第15話 ロミとエリオット④
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カリスト・トーラスの中心部。そのさらに下層に広がる空間は、宇宙体験場として特別に整備されている。そこの地面は、まるで第一衛星ルリスを彷彿とさせる、無骨な灰色の砂礫と岩が広がる荒涼とした場所だった。そして、頭上には真空の宇宙空間がどこまでも広がっている。そして僕らは、エヴァンさんと案内役のエリオットが迎えに来るのを今か今かと待ちわびていた。彼らが到着するまでの間、僕は仲間の四人に宇宙服の操作方法を改めて説明していた。周囲には、楽しげな観光客たちの姿も見えるのでクレアは、待ちきれないといった様子で、既にスロープと姿勢制御装置を操作し、重力から解放された空間を存分に楽しんでいた。スレイとリアンも、宇宙服の扱いに慣れたのか、まるでベテラン作業員のように、自由自在に動き回っている。
一方、ロミは少し様子が違った。兄のエリオットとの再会を前に、どこか躊躇しているようだ。エアロックから続く通路をじっと見つめ、僕の後ろに隠れるように立っていた。心配になった僕は、ロミに優しく声をかけた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。自然体で話せばいいんだ。エリオット兄さんも、ロミのこと嫌いなわけじゃないんだから」
「……うん、分かってる」
ロミがそう小さく呟いた直後、エアロックからエヴァンさんとエリオットが、僕たちと同じ宇宙服姿で現れた。エリオットは僕の正面に立つと、周囲を素早く見渡し、全員が集まっていることを確認してから口を開いた。
「皆さん、大変長らくお待たせしました」
エリオットの声が、少しばかり硬い響きで空間に落ちた。
「先ほどエヴァンさんと話があったため遅れてしまい申し訳ございません。これからこの施設をご案内します。ゆっくりと私についてきてください」
エリオットはそう言って、僕らを先導し始めた。ロミは、まだエリオットを意識しているのか、僕の後ろから離れない。時折、エリオットは弟のことが気にかかるのか、後ろを振り返るのだが、その度にロミは僕の背に隠れてしまう。
最初に僕らが案内されたのは、まるで巨大な建造物が横倒しになったかのような、途方もなく大きな天体望遠連環の基地の一つだった。無機質な金属の壁がどこまでも続き、かすかに機械の駆動音が響いている。基地の中に入り、冷たい通路をしばらく進むと、広大な空間に出た。そこには、多くの配線が綺麗に放射状に張られた、巨大な円盤状の受信装置が鎮座していた。部屋の中央には、磨かれた金属の塊のような受信機が鈍い光を放っている。エリオットは、その巨大な受信装置に近づき、重厚な質感の表面に手を触れながら、僕らに向って説明を始めた。
「こちらは、観光用の巨大通信望遠連環の受信装置です。この恒星系各地に設置された望遠連環から、赤外線、可視光線など、様々な波長の光を集め、合成することで、人間の目には見えない領域まで、リアルで鮮明な宇宙の姿を遠くまで捉えることができるのです。さて、そこのお嬢さん、こちらへどうぞ」
クレアは、自分が呼ばれたことを察すると、嬉しそうな表情でエリオットの元へ駆け寄った。エリオットは、クレアを受信装置のそばに立たせると、受信装置のパネルと、クレアの手首のパネルを操作した。すると、受信装置のパネルとクレアの目の前に、望遠鏡からの映像が映し出されたようで。クレアは、その映像を見て、目を輝かせている。
「わあ、何これ? 小さいけど、青くて、なんだか暖かそうな光は?」
「これは、かつて先導者エリオスがいた星、チキュウです」
——ああ、これが以前、エアリアさんが授業で話していたチキュウか……。
僕らは手首のパネルを操作し、クレアが見ている映像を共有した。そこに映し出されたのは、僕らの故郷エリシアを思わせる、ぼんやりとしながらも息をのむほどに美しく、輝きに満ちた星だった。
「これは、いつ頃の映像なんだ? もう、このチキュウという星は存在していないんだろ?」
エヴァンさんが問いかけると、、僕はその事実に少し心臓が跳ねた気がした。
「ええ、今、目の前に映し出されているのは、約四〇億年前のチキュウの姿、我々の住む星から四〇億光年離れている地点の光だとされています。この望遠鏡で見ている、青く輝く美しい星は、まだ若々しかった頃のチキュウなんです。現在のチキュウがどうなっているか、直接観測することは叶いません。ですが、かつてこの星にも我々と同じように人間が住み文明を築いていたのです」
