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第15話 ロミとエリオット⑧

「おい、邪魔だ、どけ!」


 ヨブの用心棒の一人が誰かを突き飛ばそうとする怒声が響いた。僕はハッとして声のする方を見ると、リアンが人垣を掻き分け、エアロックの制御パネルの方に駆け寄っているのが見えた。彼は必死に緊急停止ボタンか、あるいは扉の解放スイッチを探しているようだった。「やめろ!」周囲の用心棒たちが慌ててリアンに気づき、彼の細い腕や足を掴んで引き剥がそうとする。だが、リアンは驚くほどの力で抵抗し、制御パネルにしがみついて叫ぶ。


「今、止めなきゃ、僕は絶対に後悔する! だから離して!これは絶対離さない!」


 そして、僕の方を振り向き、続ける。


「シンはどうなんだ⁉ あの時と何も変わらないのかい⁉ 人がこんな酷い目に遭っているのを見て、また君は見ているだけなのかい!」


 その言葉が、雷のように僕の胸を打ち抜いた。鼓動が激しくなる。


 ——そうだ、あの時、遊園地で青年が暴行を受けていた時も、僕はただ見ていることしかできなかった。今度こそ、あの時の自分を、この無力な自分を変えなければならないんじゃないのか? そんな思いが頭を駆け巡る。しかし同時に、周囲を取り囲む屈強な用心棒たちの姿、彼らの背後に控えるヨブの強大な資本力と権力を想像すると、恐怖で足がすくんで動けない。リアンの痛切な叫びが耳に突き刺さる中、僕は金縛りにあったように身動き一つ取れずにいた。


 その時だった。様子を窺っていたヨブが、堪忍袋の緒が切れたように、「チッ、鬱陶しいガキだ!」と低い声で吐き捨て、自らリアンに歩み寄った。そして、小さな頭を乱暴に鷲掴みにすると、無理やり引き剥がそうとした。リアンは悲鳴を上げながら必死に抵抗する。


「やめ……!」


 その瞬間、ブチッ、という、生々しい音が広場に響いた。ヨブの指の間から、束になった艶やかな茶髪が、根元からごっそりと抜け落ちたのだ。露わになったのは、剃り上げたばかりのような、痛々しいほど短い黒髪の生え際だった。


 ——……え?


 全身から一瞬にして力が抜け落ちた。その痛ましい光景を目の当たりにした誰もが、リアンが重い病を患っていることを悟ったのだ。それまで異様な熱気に包まれていた場の空気は、まるで時間が止まったかのように凍り付き、エンターテイメントという名の狂騒は、見るも無惨な、大人たちが無抵抗の弱者を一方的に痛めつける残酷な現場へと、瞬く間に変貌したのだ。


「——チッ……! クソが、余計なことしやがって……!」


 ヨブは、しばらくの間、茫然自失としたリアンの姿と、周囲の観客たちの凍り付いたような反応を交互に見ていたが、即座に状況を把握したのだろう。突然、露骨に不機嫌そうな表情で舌打ちをした。


「撮影は中止だ! おい、スタッフ、ブラド、ガイ! さっさとあのエアロックのドアを開けろ! 機材も撤収だ!」ヨブの怒号が、静まり返った広場に響き渡った。


「はい! わかりました!」指示を受けた屈強な用心棒の一人が、慌てた様子で制御パネルを乱暴に操作し、プシューという音と共にエアロックの扉が開いた。解放された痩せ細った男性スタッフは、乾いた空気を求めて激しく咳き込みながらよろめき出てきた。しかし次の瞬間には、這うようにしてヨブに駆け寄り、掠れた声で今回の騒動に対する補償金を必死に要求し始めた。その目に宿るものは、先ほどの恐怖とはまた違う、なりふり構わない醜さだった。


