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第16話 青年(リアン)の望み②

 降恒、僕はエアリアさんに教えてもらった住所をもとに、ホバーバイクでエヴァンさんの農場からダノン市の市街地へ向かった。ホバーバイクのハンドルを握る手は小刻みに震え、心臓は早鐘のように激しく脈打ち、今にも口から飛び出してしまいそうだった。胃の奥底からは、鉛のような重さと、せり上がってくるような不快感が交互に押し寄せる。様々な思いが、まるで奔流のように頭の中を駆け巡っていた。本当にこの場所で合っているのか、もしかしたらリアンはもう……。そんな不安が、胸を締め付ける鎖のように、呼吸を浅くする。

 リアンの家は、ダノン市街地を見下ろす扇状地の扇頂付近に、ぽつんと佇んでいた。周囲には住宅地と果樹園がパッチワークのように広がり、その間を縫うように進むと、ようやく目的の二階建ての家が見えてきた。近くでは白い陽光が果樹園の葉を透かし、遠くにフロートラックの影が揺れていた。


 僕は道の端にホバーバイクを停め、一息ついて呼吸を整える。異様な静けさの中で、僕はようやく、自分の鼓動の速さに気づいた。震える指で玄関のインターホンを押した。心臓の鼓動が、耳の奥で大きく響き、まるで時間が止まったかのように感じられた。


 ——早く、早く出てくれ!


 心の中で何度も叫んだ。しばらくして、その願いが通じたのか、玄関の扉がゆっくりと開き、黒髪の女性が現れた。彼女は一瞬、口を開きかけて、それでも何かを飲み込むように微笑んだ。

 その微笑みには、覚悟と祈りが入り混じっていた。彼女の穏やかで、どこか憂いを帯びた優しい赤瞳を見た瞬間、僕は目の前の人物がリアンの母親だと確信した。


「——リアンのお母さんですか……?」


 絞り出すような声で尋ねると、母親らしき人物は、静かに、しかし力強く頷いた。


「もしかして……リアンの友達?」


 彼女の肯定の言葉にこくりと頷き、僕は堰を切ったように問いかけた。


「リアンは今どこにいますか?」


「二階で横になって寝ているわよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕はまるで導かれるように階段を登っていく。リアンの母親が続いて何か言ったようだが耳に入らない。リアンは生きている。あの時、「じゃあね」と手を振ったあの言葉で、永遠の別れをしたくなかった。   

 

 ——絶対に……絶対に……。


 階段を一歩一歩踏みしめながら二階へ上がり、リアンの部屋と思われるドアの前に辿り着く。大きく息を吸い込み、震える手でドアノブをノックした。すると、中から「誰ですか?」という、以前より少し太く、しかし優しい声が聞こえた。


「リアンの友人のシンです」


 そう告げると、ドアが開き、黒縁の眼鏡をかけた優しそうな男性が現れた。以前病院で出会った、リアンに付き添っていた人だった。僕は彼が白衣を羽織っていることから、彼が医者であることがすぐに理解できた。部屋の奥には、リアンの家族らしき妹や弟が四人、そして父親らしき人物が、不安げな表情でこちらを見ており、医者は僕の顔をじっと見つめ、驚きと、どこか安堵したような複雑な表情を浮かべていた。


「初めまして……。僕はリアンの友達のシンです。リアンはいらっしゃりますか?」


 もう一度、自分の名前を伝えると、家族らは、互いに目配せをした。皆の表情に、ようやく納得がいったような、安堵にも似た変化が浮かんだ。父親は医者に耳打ちし医者は初めて穏やかな笑みを浮かべ、頭を下げる。


「リアン、お客さんだよ。シン君という人が来てくれたよ」


 医者の声に、部屋の奥から重なるように、水を含んだような苦しげな呼吸がゴロゴロと響く。沈鬱な空気が場を満たしており、その様子からリアンが横になっているのだろうと察した。

