第15話 ロミとエリオット⑦
そんな思索に浸っていた時だった。宇宙体験の受付前に妙な人だかりができており、騒がしい様子が耳に届いた。何事かと近づき、人垣の隙間から覗き込むと、中央で異様な光景が繰り広げられていた。
——……! まさか……。
僕は久しぶりに、そして何よりも見たくなかった存在を目の当たりにした。かつて士官学校時代、権力を盾に弱い者いじめを繰り返していた、ヨブ、ブラド、ガイの三人組。アメリア軍を除隊したはずの彼らが、今、一体何をしているのか知る由もなかった。だが、近づき様子を伺うと、案の定、目を覆いたくなるような悪質な動画撮影を強行していた。その光景は、想像をはるかに凌駕する、悪辣なものだった。
受付エリアに隣接する、本来は宇宙遊泳体験のスタッフ用に使われるはずの小型エアロック。その分厚い強化ガラスの向こうで、苦悶の表情を浮かべて閉じ込められているのは、ほんの数時間前、事務的に受付を済ませてくれたばかりの青年スタッフだった。顔は血の気が引き、薄れゆく酸素への恐怖に歪みきった表情で、必死にエアロックの分厚い扉を内側から叩き、「開けてくれ!」と声にならない叫び声を上げている。その周囲を、まるで檻を囲むように屈強な男たちが取り囲み、有無を言わせぬ暴力的な威圧感を撒き散らしている。無機質な業務用の巨大カメラと眩い照明は、その地獄のような現場の熱気と非道さを否応なく際立たせていた。
「さあ、始まりました! オーチューブチャンネル登録者数、悲願の一千万人突破記念! 地獄の特別企画!」
ヨブの声が悪魔の哄笑のように響き渡る。
「題して、『人体耐久実験、マジで、やってみたぁぁぁぁー! In カリスト・トーラス!』皆、見てるかー⁉」
ヨブの笑い声は悪魔の哄笑そのもの、顔は嘲笑と狂気に彩られ、吐き捨てるようにカメラに顔を向ける。取り巻きのスタッフも下品な笑い声で狂騒に加担し、かつての悪夢が蘇ったかのように、目の前で人間を玩具のように弄んでいる。悪夢が現実になった光景が今、ここにあった。
嫌悪感が胃の底からせり上がる。かつての同級生は、成長とは無縁どころか、悪質さを極め、救いようのない動画を平然と作り出す怪物に成り下がっていた。そして、そんなインフルエンサーが一千万人もの登録者を抱えるという現実に、眩暈すら覚える。
かつての士官学校時代、ヨブたちは陰湿ないじめを繰り返し、暴力と嫌がらせで標的の心を徹底的に破壊していた。あの時の、助けを求める彼の瞳、絶望、そして恐怖が、鮮明に脳裏に蘇る。
忌まわしい過去の記憶が、胸の奥底で黒い渦となり疼き出す。しかし、先ほどのリアンとのやり取りが鉛のように重くのしかかり、僕の怒りをぶつける気力すら奪い取られる。無力感だけが重く、行動を起こす勇気など、湧き上がるはずもなかった。そんな僕の気持ちをよそに周囲の見物人たちは、まるで珍しい虫でも眺めるかのように遠巻きにし、誰一人として止めようとはしない。むしろ、どこか期待するような視線すら感じる。
怒りと絶望、無力感、そして癒えることのないトラウマが胸中で飽和し、ただ、目の前のカオスな光景をただ見つめることしかできない自分に、自己嫌悪するしかない。誰も逆らえない、誰も止められない。かつての教室の支配者は、今や強力な権力と財力を背景に、公然と悪を執行する怪物となった。どうすればこの状況を打破できるのか? 自問自答を繰り返すが、行き着く先はいつも、諦念。何をしても、無駄なのだと。
その時だった。しばらく獲物を探す肉食獣のようにあたりを見回していたブラドと、僕は偶然目が合ってしまった。彼は集団の前の方にいた僕の姿を捉えると、ニヤリと口角を上げ、すかさず彼はヨブに耳打ちするとヨブは言う。
