第14話 明日への礎⑥
一方会場では、ライアンと彼女の登場を待ちわびる人々で、一段と賑やかになっていた。司会者の優しい声がアナウンスする。
「皆様、大変お待たせいたしました。本日の主役、ライアン、そして、ミリーの登場です!」
手作りの簡易的な幕が上がると、ライアンと、少し緊張した面持ちの落ち着いた彼女が現れた。彼女は小さな赤ちゃんを優しく抱いている。赤ちゃんの顔はまだよく見えないが、その小さな体を守るように抱きしめる姿は、既に母親としての愛情に満ち溢れているようだった。 会場からは、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。祝福ムードは最高潮に達し、誰もが笑顔で二人を見守っている。ライアンは少し照れくさそうに笑いながら、彼女と赤ちゃんに優しい眼差しを向けていた。その光景は、温かい空気に包まれていた。 その瞬間、僕の胸の奥底に、今まで感じていた鬱々とした思いが、さらに濃く、そして重くのしかかる。周囲の祝福の拍手が、まるで僕の心臓の鼓動を加速させているかのようだ。なぜだろう、こんなにも心がざわつくのは。ライアンの幸せを、素直に喜べない自分がいる。
——僕は、一体何を拗ねているんだ……?
冷静になろうと努めても、感情の波は激しくなるばかりだった。リアンとの会話が頭をよぎる。社会の仕組み、彼の将来への不安……。頭では理解できた。でも、心は納得していない。いや、本当は納得したくないのだ。 ふと、自分の心を見つめ直してみる。ライアンと自分を比べるように。 ライアンは、もう父親になる。一家の主として、自分の足でしっかりと大地を踏みしめ、未来を切り開いていくのだろう。農家を継ぐという、確固たる道を選び、迷いなく進んでいる。その決意と覚悟は、力強い。 一方、僕はどうだろうか。安定を求めて軍隊のキャリア組を選んだものの試験に失敗、そしてH・ゲートに巻き込まれて、ここでエアリアさんやエヴァンさんの手伝いをしている。これらは全て与えられたものだ。自ら選択していない。自らが作り上げた……いや、他人から与えられた秩序の中に囚われている。
——もしかして、僕は、ライアンに……?
その考えが頭をよぎった瞬間、雷に打たれたように、ある感情が胸を貫いた。僕はあの時を思い出した。キャリア組の試験に落ち、皆が電子掲示板を見る中、僕の横を通り過ぎていく皆の姿がスローモーションに見えた。
——あの時と同じ感覚だ……。 みんなに置いて行かれる。僕だけが取り残されるような、胸が引き裂かれる思い。そう思うと、どうしようもなく不安が募ってきた。周りの手拍子が、考えていた以上に大きく、速く押し寄せ、現実を突きつける。僕はどうすればいいか分からず、しばらく、ただ茫然と彼らの晴れ姿を見つめていた。
式典が終わり、人々は思い思いに目の前の円卓に並んだ豪華な食事を楽しんでいた。僕は一口も喉を通らず、ただ皆の様子を観察していた。楽しそうに笑い合う人々。ご近所さん、エヴァンさんはご近所の方々や、いつもお世話になっているライアンの両親と話している。子供たちは遊んでいたり、クレアやロミはミリーさんが抱えるライアンの赤ちゃんをあやそうと、様々な工夫を凝らしていた。先ほど僕と話していたリアンは、スレイと何やら話し込んでいる。エアリアさんは遠くでただ一人、腕組みをしながら皆の様子を立ち見していた。そんな光景を前に、なぜか僕だけが場違いな気がして、ただ、ぼうっと水を飲み、心を落ち着かせようとしていた。すると、僕の様子を気にかけてくれたのか、ライアンが近づいてきた。
「どうだい、今日の祝いは?」
にこにこしながら聞いてくるライアンに、僕は本心を誤魔化しながら答える。
「——うん、ま、まあ、楽しいよ……」
ライアンは僕の様子を訝しげに見て、首を少し傾げた。
「なんだか、腑に落ちないなあ。本当に楽しんでる?」
じろじろと見つめられ、僕は自分の心を覗かれているようで居心地が悪かった。しかたなく僕は観念して溜まっていた思いを投げつける。
「——どうしてライアンは子供を産んだんだ? 本当に先のことを考えているのか? これから自分の時間も減って、子供の世話に追われるようになるんだぞ! それでもいいの……⁉」
彼は、僕の面倒くさそうな質問に少し嫌な顔をした。
「やあねえ、ちょっと言い方悪いんじゃねえか? 別にいいさ、、うちらはちゃんと愛し合っとるし、子供のこともちゃんと育てるさ。子供はこれから大きくなっていくんだろ? それで、自分がやったことが未来に繋がっていくのは、すごく嬉しいもんじゃんねえか」
僕はライアンの言葉に少し気圧された。
「そ、それはそうだけど……じゃあ、僕はこれからどうしていけばいいんだろうか。君のように、何も自分で役割を見つけることが出来ない僕は……」
「大事なのは情熱だに! 自分がやってて、胸にぐっと来るような……。誰かの役に立つようなことじゃなくてもいいから、ただひたすら自分が夢中になれることをやってけばいいんだよ! シンはまだきっと見つからんかもしれんけどさ、焦らなくていい。ちょっとずつ何かに挑戦していけば、きっと君にも未来に繋がるような役割が見つかるさ、だからそんなにシンは落ち込むことないって」
——!