僕は恐る恐る許諾を試みる。


「——入っても……いいですか?」


  医師の「どうぞ」という短い許可を受け、僕は静かに部屋の中へと足を踏み入れた。


 大きな窓にはカーテンが引かれ、部屋全体は薄暗く、しかし清潔感があった。右奥には勉強机、左側にはたくさんの本が並んだ本棚。壁には宇宙や様々な景色のポスターが貼られ、まるでリアンの内面を表しているようだった。そして、右側の壁際のベッドには、リアンが横たわっていた。鼻に繋がれた管、以前よりもさらに細くなった体、紙のように白い顔色。リアンが息をするたびに、小さな呻き声が聞こえるようで、僕の胸は締め付けられた。部屋に漂う消毒薬の匂いと、彼の微かな息遣いが、現実の重さを突きつける。それでも、リアンは微かに、本当に微かに微笑みを浮かべているように見えた。

 医者はしばらくの間、ベッドに横たわるリアンを注意深く診察していた。やがて、彼は口を真一文字に固く結び、張り詰めた静寂を破るように、深く、そして長く息を吐き出すと、彼は弟妹たち、両親、そして僕に、静かに部屋を出るように促した。


 皆は言われるままに部屋を出た。薄暗い廊下を少し歩き止まると、僕たちは自然と輪になり集まった。誰も言葉を発しない。あるものはうつむき、あるものは開け放たれた部屋の入り口から、ただじっと、リアンを見つめている。

 その中医者は、一人ひとりの顔を、その内奥を覗き込むように、時間をかけて見回していた。ゆっくりと口を開き始めようと、言葉を選びあぐねて逡巡していた。すると、リアンと同じくらいか、少し下の年齢の女性が、震える声で医者に尋ねる。


「——先生あと、私の兄さんはどれくらい生きられるの……?」


 医者は彼女の言葉にハッとし、少しの間、視線を下に落とし、何かを考えるように沈黙した。そして、絞り出すように、重い言葉を告げた。


「——あと、三日か四日ほどぐらいだね……」


 その言葉は、まるで重い鐘の音のように、静かな空間に響き渡った。家族は皆、まるでその言葉を予想していたかのように、静かにうなだれた。男の子は、拳を握りしめ、静かに涙を流し、女の子は、すすり泣き、姉の肩に顔を埋めた。

 僕は、三週間前まで元気に笑っていたリアンの姿が、どうしても現状の様子と結びつかず、現実を受け止めきれずにいた。ただ呆然と、彼らの姿を見つめることしかできなかった。

 すると、医者は、まるで自分自身に言い聞かせるように、そして、家族を励ますように、静かに語り始めた。


「皆、今、彼は寝ていると思うけれど、まだ声も出るし、はっきりと意識がある。今のうちに、伝えたい言葉を、たくさんかけてあげてほしいんだ」


 すると、先ほど質問した女性が、堰を切ったように泣き始めた。医者は彼女の肩を優しくポンと叩き、慰めるように言葉をかける。


「これから、生きていけば、もっともっとたくさんの辛いことがある。でも、それは君が成長するための試練なんだ。辛い現実を受け止めて、少しずつ大人になっていこう。そして、お兄さんと話せる機会も、もう残り少ない。だから、部屋に戻って、お兄さんが起きていたら、しっかり話をしてほしいんだ」


 医者の言葉に、家族は静かに頷き、僕らは静かに部屋へと戻っていった。すると、まるで僕らの会話を聞いていたかのように、リアンは閉じていた目を、ゆっくりと開いていた。

 子供たちは、まるで壊れ物に触れるように、ゆっくりとリアンに近づき、それぞれの手を握り、囁くように口々に言葉をかける。


「兄ちゃん、大丈夫? 大好きだよ!」


「兄さん、負けないで!」


「リアン無理しなくていい、無理しなくていいんだよ……」


 その言葉を聞いたリアンは、かすかに口を開き、言葉を紡ぐ。


「——迷惑かけて……ごめんね……。みんな……ありが……とう、こんなに優しい子たち他に……いないよ……」


 その言葉に、傍にいた父親も、後から来た母親も、溢れる涙を袖で拭った。

 しばらくの間、兄弟たちとリアンは、言葉を交わし、そして、思い出を語り合った。やがて、リアンは僕の存在に気づいたのか残された力を振り絞るように、声を上げた。


「シン君……来て……くれて……た……んだね」


 僕はリアンの傍に膝をつき、手を握り、祈るような気持ちで言った。


「ああ、リアン。心配したよ。辛そうだから、もう話さなくて……いいよ」


 リアンは、かすかな微笑みを浮かべながらも、声は次第にかすれていく。


 ——!


