第18話 光がなくても③
*分からない用語があればep3にある用語集を参考にお読みください
降恒1時40分
広く、冷たい廊下。目の前を足早に通り過ぎる職員たちの姿を私はぼんやりと眺めていた。廊下に出ても、心臓の鼓動は鎮まることを知らず、耳の奥では耳鳴りが木霊している。先程目撃した、レーン式の “生命生産工場” というべき異質な光景が、まるで焼き付いた映像のように脳裏にまとわりつき、私を苛む。私は一体、何を見てしまったのだろうか? そして、あれこそが本当に、私たち人間が向かうべき未来の姿なのだろうか? 答えは、闇の中に閉ざされたままだ。どうすることもできず、私は縋るように以前から行っていた精神安定のためのボックスブリージングを繰り返していた。
しばらくして、私の様子を案じたのだろうか、イヴァンカさんが部屋から出てきて、優しい声色で私に話しかけた。
「どうかなさいました? 先程からずっと顔色が優れないようですが、もう十分見学も済みましたし、そろそろ次の場所へ向かいましょうか?」
「——は、はい、お願いします……」
力なく頷くと、私たちは来た道を戻り、再び玄関へと向かった。イヴァンカさんは、時折私の顔色を窺い、心配そうな眼差しを向けてくれる。頭の中の混乱は依然として収拾がつかないが、そんな中で唯一、彼女の存在だけが、私にとって僅かな安らぎとなっていた。私は、まるで導かれるように彼女に連れ添って玄関を出た。外は相変わらず雨模様で、玄関の庇の下でイヴァンカさんがフレモを操作し、車を呼び寄せている。先程まで停めていた駐車場から、無人の車が静かに近づいきて、私たちは再びその車に乗り込んだ。
イヴァンカさんから借りていたコートを返すと、彼女は改めて私の体調を気遣うように尋ねた。
「お嬢さん、つい数時間前まで、あのような雨の中で木の下にいましたが、もうお昼を過ぎていますが、お食事は召し上がりましたか?」
私が小さく首を横に振ると、彼女は何かを悟ったように、目をぱっと輝かせ手を“パチン”両手を合わす。
「やはり! お嬢さん、先程からずっとお食事がお済みでなかったから、血の気が引いていらしたのですね。ご一緒にお食事でも如何でしょう?」
そう言うと、彼女は運転知能機関に手慣れた様子で指示を送り、車は静かに走り始めた。彼女の勘違いに助かり。私は、揺れる車内で、先程目撃した信じがたい光景を、頭の中で反芻し、整理しようと試みた。
——あの施設は……一体、何だったのだろうか?
レーンに乗せられた人々、無機質な機械、効率と量産だけをひたすら追い求める、あの冷酷なシステム。あれが本当に、未来の医療技術だというのだろうか? 断じて違う。あれは、生命そのものへの冒涜だ。神聖であるはずの、命の誕生という奇跡を、まるで工場での製品製造のように扱うなど、決して許されるはずがない。
研究員は、平然と「インベスターを生み出す施設」だと説明した。インベスター……投資家、資産家、出資者。まるで彼らは、生まれた瞬間から特定の役割を背負わされ、そのために “生産” されているかのように。資産家ジャダムの名も、深く胸に刻まれた。彼は一体、何者なのか? 己の遺伝子を未来に繋げ、社会そのものを支配しようとでも企んでいるのだろうか?
そして、何よりも私の心を締め付けるのは、あの流れ作業のように扱われていた人々の姿だ。特に、ガラス越しに目が合った、あの女性の瞳。絶望と諦念、そしてその奥底に、なぜか私の胸にまで響いてくるような、微かな温かみが混ざり合った、あの瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。彼女たちは、自分の意志で、あのような場所に身を置いているのだろうか? それとも、抵抗することさえ許されない、深い絶望の淵に突き落とされているのだろうか?
イヴァンカさんは「プレイメイト」という言葉を使った。大人の高尚な行為、価値のある仕事……。彼女は、あの施設で実際に何が行われているのか、真実を本当に理解しているのだろうか? それとも、ジャダムという巨大な権力の前に、思考することを放棄してしまっているのだろうか?
車の窓を叩きつける雨音が、現実感を鈍らせる。まるで悪夢の中に囚われているようだ。しかし、頬を優しく撫でる空調の温かさ、身体を包み込むシートの柔らかな感触、そして隣に座るイヴァンカさんの存在は、紛れもなくこれが現実であることを、残酷なまでに突きつけてくる。
私は、あの異常な光景を、なかったことにはできない。一度この目に焼き付けてしまった以上、見て見ぬふりをすることなど、もはや不可能だろう。あの女性の瞳が、今もなお、私に何かを切実に訴えかけている気がしてならないのだ。 しかし、あそこで生まれるインベスター達は、この後一体どうなるのだろうか? まさか、あの工場のような場所で、永遠に強制労働を強いられるのではないだろうか——そんな考えが脳裏をよぎり、生まれた彼らがどのように過ごしているかいてもたってもいられず、私は隣のイヴァンカさんに問いかけようとした。まさにその時だった。
「そろそろ食堂に着きますわ。さあ、ご一緒をいただきましょう」
先ほどの施設から、ほんの五分ほどしか経っていないだろうか。車は目的地の食堂へと到着してしまった。私はイヴァンカさんに促されるまま車を降り、コンシェルジュドローンを従え、彼女と共に店へと向かった。
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