「そこでも、エリオス様が昔活躍していたのよね?」
クレアが画面から目を話し、ニコニコしながらエリオットに話しかける。
「はいそうです。クレアさんよく知っていますね。エリオス様が彼らに知識や技術を与えることで人類は長い期間をかけて進化し、新たな領域へと飛び立ってい行くことができたのです。そして現在、エリオス様は様々なチキュウ型惑星を経て、われわれの恒星系へ来たというわけです」
クレアはエリオットから褒められて御機嫌が良くなっていたようだった。それよりも僕は、本当にエリオス様が人類を導いていたという事実、そこから感じる高揚感を映像を見ることで噛みしめていた。
「——しかし、どんな星も、永遠に同じ姿ではない、ということだけは確かです。かつて奇跡の星、と呼ばれるチキュウでさえ、星としての寿命があり、いつかは環境が大きく変化し、生命が住めなくなる時が来る。私たちが所属する『真護会』は、この宇宙の壮大な時間の中で、星々が生まれ、そしていつか終わりを迎える、その大きな流れがあることを皆様にお伝えすることも、大切な役割と考えているのです」
エリオットが真護会にも所属していることを知ったが、今は、それほど気にならなかった。ただ、僕はエリオットの話に、深く聞き入っていた。
「続いてですが、本格的に宇宙の不思議に迫りましょう。こちらをご覧ください」
とエリオットが告げると、再びクレアの映像がパネルに映し出された。先ほどのチキュウとは全く異なり、眼前には異様な光景が広がっていた。中央には、まるで空間が歪んで黒く塗りつぶされたかのような、ぽっかりと空いた口があった。しかし、その黒は単なる暗闇ではなく、周囲の星々の光さえも吸い込み、飲み込むかのような圧倒的な存在感を放っていた。その黒い円盤の周囲には、歪んだ星々の光がリング状に取り巻き、不気味さと魅惑的な美しさが同居していた。
「これは……一体何なの? 先ほどの星とは全然違う……」クレアの声は興奮から一転、戸惑いと憂慮を帯びた。当然の反応だろう、目の前の光景は、穏やかで美しい宇宙とはかけ離れているからだ。しかし、エリオットはクレアや他の子供たちの反応を見て、満足げに頷きながら説明を続けた。
「これはブラックホールを捉えた映像です。ブラックホールは非常に強い重力を持ち、光さえも脱出できない天体なんです。本来、可視光線ならば真っ暗に見えるはずですが、周囲のガスや塵がブラックホールに引き寄せられ、高温の降着円盤を形成するため、Ⅹ線をはじめとする様々な波長の電磁波を放射し、こうして観測されるのです。何かここまでで分からないことは?」
子供たちはエリオットの説明が難解で、少々困惑した様子だったが、珍しくスレイが疑問に思い質問をする。
「エリオットさん一つ質問いい? 何で天体名なのに穴っていう名前がついてるの?」
エリオットはスレイの疑問に素直に答えた。
「確かに、スレイさんの疑問はもっともですね。実は、ブラックホールという名前は、後から付けられたものなんです。元々は、光さえも脱出できないほど重力が強い天体があるという理論的な予測があったのですが、その当時は名前がなく、実際に観測でそれらしき天体が見つかった時に、その特徴から『ブラックホール』と名前が付けられたんです。実際には、ブラックホールはただの『穴』ではなく、ものすごく高密度で重たい天体。穴という名前は、あくまでもイメージなんです」
エリオットはスレイがふーんと理解したのを確認すると、パネルを操作しながらさらに続けた。
「特に、クレアさんが今ご覧になっている映像は、事象の地平面、すなわちブラックホールの境界線のすぐ外側を映したものです。この今見えている黒い円盤こそが、事象の地平面の影、ブラックホールシャドウと呼ばれる現象であり、その周囲を取り巻くリング状の光は、降着円盤が強大な重力によって歪められた結果、光が曲げられる重力レンズ効果によって生じたものです」
クレアは、目の前の映像に釘付けになりながら少し困惑するように呟いた。
「その、じゅうりょくで光が曲げられるなんて……まるで映画みたいだね」
「ええ、言葉や画像ではなかなか伝えきれないでしょうが、まさに皆さんが思うようにSFの世界そのものです。しかし、これは紛れもなく現実の宇宙の姿です。ブラックホールの重力は、時間と空間を歪めると言われています。この映像は、その歪みを視覚的に捉え、宇宙の神秘と驚異を感じさせる貴重な記録なんですよ」
