第11話 クレアの異変⑤
※ ※ ※
~シンの視点~
気がつくと、僕はあの真っ白な空間に立っていた。またあの不気味なゲートが現れ、僕をまたどこかへ連れて行こうとするのではないか。そう思うと、恐怖で体が強張り、身構えてしまう。しかし、今日は何も現れなかった。安堵と、少しの落胆を感じながら、僕はその空間をあてもなく歩き始める。
——!
しばらく歩いていると、視界の先に、ゼリー状の塊のようなものが見えてきた。興味を惹かれ、僕はその物体に近づいていく。近づくにつれて、その異様な姿が明らかになってきた。それは、何人もの人間が融合しかけているような、しかし完全には一体化していない、おぞましい塊だった。まるで、地面に溶け落ちる寸前の蝋人形のようで。僕は、その塊を、息を殺して観察した。塊からは、無数の声がごちゃごちゃと混ざり合って聞こえてくる。うめき声、すすり泣き、意味不明な呟き……。しかし、その混沌とした音の塊の中から、か細いながらも、芯のある声が、確かに聞こえてきた。僕はその声に全神経を集中させ、耳を澄ませた。
——この声……どこかで……。
聞き覚えのある声。記憶の糸を手繰り寄せると、その声の主が誰であるか、はっきりと分かった。そして、もう一度、塊に目を凝らすと、そこに、クレアらしき存在を見つけた。彼女は、地面に溶けかかっている塊に、今にも飲み込まれそうになっている。
「クレア、大丈夫⁉」
僕は、我を忘れ、彼女に駆け寄り、必死に呼びかけた。するか細いながらも、クレアは確かに答えた。
「——助けて……」
その声は、今にも消え入りそうで、しかし、確かに僕の耳に届いた。僕は、一刻も早く彼女を助け出さなければと、焦がる気持ちを抑えつつ、クレアの形を見定め、そのおぞましい塊の中に意を決して体を突っ込んだ。
内部は、すべての快を敷き詰めたような異様な風景だった。まるで熱く溶けた飴のように、ねっとりと絡みつくような感触は、意外なことに、その感触は、不快であるどころか、僕の心を穏やかにし、温かく包み込んでくれるような、心地よささえ感じさせた。そして僕は、その甘美な誘いに身を委ねるように、ゆっくりと深い場所へと引きずられていく。
——このまま、ここにいてもいいかもしれない……。
そんな陶酔的な考えが頭をよぎり、僕は自身の体が溶け出し一体化しようとする意識に、抵抗することを忘れかけていた。しかし、その時だった。胸の前に、見覚えのあるものが現れた。青白く光る、小さな種子のような光の玉。それは、まるで僕を急かすように、気づかせるように、内から外へと押し出そうとしている。
——そうだ、僕はクレアを助けに来たんだ。
光の玉に導かれるように、僕はハッと我に返り、クレアをしっかりと掴み、力の限り引っ張り出そうとした。最初は強く癒着しており石のように全く動かなかった。むしろ、一体化した塊は更に力を強めクレアをどこかへ誘おうとする。僕はなんとか善処するがついにそんな綱引きの様な状態についに彼らの力に僕は負けそうになった。
——もう駄目かも……。
そう思った、まさにその瞬間だった。僕の右腕から、まるで内なる力が具現化したかのように、幾何学的な美しい樹形図模様が鮮やかに伸び始め、瞬く間に腕全体を覆い尽くした。
——!
さらにその模様はクレアの体を包み込むように広がり、クレアの体は本来の人間の姿に戻った。僕はここだと瞬時に決断し、全ての力を込め引き抜いた。次の瞬間、僕らは塊から放り出された。
「ゲホッゲホ!」
クレアはしばらくの間、水中で溺れかけている人のように苦しんでいたが、やがて息を吹き返し僕に対しておぼろげながら言った。
「——シン、ありがとう……」
僕はクレアが無事に戻ってこられたことに心から安堵した。すると、彼女がふいに僕の胸を指さして言った。
「——ねぇシン、その模様……なに?」 僕は彼女に言われて、初めて自分の体を見た。
——……!
