第1話 暗雲の中で②
7期 中旬 昇恒9時00分
天気:曇り時々晴れ
場所:アメリア軍のシンの寮
結局、僕は五期九日にあった士官学校の卒業式には参加しなかった。周りが祝福モードの中、僕だけが憂鬱な気分でいるのはうしろめたいし、何よりも悔恨の気持ちを抱えたまま友達に会うのは気が引けるからだ。結局、僕はその日一日中、部屋でだらだらとネットサーフィンをして過ごしていた。両親への結果の連絡や日常的な会話もあの日以来全くと言っていいほどしていない。別に彼らと仲が悪いわけではないが、彼らはそもそも……。
つらいことはあった、ただ、僕の高校時代の成績が一定に達していたので、国立アメリア連邦防衛大学(略称: AFDU)に進学できることは幸いな事実だ。同大学はアメリア連邦国が設立した。一般人も入学することが出来る古き良き歴史と格式、最新設備も備わった軍大学で、士官学校を卒業した隊員はアメリア軍に所属し、授業を受けながら過ごす。AFDUのキャンパスは、広大な敷地を有し、最新鋭の訓練施設と歴史を感じさせる巨大かつ重厚な建物が混在している。新入生たちは、厳しい訓練と学業の両立を求められる。朝は早朝から起床し、体力錬成や基本教練に励み、その後は教室で専門科目を学ぶという、分刻みのスケジュールが組まれている。規律を重んじる厳しい環境は、自由な大学生活を夢見ていた僕にとって、少なからず戸惑いを感じさせるものだが、軍隊は一応公務員に属しているので将来はある程度安泰だ。
僕は数期前に大学の寮に引っ越しており、僕のものぐさな性格もあってか、自室は未だ引っ越し用の箱が散らばっており汚いが、衣裳棚からアメリア軍で自身が所属する機関の制服を取り出す。僕が所属する機関はアメリア連邦総合領域防衛機関【Amelia Integrated Domain Defense Agency】、略称は組織の頭文字からIDDA、または昔の名称から空軍と呼ばれている。僕は鏡の前に立ちワイシャツ、グレーのパンツを着用しネクタイを締めた後、ネイビーブルーのジャケットと最後に大学に入って最初の階級章を付けようとする。
「……」
僕はそこで、一瞬バッジを付ける手を止めた。今の僕の階級は伍長であり、バッジには所属する空軍の青い三つの星が配される。一方、試験をパスした幹部候補生たちは少尉から始まり、ブロンズの星を三つ付けている。この先の人生が悪い意味で決定づけられ、視界が閉ざされたかのように感じられた。これまで、知りたくない情報には意識的に蓋をしてきた僕だったが、久しぶりに、試験に不合格だったことによる階級差をまざまざと思い知らされ、数秒間、逡巡してしまう。
——!
しかし、ふと目に入った壁時計は昇恒九時三十五分を指していた。式典は十時から始まる。僕は慌てて紋章を付け、靴を履きながら、頭の中で時間から逆算を始めた。ここから出発し、スクーターっで十五分、その後さらに徒歩で五分。なんとか、ぎりぎり間に合う計算だ。僕は急いで玄関の扉を開け、外へ飛び出した。
何とか、式典開始五分前には会場に到着できそうだった。僕はフレモに表示されている時刻を確認しながら、目の前の横断歩道で信号が変わるのを待っていた。ふと頭上を見上げる。するとそこには快晴の空、そして僕を突き刺すような日光が降り注いでいた。しかし、その眩しいほどの日光は、まるで僕の心の奥底に溜まった鬱屈を嘲笑うかのようだった。さらに追い打ちをかけるように季節外れの寒さが肌を刺すように感じられる。
——たぶん……もう皆、会場にいるはずだ。
僕が式典にぎりぎりの時間に行こうと決めたのは、偶然でもあったが、半ば意図的でもあった。本当は、キャリア組の試験に合格した彼らと顔を合わせたくなかったのだ。できれば会場の後ろの方の目立たない席で……いや、そもそも式典には参加したくなかった。これからアメリア軍に入るために必要な資料を受け取るには、参加が必須だったから仕方なく参加したのだ。
これから会場に行って彼らの将来への希望に満ちた晴れやかな顔を見るのは、今の僕にはあまりに酷だった。努力が報われた彼らは勝者であり、僕は敗者。そのまざまざと見せつけられる差に、耐えられそうになかったのだ。
しばらくして横断歩道の信号が青に変わり、横断歩道を渡り終えた時だった。そのとき、不意に、何か細い指先で横腹を軽く突くような、くすぐったい感触が、制服の上から伝わってきた。
「久しぶり、シン君……」
聞き覚えのあるやさしく、おしおやかな女性の声、ふいに横を見ると。いつもの勉強仲間の一人が立っていた。
漆黒のショートボブ。輪郭は線的で、シャープな印象を与えるたまご型。濃いブラウンの二重まぶたで、寝起きの子猫のような柔らかさがある印象的な目を携えている。小ぶりだが筋の通った小鼻は、全体の顔立ちと調和し、薄い唇は霧のように神秘的な印象を与えている。僕と同じネイビーブルーのジャケット、長い足を強調するようなグレーのスラックスと、少し踵の高いパンプス。久しぶりに会った彼女は軍隊向けに少し短くしたのか、ベリーショートに近い髪型になっていた。