エリオットは望遠連環のパネルを操作し、映像をさらに拡大する。黒い塊のようなブラックホールシャドウの輪郭が一層鮮明になる中、彼は続けた。
「さらに、このブラックホールシャドウの内部、事象の地平面の向こう側は、私たちの宇宙とは全く異なる物理法則が支配する未知の領域と考えられています。もしかすると、そこには、私たちが想像すらできない別の宇宙や次元が広がっているかもしれませんね……。さあ、どうでしょうかみなさん。宇宙のダイナミズムを望遠鏡で体験してみて」
「面白かった!ありがとうエリオットさん」
「エリオットさん詳しい解説ありがとうございました」
クレアとスレイは各々返事をする。
「ただ、すいません。皆さんには少々難しい話をしました。しかし、これらの謎を解明していくのが、これからあなた方を含めた私たち次世代に託された大いなる使命なんです。宇宙の仕事に興味ある方は頑張ってください」
その言葉に、ロミはこれまでうつむいていた視線から顔を上げ、どこかぱっと明るい表情を見せた。
「さて、説明は以上です。これからは、皆さんもこの望遠鏡を使って自由に宇宙を探索してみてもいいですし、各場所で様々な体験ができるよう、一時間ほどの時間を設けておきます。ぜひ、楽しんできてください」
エリオットの説明が終わると、僕たちはそれぞれ思い思いの場所へと散らばっていった。
クレアは、いつもの三人でどこかへ行こうとしたものの、ロミの気持ちを察したのだろう。リアンとスレイを連れて、そっと別の方向へと歩き出した。
ロミは、一瞬どうしようかと迷うような素振りを見せた後、意を決したようにゆっくりと、しかし真っ直ぐにエリオットの方へ歩み寄っていった。僕は彼らの様子を見ながら、広々とした宇宙空間を見渡せる場所に腰を下ろした。地面は砂や礫で覆われ無骨な様相だった。だが、宇宙服のナノマシンが形状適応し、意外にも心地よく座ることができた。そうして落ち着くと僕は遠くから二人の様子を見守ることにした。
ロミとエリオットは、先ほど僕たちが見ていた天体望遠連環を並んで覗き込み、少しぎこちない様子だが二人で天体観測を楽しんでいる。あの望遠連環は、確かに非常に高性能で遠くまで見える。けれど、宇宙の始まり、特にインフレーション以前については、現在の物理学では原理的に観測に限界がある。インフレーション理論は強力だが、その開始以前は未解明だ。人間の視覚も電磁波のごく一部しか捉えられないように、たとえ他の波長の光を捉えることができたとしても、宇宙の本質の理解には新たな観測方法の発見が不可欠となる。そんな野暮なことを思いつつそれはそうと、それでもロミとエリオットの間にあったわだかまりが、ほんの少しでも解消されたのなら、それで充分だと僕は安堵しながら、視線を空へと向けて宇宙を見上げた。
久しぶりに見上げる宇宙は、やはりどこまでも広大で、ただただ何もない。それでも地上で見上げる夜空よりもはるかに多くの星々が瞬く。様々な大きさや色の恒星、尾を引く銀河雲、そして大小さまざまな淡く青い光雲が漂っていた。
——やはり……。
僕はおもむろにステラリンクで視覚を拡張する。すると、淡い光雲が瞬時に半透明化し、内部に隠されたおびただしい数の巨大建造物が、設計図のように浮かび上がった。宇宙戦艦、軌道兵器、そしてコロニーなどが。それらの端は極小の金属光が細胞分裂するかの如く煌めき増殖。構造物を創造していく。近年のH・ゲートの件でアメリア軍の活動が活発化している事実が改めて認識できた。
しばらくして視覚拡張機能をオフに戻した。淡い星空を見ながら僕はふと考える。
こんなにも無機質で、危険に満ちた空間に、人間はどうしてこうも惹かれてしまうのだろうか?何故、抗おうとするのか?豊かな食糧さえあれば、ただ生きていけるはずなのに、何故、富を奪い合い、他人よりも優位に立とうと、絶えず争いを繰り返してしまうのだろうか?もしかすると……人間には、単なる生存欲求だけでは説明のつかない、何か別の、もっと根源的な目的があるのかもしれない——そんな、どこか現実離れした空想に耽っていると、いつの間にかロミはエリオットと別れたらしく、クレアやスレイ、いつもの三人組にリアンも加わった四人で、楽しそうに宇宙を眺めていた。そして、入れ替わるようにエリオットが僕の隣に腰を下ろし、公務とは違い砕けた様子で話しかけてきた。
「どうだい、久しぶりの宇宙は?」
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