第18話 光がなくても④
*分からなくなったらep3にある用語集を参考にお読みください
私たちが到着したのは、木板をふんだんに使った簡素な四角い建物だった。扉を開けると、ふわりと木の香りが鼻腔をくすぐり、心が安らぐような、穏やかな空気が店内に満ちていた。広々とした空間は、すべてが床の間というわけではなく、奥まった場所にはいくつか小部屋が設けられているようで、イヴァンカさんに導かれるまま、私たちはその一つへと足を進めた。
小部屋は、一段高くなった高床式になっており、床はまるで薄緑色の葉を丁寧に編み込んだように見える。靴を脱ぎ、イヴァンカさんに倣ってその上に上がると、編み込まれた床は見た目よりもずっとしっかりとしていて、程よい弾力がある。地べたに直接座るよりもずっと快適そうだ。しかし、彼女は私の腰回りをちらりと見ると、「もしかして、お尻が痛かったりする? よかったら、これを使って」と、布袋に入った柔らかそうなクッションを差し出してくれた。私はそれをありがたく受け取り、腰の下に敷くと、確かに先ほどよりずっと楽になった。
イヴァンカさんは慣れた手つきでフレモを操作し、モバイル注文を始めた。画面を熱心に見つめ、時折小さく笑みをこぼすなど、まるで子供のように楽しそうだ。
「そんなに嬉しそうに、何を注文しているんですか?」 私が尋ねると、彼女は顔を上げ、少し照れたように答えた。
「最近ね、美容のためにこの食堂によく来るようになったんだけど、このお店のメニューに、すっかりハマっちゃって。つい、ウキウキしちゃうのよね」
そう話しているうちに、注文した食事が運ばれてきた。目の前に置かれた瞬間、私は息を呑んだ。それは、私がいつも夢の中で見ていた朝食に、鮮やかな色彩のビタミンが添えられたような、完璧なバランスの食事がそこにあったからだ。温かい白米の上には、琥珀色のスープがかけられ、その中に真珠のような白い豆腐が浮かんでいる。正面の副菜は、ふっくらと焼き上げられた白身魚と、黄金色の卵焼きを混ぜ合わせたような、優しい色合いの一品。そして主菜は、鮮やかな緑色の葉野菜が、まるで積み木のように美しく切り揃えられ、立方体のように盛り付けられている。白い発泡スチロールの容器には、独特の香りを放つ豆の煮物と、デザートの柑橘類が、宝石のように詰め込まれていた。
予想外の、しかし夢で見た通りのメニューに、私はすっかり戸惑ってしまったのだろう。イヴァンカさんは、私の様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたの? そんなに感動するようなものかしら? こんなの、いつもお嬢様が召し上がっているものに比べたら、ずっと質素でしょう?」
「た、食べて……よろしいんですか?」
「あら、もちろんよ。今日は私のおごりなんだから、遠慮しないで」
イヴァンカさんは、くすくす笑いながらそう言った。
私は、まるで宝物のように目の前の食事を見つめ、意を決して箸を手に取った。まずは、白米を恐る恐る口に運ぶ。何回か朝食で食べたことがあるはずなのに、今日のご飯は格別だった。口にした瞬間、ほのかな甘みが広がり、ふっくらと炊き上げられた米粒の一粒一粒が感じられ、甘みと暖かさは体の中にじんわりと染み渡っていくようだ。
「ご飯を少し食べた後に、お味噌汁を飲むと、ご飯の甘みが更に引き立って、もっと美味しくなるのよ」
イヴァンカさんの優しいアドバイスに従い、琥珀色の味噌汁を口に含む。 温かく、ほんのりとした酸味と、深い旨みが口いっぱいに広がり、米の甘みを引き立てるだけでなく、冷え切っていた体まで内側から温めてくれる。
「どうして、そんなに泣きそうな顔をしていますの? 別に、そんなに高価なものでもないのに……」
イヴァンカさんの声で、私はハッと我に返った。
——私は、無意識に泣いていたのか……?
確かに、頬には熱いものが伝わってくる。だが、ここの人たちは、人や物の価値を一定の基準で測るのが当たり前なのだろうか。私にとって、今食べているものは、値段など問題にならないほど、今まで食べたどんな料理よりも美味しく感じられた。その温かさを全身で感じながら、私は目の前のお皿に次々と箸を伸ばしていく。
主菜の緑黄色野菜は、少し茶色みがかった特製ドレッシングで和えられており、その酸味が食欲をそそる。噛むたびにシャキシャキとした心地よい食感が弾け、野菜特有のほのかな苦みが、味に深みを与えている。卵焼きと魚を混ぜ合わせた副菜は、いつも食べているものより甘みが強く、口の中でほろりと崩れる。優しい温かさと、ほんのりとした甘さが絶妙に絡み合い、思わず頬が緩む。そして魚は、淡いピンク色をしているものの、魚特有の生臭さは全く感じられない。ご飯と一緒に口に運ぶと、魚の旨味が米の甘さと溶け合い、食欲がさらに加速していく。鼻につんと響く独特な香りを放つ豆の発酵食品は、イヴァンカさんが興味を示したので、彼女に譲ることにした、最後に、デザートは瑞々しい柑橘類を口に運ぶ。果汁が弾けるたびに、爽やかな香りが鼻腔を抜け、食後の口の中を清々しくリフレッシュしてくれる。
私はまるで生まれ変わったかのような、清々しい気持ちに包まれていた。先ほどまでの光景による思考の混乱さえ消え失せ、夢中になっていたのだ。隣を見ると、イヴァンカさんはすでに食事を終えており、満足そうに私を見て微笑んでいる。彼女はよほどこの店が気に入ったのだろう、あっという間に平らげてしまったようだ。私は少し恥ずかしくなり、少し間を置いてお腹を休ませていると、彼女が私に向かって言った。
「どうでした? お食事は」
「はい、美味しかったです。イヴァンカさんありがとうございました」
私の心は嘘みたいに晴やかで、まるでわだかまっていた悩みが全て吹き飛んでしまったかのようだった。彼女に助けられて、本当によかった。心からそう思った。
「いいのよ、今回は私のおごり。後で、よろしくね」
彼女はそう言って、私の顔を覗き込み、何かを懇願するように片目を瞑って見せた。私はその意味を掴みかねて戸惑ったが、とりあえず席を立った。彼女はカウンターで会計を済ませ、私に続いて外へ出る。雨はすっかり止んでいたが、空はどんよりとした雲に覆われ、地面には水たまりが残っていた。歩きやすいとは言えない足元だ。近くに停めてある車まで歩き出そうとした時、イヴァンカさんが何故か落ち着かない様子で身じろぎし、そして突然、私に向き直って私の思いもよらないことを口にした。
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