「ああ⁉ うるせえな! ほらよ!」


 ヨブは、心底うんざりしたように懐から分厚い札束を取り出すと、数えもせずに何百枚もあるであろう束を無造作にスタッフの足元に投げつけた。


「ひゃ、ひゃい! ありがとうございまっす!」


 スタッフは、床に散らばった大金を目にした途端、先ほどの死の恐怖も屈辱も、まるで記憶から消え去ったかのように、満面の笑みを浮かべてそれを拾い集め、足早にその場を後にした。

 常温であるはずのロビーの空気が、乾いた氷のように冷たく感じられ、まるで僕の心を凍てつかせるようだった。リアンが身を挺して起こした行動も、僕の中に微かに芽生えかけた小さな勇気も、結局、誰の心にも深く響くことなく、ただの無意味な騒動として幕を閉じた。僕らは、ただ、彼らが手慣れた様子で機材を撤収していく光景を、呆然と立ち尽くして見ているしかなかった。無力感と、どうしようもない虚しさが、冷たい霧のようにじんわりと心を覆っていくのを感じていた。

 しばらくして僕はリアンを見る。頭髪を失い坊主頭になったリアンが、床に落ちた見慣れた茶髪のカツラを拾い上げ、僕の方を振り向いて、自嘲気味にふふっと笑った。


「あ~あ、このチリチリの茶髪、結構気に入っていたんだけどな……はは、シン君にバレちゃったか……」


「ど、どういうことだよ……⁉」

 今の僕の頭の中は、目の前で起きていることが全くと言っていいほど理解できず、混乱の極みにあった。


「僕は癌だよ……しかも遺伝性のね……僕こそ、シン君たちが言う社会のお荷物、社会の癌なんだよ……もうお別れだよ、シン君。もう君とは二度と会うことはないよ……じゃあね」


 そう言うと、リアンは弱々しく微笑み、シャトルの出る方向へと、人混みに紛れるようにゆっくりと歩き去っていった。その瞬間、ようやく僕は全てを理解した。なぜリアンは、僕の発言や態度にあんなにも激怒していたのか。なぜ彼はあれほどまでに宇宙へ行くことを切望していたのか。しかし、その答えを知ったときには、もう全てが手遅れだった。僕は慌ててリアンを引き留めようと声をかけ、彼の背中を追いかけた。

「リアン! 待ってくれ!」


 必死に追いかけるが、先ほどの騒動が終わったことで、堰を切ったように大勢の人がシャトル乗り場へと流れ出した。しばらく現実を受け止められずに立ち尽くしていた僕は、完全に乗り遅れ、人と人に挟まれ、揉みくちゃになった。必死になって人の波をかき分け、もがきながら進もうとするたびに、人の密度は増し、足は思うように進まず、徐々に速度を落とし、最終的には完全に立ち止まってしまった。見上げると、リアンの小さな姿は、群衆の中に掻き消されるように次第に遠ざかり、最後に彼の振る細い腕だけが、虚しく空を切るように見えた。


 ——待って……待ってくれ……リアン!


 僕は、もみくちゃにされながら、彼と二度と会えなくなるかもしれないという焦燥感と、大切な存在を失ってしまうという悲痛な予感に胸を締め付けられ、ただ茫然と、彼の消えていく方向を見つめるしかなかった。


 しばらくして、ロミ、クレア、スレイ、そしてエリオットが姿を現した。リアンの不在に気づいたエリオットが、訝しげな表情で僕に問いかける。


「おい、リアンはどこに行ったんだ? 早めにお前たち出ていっただろう?」


 僕は、喉の奥から絞り出すような小さな声で、平静を装いながら答えた。


「——リアンは……急用ができたみたいで……早く帰ったみたいなんです……」


 エリオットは、特に疑う様子もなく、ほう、と納得したように頷いた。

 その後、僕たちはしばらくコロニー内を観光したが、リアンが僕の元を去ってからの記憶は、ひどく曖昧で、何を見たのか、ほとんど覚えていなかった。そして、その日の夜、僕たちは重い足取りでシャトルに乗り、家路についた。シャトルや列車の中、いつも隣にいたリアンが、まるでそこにいるかのような感覚が妙に残る中、僕はただ、鉛のように重い心を抱えて家へと帰途についた。

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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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