「おい、そこの君、来てください」
すると用心棒たちが寄ってきて有無を言わさず手首を掴まれ、引きずられそうになる。僕は反射的に手を振り払い、逃走を試みようとしたが、屈強な用心棒たちが瞬時に壁のように立ちはだかり、逃げ道を塞いだ。「大人しくしろ」低い声が威嚇する。抵抗は無意味だと悟り、僕は仕方なく彼らに従った。連れて行かれた先では、エアロック内のスタッフの顔がさらに苦しそうに喘いでおり、撮影がまさにクライマックスを迎えようとしていた。ヨブがマイクを握り、僕に向かって声を張り上げる。
「さあ、最初の“挑戦者”だ! まずはお名前をどうぞ?」
観念した僕は、まるで喉の奥から錆びた金属片を絞り出すように答えた。
「——シンです……」
「シン、ね? フーン。ご職業は……?」
——またか。この見下すような質問攻めは。
胸の奥底からうんざりとした感情が湧き上がるのを抑え、今の状況から冷静に答える。
「農家をしています」
「農家ですか。不安定で日々、ご苦労されているようですね? 出身大学・高校はどちらですか?」
——なぜ、そこまで僕の個人的な情報を、聞き出そうとするのか……。
疑問は募るが、彼らに逆らう気力は、もう残っていなかった。僕は再び重い口を開いた。
「今は……大学には行っていません。休学中です」
すると、今まで黙って成り行きを見守っていたヨブが、突然「わぉ!」とわざとらしく驚いた表情を作り、おどけた口調で囃し立てた。
「今現在高卒の君、これからどうやって生きていくつもりなの? これからの時代、農家なんて機械でほとんど済ませられるから、正直、人手は余る一方だよね? 君みたいなのは、真っ先に用済みになるんじゃない?」
——!
そうまで言われて、さすがに僕も内心穏やかではいられなかった。確かに、彼の言う通りになる可能性はある。先ほど、エリオットに同じようなことを言われた時は冗談半分に流せたが、今は笑い事では済まされない。具体的な将来設計を示さなければ、この嘲笑と侮辱の場から抜け出せないかもしれない。焦燥感に駆られながらも、なんとか平静を装い、咄嗟に思いついた言葉を口にする。
「……そうなったら、また軍隊に戻る道を探します」
それを聞いたヨブは、射抜くような鋭い視線で僕のステラリンクが付いた手首と僕の目を交互に見やり、フンと鼻を鳴らした。そして、さらに追い打ちをかけるように言った。
「でも、軍隊だって、もはや安泰とは言えないんじゃないかな?だって、あのH・ゲートとやらの問題、いまだにアメリア軍は有効な対策を打ち出せていないんだよね?国民の間には政府への不信感が蔓延しているし、その隙間を縫うように地方政党が勢力を拡大している。もしかしたら、近いうちに軍隊そのものが解体されるなんて話だって、あり得ない話じゃないのか?」
——まさか、そんなことまで……。
彼の言葉は、僕にとって完全に不意打ちだった。軍隊すら安泰ではない。 そんな事態になれば、僕は一体どこへ行けばいいのだろうか? 自分の将来がまるで濃い霧に閉ざされたように感じられ、思考が停止しそうになる。
僕は不安を隠せないまま、苛立ちをぶつけるように反論した。
「だ、だとしたら、君のオーチューバーだって安泰とは言えないだろう⁉ 飽きっぽい視聴者は常に新しい刺激を求めている。いつ、もっと過激で面白いチャンネルが現れて、君のチャンネルなんか見向きもされなくなるか分からないじゃないか?」
僕の反論は、明らかに的外れで、焦りから出た虚しい響きを伴っていた。案の定、ヨブは鼻で笑い、まるで全てを予測していたかのような余裕の表情で、僕を見下した。撮影は一時中断されたが、ヨブの目は獲物を捉えた肉食獣のように、僕から一瞬たりとも離れなかった。