彼女の名前はイリア。ジャンに次ぐ秀才だがいつも、静かでメンバーの中でも自分から積極的に関わらない、鞄についた飾り物のように、目立たず、しかしそこにいてくれる安心感が不思議とある女性だった。
しかし、それよりも僕の目を奪ったのは、彼女の左胸に光る紋章だった。一瞬だったが、見間違えるはずもない。銅の星が三つ——それは少尉の階級章。意識して気にしないようにしていたものの、その紋章が目に入った瞬間、彼女と僕の間に越えられない壁が確かに存在するのだと、まざまざと感じさせられた。しばらく引き寄せられるように長く、彼女の胸元を凝視していると。頭上から、彼女のか細い声が聞こえてきた。
「ちょっと……少し、目を離してくれないかな……胸から……」
「あ……ごめん」
確かに彼女の胸は、平均的な女性よりも少し大きい。だが、僕は決して下卑た目的で見ていたのではない。そのことは彼女に察してほしかった。だから、彼女の誤解を避けるため、僕は慌てて彼女から視線を逸らした。
案の定、気まずい沈黙が僕らの間に落ち、再び季節外れの寒さが肌を刺し、なんよりとした汗が表皮に張り付いて、一層気持ち悪さを増した。しばらく僕とイリアは、無言のまま入学式の会場へと向かっていた。頭の中では、この空白を埋める言葉を探しているのだが、適当な言葉が見つからない。ただ、時間だけが過ぎ、会場はもうすぐそこだ。会場に着けば、僕たちはキャリア組とそうでない組に分かれてしまう。僕は、この重苦しい空気を何とか打破しようと意を決し、ありきたりな質問を投げかけた。
「最近、調子はどう……イリア?」
「——うん、普通……」
一拍、沈黙で間が開く。
「最近、何か楽しいことでもあった?」
「——何も、ない……」
「皆とはどうしてるの?」
「——最近は……あんまり、会ってない、かな……」
「最近本とか読むの?士官学校時代はよく読んでいたから……どう?」
「——最近は……読んでないかな……」
「うーん……、士官学校卒業してから最近ハマってることとかは?」
「——特には……」
「そっか……」
このままでは埒が明かない。イリアが明確に応えられるような何か、ささやかな糸口となる質問を、僕は少し時間をかけて探した。
「今日の朝食は、何か食べた……?」
「——何も……」
——何も食べていない?どうしてだろうか。
僕は少し疑問に思い、さらに尋ねた。
「昨日は、何をしていたの……?」
するとイリアは一瞬、言葉を探すように口を噤んだが、ゆっくりと蕾のような口を開き、静かに答えた。
「——昨日は、おばあちゃんの慰労会に参加していたの……」
——!
理由を聞いて、とてつもなく重たい空気が流れ込み、僕はそれ以上質問する気力を失った。
——でも、何とか少しでも会話を続けなければ……。
そう思い直し、僕は口を開こうとした。「とにかく、これから一緒に頑張っていこう」と。しかし、その時、視線を戻すとさらさらとした長い黒髪をなびかせた、しとやかな雰囲気の女性が、イリアの隣にすっと並び歩いていた。そして彼女はイリアの胸元あたりをちらりと確認し、少し微笑んで話しかけた。
「あなたも、キャリア組……? しかも……同じ空軍なのね。一緒に会場に行かない?」
イリアはその言葉に、張り詰めていた表情をわずかに緩め、解放されたように小さく頷き、その女性の方へゆっくりと歩み寄った。長い黒髪の女性は、僕の胸元にある紋章を一瞥し、遠慮がちに言った。
「あなたは……また、何か機会があったら、よろしくお願いしますね……」
彼女が来たことで、幾分か場の空気が和らぐかと微々たる期待をした。だが、実際には一層気詰まりな雰囲気になってしまった。長い黒髪の女性とイリアは、その空気に居心地の悪さを感じたのだろう。女性が歩き出すと、イリアは僕にほんの一瞬だけ目を向け、すぐに彼女と共に会場へと歩いて行った。僕は最後に何か一言声をかけたかったが、雰囲気的に何も出来なかった。仕方なく僕は去っていくイリアに対して、額の横まで軽く手を上げ、挨拶の意を示した。彼女はそれに応えるように、小さく同じような動作を返してくれた。
彼女たちと別れて一人になった僕は、再び会場へと歩き出していた。一人に戻ると、先ほどの重苦しい雰囲気から解放され、いくらか爽やかな気分になった。元々友人が少なかった僕にとって、数期前まで共に切磋琢磨していた勉強仲間たちの存在は、今となっては温かく、なぜかとても懐かしく感じられた。彼ら抜きでこれからどう生活していけばいいのか、まだ見当もつかない。だが、先のことをあれこれ案じても仕方がない。とにかく今日は入学式を無事に終え、早く家に帰ってくつろぐことだけを考えよう。そのささやかな希望を胸に、僕は歩を進めた。しばらく一人で歩いていると、やがて入学式が行われる巨大な施設が、その全貌を現し始めた。
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