくれないか。ニュアンスだけでもいい」
「いいぞ」
ミリッサ君、女房、どう見えた?
体調、悪そうだったろ。
精神的なものなんだ。
原因は、俺にあるんだ。
ひょんなところで、とんでもない女にとっ捕まったんだ。
俺がだよ。
嵌められたんだ。
あの女、うちのやつに徹底的に嫌がらせを始めやがった。
何度も何度も。
やめろと言っても、聞かない。
この歳になって、そんなこと、警察に通報するわけにもいかず。
俺は女房を、そう、高校時代からずっと好きだ。
愛してる。
今も。
ずっと。
知ってるだろ。
女房が疑心暗鬼になって、おかしくなって、娘も俺を避けるようになってしまった。
女房との関係も、娘との関係も、もう昔に戻らないかもしれない。
でも、俺は家族を守らなくちゃいけない。
それしかないんだ。
なあ、ミリッサ君。
うまく伝えてくれないか。
いい言葉は浮かばないが、この三十年、女房を愛し続けてるんだ。
頼む。
うまく伝えてほしい。
ココミクにも。
「……わかった」
とは応えたものの、うのみにはできない内容だった。
浮気した、こじれた、妻に知られた、ということではないか。
これをヤタブーやココミクに弁明しろと。
ばかげている。あほらしい。
「今の話、美化しすぎてないか?」
「いいや。そのままだ」
「……」
「知っての通り、僕は」
エヌケイビーはここで言葉を切って目を瞑った。
「いや、止めておくよ。話せる内容じゃない。でも、僕の気持ち、本当なんだ」
もういいだろう。
会うのはこれが最後かもしれない。
名残惜しさがないと言えば違うような気もするが、かといって、友としての親しみはない。
「じゃ、元気でな」
と言って、エヌケイビーは自分から立ち上がった。
「そっちもな」
こんな面談にどんな意味があるというのか。
ハルニナの頼みとはいえ、どんな感想を伝えればいいのか、ピンとこなかった。




