第17話 決められた人⑤
~4年前~ 昇恒6時00分
——!
いつもの心地よい振動が脊髄に埋め込まれたデバイスから伝わり、私はゆっくりと意識を取り戻した。そこには温かみのある木目の天井が視界に広がるはずだった。しかし、目を開けた先にあったのは、冷たく無機質な白い天井。視界の四隅には高性能なセンサー付きのカメラが据え付けられていた。肌を刺すような空気の冷たさが、いつもの部屋ではないことを明確に告げる。
体を起こすと、そこは慣れ親しんだ木製の部屋ではなく、白一色で二人入るのがやっとの狭い空間。そこは例えるなら病院の一室のようだった。ふと横を見ると、大きな窓枠があり、外にはスーツやドレスを纏った人々が、大きなタブレット状の端末を手に、まるで値踏みするように私を訝しげな視線で見つめていた。
——!
その様子に身震いを覚え、逃れるように視線を正面に向ける。白衣を着た男性が椅子に座り、こちらを見ていた。彼は優しい笑みを浮かべながら、同じようにフレモを変形させタブレット状にした端末に目を通し、時折、私の様子を窺っている。
「Ⅶさん、お目覚めですか。間もなく競売を開始いたしますので、そちらの椅子に座ってしばらくお待ちください」
まだ完全に覚醒しきっていない目を擦りながら、私は促されるままに傍らの椅子に腰掛けた。男性は、私の体の背面に付いているカメラや各種センサーでスキャンを始めたようだった。スキャンされた情報をもとに端末に入力していく。最後に私の脊髄に埋め込まれたデバイスも、背後に回って“ピピッ”と音と共にデータを抜き出したのか、しばらくフレモを操作していた。すると、男性は端末の画面を私に見せながら、淡々と、しかしどこか落胆の色を滲ませた口調で説明を始めた。
「シリアルナンバー:80124524ZⅦ、略称ZⅦさん。あなたの知能指数は、同年代の被験者と比較して非常に高い数値を示しています。しかし……残念ながら、身体的な成長は十歳程度で停滞していると判断されました。本来であればもっと早い段階で競売にかける予定でしたが、成長の兆しが見られず、仕方なく15歳という年齢を迎えるギリギリまで待機していました。その結果ですが……誠に遺憾ながら、あなたの市場価値は大幅に下落し、市場に出すには非常に難しい価値となってしまいました」
——競売……?
その言葉の意味を、私は一瞬、理解することができなかった。競売とは、物を競りにかけて、最も高い値をつけた者に売る行為。つまり、私は……商品として、売られるというのか?そして、その価値は低いと……?
「見てください、これがⅦさん、あなたの現在の身体データです。発育は著しく遅れています。特に、第二次性徴の兆候が全く見られない。これは今回の競売において、非常に大きなマイナスポイントとなるでしょう。しかしですね、Ⅶさん、Ⅶさんの脳の発達、特に……」
優しい笑みを浮かべる男性は、私の体の各部位の数値や、全てを見透かすような全身透視画像を指し示しながら、まるで売れ残りの商品を扱うかのように、私を「商品」として淡々と解説していく。その言葉は、私の耳には入ってきているのに、まるで意味を成さない記号の羅列のように感じられた。
私は、目の前で繰り広げられている光景が、現実のものとは思えなかった。自身の状況が信じられず空間がゆがむような感覚。しかし、目の前の男性、横から刺さる大勢の冷たい視線と、フレモに表示された無機質な数値、そして「市場価値が低い」という言葉が、これが現実なのだと、私に突きつけてくる。
——私には……価値がない……?
その事実が、じわじわと脳に浸透し始めた時、私の体は小刻みに震えだした。恐怖、そしてそれ以上に深い絶望感。しかし、他にも感じるものがあった。
——でも……それでも、何としても生き残らなければならない!
強い思いが胸の奥底から何かが湧き上がってくるのを感じた。
——そうだ、私にはある……誰にも負けない知性があるはず!