「ふ~ん俺の場合は心配ないね」ヨブは自信たっぷりに言い放つ。
「それに、僕のチャンネルの優位性はしばらく揺るがないだろうね。なぜなら、俺のチャンネルは、日頃から社会に対して鬱屈を溜め込んでいる視聴者層に向け、暴力という彼らが最も求めるコンテンツを提供しているからさ。今の時代、残念ながら金のない人間は自分の力だけでは世界を微塵も変えられない。だが、もしそんな彼らが現実でその憤りをぶつければ、すぐに警察に逮捕され、惑星アレアの監獄送りが待っているだけだ。だから、彼らは僕のチャンネルで安全に、そして手軽に暴力的なコンテンツを消費し、彼らの心のバランスを保ってやるのさ。この国全体の格差が解消されない限り、俺のビジネスモデルは絶対に廃れることはないだろうね」
——なんて冷酷で、歪んだ思想をもった男だろうか……。
心の中で足踏みをする。確かに、彼の分析は冷徹で、ビジネス戦略としては的を射ている部分もあるのかもしれない。しかし、やっていることは、人々の負の感情を煽り、それを金儲けの道具にしているだけだ。そんな行為は断じて許されることではない。
僕は深い怒りと嫌悪感に苛まれ、ヨブを睨みつけた。すると、ヨブはまるで僕の心の内を読み取ったかのように、薄笑いを浮かべ、ポケットから小さなリモコンのようなものを取り出した。彼はそれを軽く宙に放り、掌で受け止める。その動作を、僕の苛立ちを煽るかのように、何度も、何度も繰り返した。
「結局、君がこんなことになってしまったのも、全部自分のせいなんだよ、しょうがない。努力が足りなかったから、今の君はこうなったんだ。だけど、俺は優しいからさ。社会のお荷物になりそうな君に、特別にとっておきの社会貢献のチャンスを与えてやるよ」
宙に浮いたリモコンを横から素早く掴み、僕の手に押し付ける。
「さあ——今こそ、あの密室に閉じ込められた哀れな男に、最後の審判を下してもらおうか。そのボタンを押せば、エアロック内の酸素供給は完全に停止する。実に簡単な仕事だろう? これで君も、ただの持たざる者ではなくなる。経済を動かす歯車として、いや——影響力を持ったひとりの人間として、たとえばそうだな……インフルエンサーみたいに、社会に貢献できるってわけだよ。まあ、社会に影響を与えるほどの力は持たなくても、ひとまず『小金持ち』として、不自由なく生きてはいけるけどね」
かつて、彼らが教室という閉鎖空間で行っていた陰湿ないじめを、今度は大勢の観衆の前で、堂々とエンターテイメントとして実行し、さらに僕にその引き金を引けというのか? 想像しただけで、全身から力が抜け落ち、底なしの怒りと絶望が、冷たい刃物のように深く胸に突き刺さる。そんなこと、できるはずがない。断じて。僕は首を激しく左右に振り、拒否の意思を明確に示そうとした。だが、その瞬間、ふと見てしまった。分厚いガラス越しに捉えたスタッフの顔が、恐怖と懇願で見る影もなく歪んでいるのが目に焼き付いてしまった。彼の目は絶望の青色に染まり、全身は生まれたての小動物のように痙攣し、今にも意識を失いそうだった。かつて教室で見た、ロン毛の青年の怯えた姿が鮮明に蘇り、目の前のスタッフの顔と交互に、僕の脳裏に苦痛の映像としてフラッシュバックした。
——僕にはどうすることもできないのか? このまま見ているだけなのか?
世界への深い落胆と、無力な自分自身への激しい嫌悪感に苛まれ、指先が震える。それでも、他に選択肢はないのかと、追い詰められた僕は、仕方なくボタンに指を伸ばそうとした、まさにその時だった。
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