僕はその言葉を聞いて、はっとした。以前ソフィー皇王女にも言われた、まさにその言葉をライアンも口にする。再び現実を突きつけられ、改めて自問する。僕は一体何のために、ここまでやってきたのだろうかと。エアリアさんやエヴァンさんから与えられるものだけで満足していた自分。しかし、本当に大切なのは、自らやるべきことを、自身の力と意志で掴み取ることではないのか。そんな根源的な問いを突きつける人生の先輩ライアンが、今はひどく眩しく見え、余計に自分が惨めに感じられた。
「ライアン。僕の些末な話を聞いてくれてありがとう、また会った時はよろしく」
「いや、そんな些末な話じゃないさ。こちらこそ、色々な話聞けて楽しかったよ、ありがとう。今度会った時は、僕の子供もよろしく頼むよ」
「わかったよ。じゃあ、また」「またね」
ライアンは僕との会話を終え、再びミリーさんのところへ戻り、自分の子供と戯れていた。紅掛空色を背景にしたその眩しすぎる光景に、僕はささやかな妬ましさを感じた。どうにかしてこの鬱屈した気持ちを和らげたい。自分と同じような状況にいる人と、考えや空気感を共有したい。そう思い、あたりを見渡すと、人の輪から少し離れた円卓の端に、エアリアさんが物思いに耽っているのが見えた。僕は彼女にそっと近づき、話しかけてみた。
「——どう思います、エアリアさん?一六歳で子供を産んで、育てるんですよ……。僕には、たとえ愛する人がいても、そんな覚悟、とても持てないです……」
するとエアリアさんは、温かい空気に満ちた会場を見つめながら、かすかに口を開き、思案するようにぽつりとつぶやいた。
「まあ……そうねぇ~~。それは……大変そうよねぇ~~……」
いつもより元気がないように見えた彼女の様子に、僕は心配になった。
「エアリアさん、大丈夫ですか?少しぼうっとしているように見えますが、水を飲みますか?」
「あぁ……大丈夫よぉ~~。ここにお酒はあるし、十分水分は取ってるわぁ~~……」
彼女の頬はほんのりピンクに染まっていて、どうやら少しどころか、かなり酔っているようだった。
「でも、これだけ飲んでいるんですし、少し水を飲んだ方がいいですよ。僕、急いで持ってきますね」
「ありがとうねぇ~~、シン……」
僕は急いで水を汲みに行き、彼女のそばに置いた。エアリアさんは朧げな手つきでそれを受け取ると、酒を飲むかのように豪快に飲み干し、そのまま力尽きたように机に突っ伏してしまった。
「またやっちゃったよ……。もう何度目なんだ、エアリアちゃん。公共の場でだらしがないんだから……」
彼女の醜態に気づいたのか、レーアに続いてエヴァンさんが駆け寄ってきた。二人は協力してエアリアさんの肩を抱え、温かい雰囲気を醸し出す会場にいる皆から見えないように近くにあったエヴァンさんの家の壁に背中を預けさせた。
「軍時代もそうだったんだが……エアリアさんは酒に強くない。本人も自覚しているはずなのに、時々何かを思い詰めて飲んで潰れてしまうんだ。何が理由で酒癖が悪くなるのか分からないが……本当に迷惑かけて申し訳ない」
「そ、そうなんですか……」
言われてみれば、エミュエールハウスにいるとき、時折地下室やエアリアさんの自室から酒の匂いが漂ってくることがあった。それがこのことだと、ようやく合点がいった。
「ところでシン。今日は宴会中、酒を飲んだか?」
エヴァンさんの唐突な質問に一瞬思考を走らせる。
——そういえば……。
今日、僕はお祝いどころでなく一滴も飲んでいないことに今さらながら気づいた。
「いいえ、今日は飲んでません」
「それは良かった。この様子だと当然だがエアリアさんは車を運転できないだろう。式が終わったら、シンがエアリアさんと子供たちを乗せてエミュエールハウスに行ってくれ。今日はそこに泊まっていくといい。頼んだよ」
「エアリアちゃんをよろしくね、シン」
そう言い残し、二人は会場へと戻っていった。壁にもたれかかったエアリアさんは、すやすやと眠り不思議と、その寝顔はほほえましくさえ見えた。彼女と気持ちを共有したかったが、この状態ではまともな返事は期待できそうにない。僕は再び椅子に戻り、ぼんやりと皆の様子を眺め続けた。今日は本当に、色々あって疲れた一日だった。
夕暮れが近づき、会場を包む喧騒も、少しずつ静まり始めていた。それでも遠くでは、橙色の明かりがノスタルジックな影を落とし、子供たちの甲高い笑い声や大人たちの穏やかな談笑が、ぬるりとした暖かい風に乗って僕の肌を撫でるようにまとわりつく。僕は席に座ったまま、グラスに残った水をゆっくりと飲む。喉を通り過ぎる冷たい水だけが、今の僕が確かに感じられる唯一の現実のように思えた。ライアンの未来は眩しく、そして確かなものに見えた。それに比べて、僕の未来はまだ、深い霧の中に閉ざされたままだ。どこに向かって歩けばいいのか、何が僕の道なのか、その手がかりさえも見つからない。それでも、霧の向こうには、きっと何かがあるはずだ。今はまだ見えなくても、いつかきっと、僕だけの役割を見つけられる日が来るだろうか?しばらく僕は手の上でグラスをもて遊んでいた。そして、そんな複雑な思いを流すかのように、グラスに残った水を一気に飲み干した。
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