私は、自分自身の価値を必死に証明しようと、体に力を込め、立ち上がった。
「で、でも、私……誰よりも知性があります!この前の化学と地理のテストでは百点を取りました。経営シミュレーションとマーケット分析の発表会では、私が主導したチームがトップの成績を収めました。誰よりも市場価値があるはずです。たとえ……こんな幼い体でも、きっと会社に、社会に貢献できると私は思います!こんな能力のある私の市場価値が低いなど、ありえません!」
男性は少しの間、私の言葉に考え込むように下を向いていた。やがて小さくため息をつき、顔を上げる。
「Ⅶさん、残念ながら、あなたは現在の社会で活躍の場を見つけるのは、非常に困難かもしれません。まず、Ⅶさんが仰る『知性』についてですが……確かに、以前は学力という一つの物差しで人の能力を測ることが一般的でした。それは、人の社会的価値を簡単に判断できる、便利な方法だったのです。しかし、現代はですね、市場が目まぐるしく変化し、会社間の生存競争が激しくなる中、人材も様々な状況に臨機応変に対応できる能力が求められる時代です。ADHD(注意欠如・多動性障害)、PPAD(並列処理適応障害)といったサラリーマン、サラリーウーマンにとって不利な特性を持つ人も多く、特定の知識を持っていること自体が、必ずしも直接的な価値に結びつくとは限らなくなってきているのです。テストで良い点を取ったり、発表会でトップの成績を収めたりされたことは、努力の証であり素晴らしいことですが……それだけでは社会にとって十分とは言えないのです」
私は力を振り絞り、意識的に彼の目をまっすぐ見据えた。
「——次に……Ⅶさんの容姿のことですが、市場に影響を与える消費者の視点から考えてみましょう。商品やサービスを選ぶ際、人は提供者の第一印象を非常に重視します。例えば、Ⅶさんが重要な商談で顧客と初めて会うとします。もし、Ⅶさんの外見が幼い子供のようであれば、お客様はあなたを対等なビジネスパートナーとして認めることに、ためらいを感じてしまうかもしれません。リーダーシップについても同じことが言えます。チームメンバーいや、人間の本能として、どうしても外見からリーダーとしての能力や経験を推し量ってしまうものです。あなたの外見から疑問や不安を感じ、プロジェクトへの意欲が低下してしまう可能性も否定できません」
私の指先が、無意識のうちにズボンの裾をきつく握りしめる。
「最後ですが、知能機関や自動化技術が目覚ましい発展を遂げ、多くの業務が効率化されているんですよ。もちろん、創造性や複雑な問題を解決する能力など、人間にしかできない仕事は存在します。ですがね、そういった分野においても、現在では多くの企業で十分な人材が確保されており、残念ながら飽和状態にあると言わざるおえないんです」
完全に、論理的に、私の道が閉ざされていることを突きつけられ、心が地面に叩きつけられた。私の知性が無力であることが証明されてしまった。それでも、何とか生きる道を探さなければ。思考を必死に巡らせ、藁にもすがる思いで男性に尋ねた。
「じゃあ……、私が生きていくには、どうすればいいんですか……? 私、なんとかして……生活していきたいんです」
男性は少し考え、そして、どこか投げやりな口調で言った。
「資本家のプレイメイトになるか、ロリ要素の強めの水商売で働くのはどうでしょうか。それなら、知能機関に仕事を奪われることもないでしょうし、市場も失われません。それにあなたはもう成長しないのですから、ある程度はその姿を保っていられるでしょう」
——……え? どういうこと?
私は前半の提案より後半の真実に耳を疑った。
「ど、どういうことですか? 私、もうこれ以上成長しないって……どうしてそんなことがわかるんですか?」
男性はしまった、というように顔を歪め、一瞬、悔しそうな表情を見せた。しかし、すぐに何かを諦めたように、小さく息を吐いた。私は彼が何かを知っていることを確信した。
「知らないんです。詳しく教えてください! 何で私これ以上成長しないんですか?」
私はしばらく懇願するように強い視線を送り続けた。すると男性はしばらく震えていたが仕方がないというふうに決心し、私の耳元に顔を寄せ、極めて小さな声で、秘密を打ち明け始めた。
「——あなたは賢そうだ。だから言いますね。Ⅶさんが毎朝、朝食と一緒に摂取しているプロテインサプリ……あれに、9684―APKTNという物質が混入されています。それは特定の遺伝子配列に作用し、テロメアの短縮を抑制し、細胞の老化を遅らせる効果があるんです。本来は成長期に限定的に使用することで、身体能力や知能を向上させる目的で開発されたものですが……」
それは、以前Ⅴが動画を見せながら教えてくれた、モデルたちが使っているという薬の話と、部分的に一致する。しかし、私はモデルのように美しい流体を描いた体にはなっていない。
「……薬には、投与する時期や量、組み合わせによって、様々な効果が現れます。知能を優先的に成長させるもの、身体を成長させるもの……。Ⅶさんの場合は、意図的に知能のみを成長させるよう薬が調整されていたんです。他にもですね……」
——だから私は、幼い頃から頭が良かったのか……。そして、これからもずっと、この子供の体のまま……。
今まで私が苦労して積み上げてきたものは、一体何だったのだろうと思うと体の力が奪われ、同時に、自分の体の自由が、他者によってコントロールされていたという事実に、私は体の震えを感じた。
「で、でも……それを摂取した人は……どうなるんですか……他に……?」
私が彼の言葉の続きを促そうとした、その時だった。
——!
