前世の記憶
「前世って信じますか?」
次に彼女と会った帰り際、彼女に質問した。
「私はあんまり前世とかは信じないかなぁ…」
少し動揺したように話す彼女に、今まで私が経験した不思議な話をした。
あなたには霊感があるようなことを今まで何回かいろんな人に言われたことはあったが、自覚が無かった。
けれど、闘病中に身体的にも精神的にも地獄を経験していた時、ふと思い出したことがあった。
おそらく一番新しい前世の記憶。
戦争で夫を亡くした。
まだ十代だったかもしれない。
子供がいた。赤ん坊だった。
子供が泣けば、姑に子供の世話もろくにできないのかと牛小屋のような不衛生なところに入れられ、満足な食事もさせてもらえなかった。
姑に毎日いびられる日が続いた。
舅からは性的な虐待もあったかもしれない。
耐えられなかった。
あの人が居てくれたらと毎日大好きな夫を想って泣いた。
帰る家も無かった。
嫁いだ先は実家から離れていて、周りに頼れる人もいなかった。
子供が夜泣きする日は小屋から抜け出して近くの神社に行くのだけが心の支えだった。
でもそれも長くは続かない。
産後の肥立ちも悪く、不衛生で栄養も取れず、毎日泣いて過ごす私は生きることを諦めてしまった。自分を諦めてしまった。
そのうち泣くこともできなくなった。
絶望も感じなくなった。
心が壊れてしまった。
子供と夜の海へ身投げした。
なかなか死ねなかった。もがき苦しむ中、生きることへ這い上がれなかった。
やっと死ねた後、後悔した。
自分の子供を殺したこと。
もしあの時、ただ生きてさえいたら。
もっと自分を信じていたら。
もっと神仏を信じれていたら。
事態は好転して、子供を学校にも行かせれる日が来たかもしれない。
「お義母さん、私が居てよかったでしょ!」と笑える日が来たかもしれない。
姑も舅も早くに死んだかもしれない。
ただ生きてさえいたら。
そして、その時の姑と舅が今世の両親であることを思い出した。
今世もひどい親だった。
気に入らないことがあれば怒鳴られて殴られて、身体を触られることもあった。
子供の頃から両親のことを大切に思えなかった。愛せなかった。そのことでずっと自分を責めてきた。
前世のことが分かった時に無理に愛さなくてもいい理由が分かった。
本当に人間の人生にカルマがあることも分かった。
今世はどんなことがあっても生きなければいけない。
死ねないなら生きるしかない。
どんな手を使っても。
病気になる数年前、前世の旦那さんや子供だった人と今世も会ったことがある。
それを思い出したのもその人たちと完全に疎遠になってからだった。
旦那さんだった人は男に生まれた不幸はもう懲り懲りだと今世は女性を選んでいた。
ずっとそばでいられるように、今世はずっと力になれるように前世子供だった女性と同い年で親友になっている。
私は自殺をした。子供を殺した。
前世で乗り越えられなかった宿題が今世は山積みで、この二人とは人生を共にできない。
いつかまた出会うことがあるかもしれないけれど、それはずっと先じゃないかと思う。
でも、出会わない方が彼女たちがとっても幸せな証拠なのではないかと思う。
それを思い出しても前世で乗り越えられなかった事と、全く同等の宿題はあまりにも地獄だった。
この話を彼女にした時、本当は彼女との前世での関係も思い出していた。
けれどそれは伝えなかった。
そしてこれからも彼女が思い出すまで伝えるつもりもない。