 しかし、リアンは唐突にカッと目を見開いた。その表情には見たこともない鋭い筋が入る。僕を真っ直ぐに見つめ、力強く言葉を返した。


「いや、……無理をするよ……君にはまだ、伝えてきれてない……ことがあるから!」


「もう、無理しなくていい。だけど、少しでも楽になれるように、僕はここにいる」


 僕の言葉に、リアンは、小さく、しかし力強く頷いた。僕は、リアンの片方の手を、離さないように強く握った。


「あのさ、リアン……」


 伝えたいことが、たくさん、たくさんあった。でも、言葉にしようとすると、胸が詰まって、喉が締め付けられ、上手く言葉が出てこない。


「——な……んだ……?」


 リアンは、苦しそうな表情を浮かべながらも、僕の言葉を待つように、真っ直ぐに見つめ返した。僕は、大きく深呼吸をして、溢れ出しそうになる感情を抑え、言葉を紡ぎ出した。


「この二、三週間、リアンのこと、ずっと心配してたんだ!連絡先を知らなくて、本当に、本当に焦ったよ。でも、エアリアさんに教えてもらって、ここに来ることができた。リアンに会えて、本当によかった。でも……あの時のことはごめん! もう少しリアンの気持ちを考えて答えるべきだった……今さらこんなことを言うのも苦しいんだけど……僕に出来ることはないかな……」


 僕の言葉を聞いたリアンは、静かに目を閉じ、小さく頷いた。


「——ありがとう、シン君。気持ちは受け取っておくよ……でも……僕は、もうあまり……時間がないんだ……」


「そ、そんなこと言うなよ。まだ大丈夫だろ? 医者も、きっと何か方法を考えてくれるはずだ、そ、そうだ……アセンションセルに入れば治るんじゃ……」


 目の前で起きていることが、どうしても信じられなかった。まるで悪夢を見ているようで、僕は必死になって、自分の心を落ち着かせようと言葉を続けた。しかし、リアンは、苦しげな微笑みを浮かべ、現実を突きつける。


「無理だよ、もう……手の施しようがないって……」


 リアンの声は、風前の灯火のように、かすれていた。


「——そんな……」


 言葉を失い、しばらくの間僕はただ彼を見つめ続けるしかなかった。しばらくの間沈黙が続き自分が彼に何の言葉を送ればいいのかわからなくなった。そんな僕の心中を察したか、リアンが再び言葉を紡ぎ始めた。


「なんだか不思議な気分なんだ……この出会いは……まるで……誰かに……。僕は……シンと出会えてよかった……こんなに人に囲まれて……幸せだったよ……自分で……自分の人生を決められるから……」


 絞るように言葉を紡ぐ彼に対して僕は、祈るような気持ちで、叫んだ。


「そんなこと言うなって……まだ何も決まってないだろ!」


「——いいや……この……世界には……決められない人も……いるよ。そのことを……君に分かってほしい……」


 リアンの言葉の本質がうまく理解できず、何も言えなかった。僕はただ、リアンの手を握りしめることしかできなかった。彼の細く、今にでも消えてしまいそうな掌が妙に暖かく感じる。


「ただ、僕は……リアンが、君が消えてほしくないんだよ!」


 絞り出すような僕の言葉を聞いて、リアンは微かに笑った。そして、ゆっくりとした動きで、ベッドの縁に置かれていたもう片方の手を、僕の手に重ね、力強く握り返してきた。


「僕は決して……消えやしないよ……君の中に残り続けるから……またいつか遭えるさ……シン君……」


 リアンは、まるで最後の燃料を使い切るように、言葉を吐き出した。


 ——そんなことあるわけないだろ‼『無』になるのに……!


 彼の言葉は、懐古、悔恨、そして悲痛、様々な感情が混ざり合い、まるで熱い塊となって、僕の胸に流れ込んでくる。

 僕は、その熱が冷めないように、ただ、現実を受け入れたくない一心で、彼の細く、今にも消え入りそうな手を、僕はそっと握り続けた。彼はまだここにいる。ただ、消えかけている。しかし、まだ確かに、この掌の中にその温かさがある。だから、リアンが『無』にならないように、僕はただ、ただ彼の手を握り続けた。今の僕にはそれしかできなかった。


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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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