突然、部屋のドアが荒々しく開き、中から屈強な体格の男たちが数人、現れた。彼らは、私たちに向かって、怒号のような口調で言った。
「おい、GⅩⅥ、喋りすぎだ! それから、ZⅦもだ。秘密を知りすぎた! 企業規定〇×条の規定により秘密漏洩違反だ!お前ら! 急いでこいつらを捕まえろ! 絶対に逃がすなよ!」
どうやら私たちの会話は、全て筒抜けだったようだ。私達は屈強な男たちに、あっという間に羽交い締めにされた。
「クッソ~~やっちまった!やめてくれ‼ 私には妻子がいるんだ‼ 私にはまだ市場価値があるんだ‼ そんなとこ……そんなところ行きたくないよ~~~~~~‼ 助けて‼」
男性は泣き叫ぶように懇願するが、男たちは聞く耳を持たないようで引き続き彼を取り押さえ続ける。私もどこかへ連れ去られそうになる。彼の様子から、これから連れて行かれる場所が良い場所ではないことは明らかだった。今までやって来たことが、全て無意味だったかのような虚無感。そして、これから自分がどうなるのかが分からないもしかしたらという先への絶望。私は、体の自由を奪われながらも、必死にもがき、抵抗した。
しかし、この絶望と混乱の中でも、私の思考は不思議なほど冷静だった。いや、冷静さを保っていたと言うより、何かにそう「させられている」ようだった。
——もし、あのまま競売が成立していたら……おそらく、再び眠らされ、契約者の元へ運ばれるはずだ。だが、今は違う。あの人が真実を話してくれたおかげで、この開かれたドアという、千載一遇のチャンスが生まれたんだ……!
私はしばらく男の腕の中で必死にもがいていた、だがその中でも不思議な「志向性」が私の体から湧き上がり、思考が回る。その刹那、私は何を思いついたのか自分を掴む男の腕に、思い切り噛みついた。私の咀嚼は屈強な男でも、不意打ちの痛みには耐えられなかったのだろう、男は悲鳴を上げて私を離した。
「ギャー‼ ZⅦ! な、何をする!」
私は、その隙を逃さず、男たちの間を縫うようにして、開け放たれたドアの外へと駆け出した。幸い、毎日のように続けていた運動の成果か、それとも例の薬の影響か、体には力がみなぎり、いつもより速く、そして長く走れる気がした。
狭く長い廊下を、風を切って走る。走る。周りの景色は、まるで高速で流れる光の帯のようだ。耳元では、風が唸りを上げている。しかし、不思議と肺の苦しさや、体の痛みは感じない。まるで、この瞬間のために生まれてきたかのように、私の体は、ただひたすらに前へと進むことだけに集中していた。温かい光、希望の光に向かって、本能的に体が動いているより動かされている。そんな不思議な感覚だった。
しばらくして、後ろを振り返ると、追ってくる男たちの姿が見えた。彼らは、すぐに私を追ってきていたが、狭い通路での小回りが利かないようで、大きな体躯が、ここでは邪魔になっている。遠くに見える彼らの姿は、次第に小さくなっていった。どうやら諦めたようで、私はなんとか振り切ることができた。それでも追手が来ないように私は走り続ける。しばらくすると、視覚に光が見えた。よく見ると大きな窓のようで、その外には今まで見たこともないような眩しい光が満ち溢れていた。私は、その光に向かって、最後の力を振り絞り、全力で駆け出した。
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