第13話 迷えるロミ④
※ ※ ※
しばらくの間過去の記憶に囚われていると、僕はハッと目の前の出来事に気づいた。
ちょうどその時ラスク、ルマンド、オレオの三人が、ロミに向かってバケツの水をかけようとしていたのだ。バケツの色は薄汚れており、中身がただの水ではないことを確信した。おそらく、先ほどまで何かを掃除するために使っていた洗剤入りの汚水だろう。
——ちょっと……!
そう思い、僕は彼らを止めようと声を上げようとした、その時だった。
突然、僕の胸の前で、淡い青色の種子のようなものが、光を放ち始めた。僕は突然の出来事に全身が固まるとともに、言いようのない不安が押し寄せる。反射的に周囲を見回したが、周りの生徒たちはいつも通り掃除に励んでおり、僕の胸元で青く淡く光る何かに気づいている様子はない。
——もしかして……これは……僕にしか見えていない……?
その事実を不思議に思って見ていたが、ふと目の前に視線を移す。すると視界が、僅かにブレたり、元に戻ったりを繰り返す。まるで、分厚い紙の束をパラパラとめくられているような、奇妙な感覚。以前、H・ゲートに巻き込まれた時にも、同じようなことが起きた。視界の異常と同時に、胸の奥底から、じんわりと温かく、心地良い何かが湧き上がり、体を前方へ引っ張るような、奇妙な力場が胸の中心で渦巻いている。それと共に視界のブレがさらに激しくなり、目の前を覆う、紙のような薄い帯状のものが、幾重にも重なりながら迫ってきた。それは、先ほどまで見ていたものよりも幅広で、すべての優しさを含んだような穏やかな色。例えるならば丸みを帯びた辞書の背表紙のような形状をしている。そんな無数の帯の間を、胸の光が導くように、何かに押し出されるように移動していくと大きな壁の様なものに当たった。
次の瞬間、目の前に広がったのは、信じられない光景だった。
ロミが頭からバケツの汚水をかぶせられ、視界を奪われたのか、方向感覚を失い、床にこぼれた液体に足を滑らせる。そして、そのままベランダの低い手すりを越えて落下していく光景だった。
——……!
僕は思い出した。あの時も、同じような光景を見た。あの時は、寸分先の未来を予見したからこそ、咄嗟に逃げ出し、ジェイコブさんと共に助かることができた。おそらく、あの時も、何らかの力が、僕を未来へと導いてくれたのだろうか。過去の僕は、無力だった。あの場に居合わせても、彼らを救うことなどできなかった。ただ、無力な自分を嘆くだけだった。しかし、今の僕には、臨時教員という地位がある。地位とは、本来、他人よりも優れていることを誇示するためのものではない。力なき者を守るために、与えられた力を使うべきなのだ。だから今、僕は、この立場で得た力を使って、ロミを救うことができる。他人の評価など関係ない。今はただ、自分の善意に従って行動するだけだった。
——今すぐ、何とかしなければロミが危ない!
僕は危機を察知し、猛スピードで駆け出した。
走る。走る。
受ける風は次第になくなり、真空となった世界を突き進む。その間も目の前の現実は刻一刻と迫る。
走る。走る。走る。
しばらくの瞬間だった。まるで時間の流れが止まり、周囲の景色がスローモーションのように変わっていく。僕の心臓の鼓動は高まり、体が揺らめくような少々の違和感は感じた。だが、気にせず歯を食いしばり突き進む。
——やっべ!
叩き落としたバケツからこぼれた汚水が床に広がり、僕は勢いそのままにそれに足を取られて滑ってしまった。勢い余った体は、ベランダの外へと投げ出される。だが、間一髪、軍隊で鍛え上げた反射神経が反応した。ベランダの低い手すりに、ギリギリのところで指をかけ、落下を免れる。しばらくベランダの外に宙ぶらりんになっていたが、僕は全身の力を込めて体を持ち上げ、「ふぅー」と安堵の息を吐きながら、ベランダに這い上がった。
ふと周囲を見渡と、その一部始終を、ラスク、ルマンド、オレオの三人、その他教室で掃除をしていた生徒たち、そしてアレンが、まるで時間が止まったかのように、呆然と見つめている。一方のロミは、何が起きたのか理解できない様子で、怯えた表情を浮かべていた。
僕自身、何が起きたのか、はっきりとは理解できていなかった。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。危険な行為をしようとした三人のことを何とかしなければならない。とにかく、やるべきことを済ませて、早くこの場を離れたい。そう思い、教室の中に戻ろうとすると、アレンが怪訝そうな表情で僕に問いかけた。
「君、今、何かおかしな動きをしてなかったか?」
——何のこと、言っているんだ……?
彼の質問の意図が理解できず、僕は彼を無視し、まずはロミをいじめようとした三人に詰め寄った。
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