胸にある青く輝く種子のような小さな光の玉から、全身の末端にかけて細かく幾何学的な樹形図模様が広がり、僕の形を保つように覆っていた。最初は驚いたが、すぐに冷静になり、なぜこうなっているのかを考えた。おそらく、この世界では本来、カタチとして存在することができないのだろう。しかし、この模様があるおかげで、かろうじて僕は形を保っていられるのだろうと、なんとなく理解した。
僕たちは手をつなぎ、クレアの足取りに合わせてその塊から立ち去ろうとした。すると、不意に彼女が溶けかけた塊を指さし、心配そうに尋ねてき。
「ねえ、あの人たちはどうなるの、シン?」
僕らは再び彼らを見つめた。彼らは白い空間に溶け込み、平衡を保ちながらゆっくりと、しかし確実に消えていった。彼らがどうなるのか、僕には分からない。
「クレア、僕にも分からない。でも、もしかしたら……」
——どこかにあるのかもしれない……。
しかし、それ以上のことは分からなかった。しばらく彼女と一緒に過ごした後、気づくと僕は目を覚まし、天井を見ていた。
僕ははっと寝具から飛び降り、ドアを開け心臓が早鐘のように打ち鳴るのを感じながら、急いでリビングへと駆け下りようとしていた。ふいに、背後からロミとスレイの足音も聞こえた。二人も同じように何かを感じて飛び起きてきたようだった。それよりも僕の頭の中には、昨日のクレアの変わり果てた姿が焼き付いていた。彼女はかろうじて呼吸をしているのがやっとで、もはや人間と呼べるのかさえ分からないような状態だった。今朝、彼女が生きているのか?不安でたまらなかった。階段を駆け下り、リビングの扉を開けると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
——!
なんと、クレアが元気いっぱいの様子でキッチンに立ち、楽しそうに料理を作っているではないか。
「シン、おはよう!」
僕たちが起きてきたことに気づいた彼女は明るく挨拶してくれた。僕らは彼女のあまりの変貌ぶりに言葉を失い、まるで時間が止まったかのように、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。視線を落とすとリビングのテーブルには、昨日のクレアの看病で疲れ果ててしまったのだろう、エアリアさんが突っ伏して眠っている。静かに差し込む朝の光の中、クレアの元気な声だけが響いていた。
「エアリアさんは起こさないでいいから、そのまま寝かせておいてあげて、疲れているから。さあ、みんな、ぼーっとしてないで座って!」
クレアに促され、僕らは戸惑いながらも、それぞれの席に着いた。テーブルの上には、目玉焼きとウィンナー、味噌汁と白いご飯という、いつもの定番の朝食が湯気を立て綺麗に並べられていた。
「みんな、手を合わせて!」
クレアに促され、僕らはおどおどしながらも、彼女の明るい勢いに押されるように手を合わせた。
「いただきます!」
「「——い、いただきます……」」
僕らは、昨日の憔悴しきり、今にも消え入りそうだったクレアが、まるで別人になったかのように元気な姿でいることを訝しみながらも、目の前の朝食を口にした。クレアはいつもエアリアさんの手伝いをしているため、その手際の良いこと。料理の腕も確かで、朝食はどれも美味しく、僕らは言葉少なに、黙々と食事をすることができた。
しばらくして、張り詰めていた空気を破るように、ロミが大きな声で口を開いた。
「ねぇ、クレアはどうしてそんなに元気なの?昨日、死にかけていたじゃん!なんでなの?」
クレアはふっと息をつき、にっこりと笑うと、僕に目配せしながら人差し指を唇の前に立てた。
「ロミには内緒。これは、私とシンだけの秘密だからね」
その言葉と仕草に二人の視線が、一斉に僕に集中した。僕は突然のことにひどく緊張し、冷や汗が背中を伝うのを感じた
。
「どういうことだよ、シン!一体何があったんだ?はっきり教えてくれよ!」
ロミは鋭い目つきで僕を問い詰め、スレイもまた、訝しげな表情で僕の方をじっと見つめてくる。
——そんなに、二人ともじろじろ見ないでくれ……。
昨晩のあの奇妙な夢の中で起こった出来事は、本当にクレアと何か関係があるのだろうか?あのどこまでも白い空間は一体何だったのか?様々な疑問がまるで嵐のように僕の頭の中を駆け巡り、僕を襲う。僕は落ち着かない気持ちを必死に抑えようと、熱い味噌汁を急いですすった。
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