第11話 クレアの異変④
~クレア視点~
私には小さい頃から、お父さんとお母さんがいなかった。『どうして私には両親がいないの?』って、育ててくれたおじさんおばさんに何度聞いても、はっきりとは教えてくれなかった。学校では、周りの皆にはお父さんやお母さんがいるのが当たり前みたいだったから、参観日の日はいつも胸の奥がキュッとなって、寂しい気持ちがじわっと広がった。でも、辛くはなかったんだ。本当の両親じゃないけど、私を育ててくれたおじさんとおばさんは、自分たちに赤ちゃんが生まれても、私にたくさんの愛情をくれて、すごく大切に育ててくれたから。私は一人ぼっちだと感じたことはなかった。困った時には優しくそばにいてくれたし、泣いた時には、温かく抱きしめてくれた。ただ、家族の中でたった一人を除いては……。
それでも、私には一つだけ、どうしても忘れられない心配事があった。小さい頃から、何度も見る変な夢だ。普通の夢を見ることもあるけれど、その夢はいつもどこか変で、私の心をずっしりと重くしたんだ。
その夢は、どこまでも続く真っ白な、何もない場所。私はそこに、ただ一人、ポツンと立っている。いや、立っているというより、かろうじてそこに存在している、という感じ。まるで浅い水たまりで溺れているみたいに、私の体はいつも形を保てずに、今にも溶けそうだった。『誰か、助けて!』と必死に叫んでも、声はどこにも届かない。私はゆっくり、しかし確実に、形と同時に意識がなくなっていく。そうやって消えちゃう寸前、いつも目が覚めるんだ。
私はこの夢を見るたびに言葉にできないくらい怖くなって、朝、目が覚めると体は鉛のように重く、気持ちは海の底に深く沈んだ。そのせいで学校にも行けなくなり、しばらく部屋に閉じこもってしまった。おじさんおばさんは、そんな私をとても心配して、いろいろな病院に連れて行ってくれた。心の病院、頭の神経の病院、子供の病院……。でも、どこに行っても夢の原因は分からず、いつもぐっすりねむれるお薬をもらうだけで終わった。
でもね、私はいつも悪い夢ばかり見ていたわけじゃなかったの。温かい木造の家で、同じくらいの子供たちと年上のお姉さんたちと楽しく過ごしている夢を見ることもあった。しかもそれは、一回や二回じゃない。何回も、何十回も。
——もしかしたら、これは何かのメッセージ……?この夢が私をどこかに連れて行こうとしている……?
繰り返し見るうちに、私はそう思うようになった。夢の中の温かい景色が、私に何かを語りかけているように思えてならなかった。
そのことをおじさんおばさんに話すと、最初はびっくりして、私のことを変な目で見てくることもあった。けれど、不思議な温かい夢を見た朝の私の顔色が良いことに気づくと、だんだんと私の話を信じてくれるようになった。そして、最後には『もしかしたら……それがクレアの悪夢を治すヒントになるかもしれないね』と、私の言うことを信じてくれた。
しかし、私の家族の中で一人だけ、私のことを毛虫のように見てくる人がいた。それが、おじさんとおばさんのお母さんだった。ここでは敬意を込めて、“おばんば”と呼ばせてもらおう。おばんばは、私が悪夢を見て起きてきた時にいつも、テーブルの上でこう言うんだ。
『けっ、なんてけがわらしい子どもを拾ってきたんだ。余分な金がかかるのが分からないのか? 他の子どもの養育費はどうする? これだから子どもを産むなと言ったのに……。まったく、このろくでなしども。私の老後はどうなるやら……』と私を罵る。しかし、そんな時はおじさんとおばさんが庇ってくれた。
『この子は、あの人たちに託された大事な子なんです。今は価値がないと思われるかもしれません……。けれど、この子はきっとこれからの世界に絶対に必要になってくる子なんです。私達はそれを信じています。分かりますか、お義母さん?』
そう言って、どんなことがあっても真剣に私を庇ってくれることがとても嬉しかった。それでもおばんばの行為はどんどんエスカレートしていった。おじさん、おばさん、そして子供たちが見ていない時に、物を投げつけられたり、殴られたり、外出している時は家に入れないように鍵を閉められたりさんざんなことをされた。そのたびに私をまるで急かすかのように夜は悪夢と吉夢が、まるで無と有のように現れる。
その事実を知った二人は、ある日を境に、吉夢の場所へ私を連れて行くことを提案してくれた。それから、二人のアドバイスを元に、私は朝起きるたびに、夢で見たこと、場所、出てきた人をできるだけ細かくノートに書くようにした。そして、分かることは家族にも手伝ってもらい、インターネットや図書館で調べて手がかりを探した。そうしてしばらく経ったある日、ついに、夢の中の景色とそっくりな場所を見つけたんだ。それが、今私が住むエアリアさんの家だった。
そうして、私は目的の場所へ向けて出発した。最初は、家を出ていくことにおじさんおばさん、そして彼らの子供たちはすごく反対した。『クレアがいなくなったら寂しくなるよ』『子供たちが、あなたと離れたくないって泣いてたよ』と、何度も引き止められた。でも、最後には、私の悪夢が治ることが一番大事だと理解してくれ、笑顔で送り出してくれたんだ。
私は何度もハイパーツークを乗り換えて、長い時間をかけてエアリアさんのいる家まで行った。初めてエアリアさんに会う時、もし嫌われたらどうしようと、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキした。でも、エアリアさんは、まるで私が来るのをずっと前から知っていたみたいに、初めて会う私に優しく『いらっしゃい』と声をかけて、家に入れてくれた。その時、私は、何だか分からないけど、ほっとして、嬉しくて、涙が出そうになった。
エアリアさんの家に来てから、私の毎日は変わったの。あの怖い夢は見なくなったし、毎日が楽しくて、前より気持ちよく過ごせるようになった。先にエミュエールハウスに来ていたロミやスレイちゃんともすぐに仲良くなって、本当の兄弟や姉妹みたいになれたんだ。
エアリアさんは、いつもニコニコしていて、ちょっとドジなところもあるけど、私たちに凄く優しくて、嘘のない気持ちで接してくれる。ロミは、ちょっとツンツンしてて、偉そうに見える時もあるけど、本当は優しくて、困った時は頼りになる、男の子。スレイちゃんは、いつも難しい本を読んでて、何を考えてるか分からない時もあるけど、学校で分からないことがあると、優しく教えてくれる、本当はとっても可愛い女の子なの。他にもエヴァンさんやライアン君、レーアさんたち、いろんな人にも会えた。
——私、やっと、自分のいる場所を見つけたんだ……。
私は心の中で、そう思った。それに、本当にここに来てよかったと思えたの。
そして私がここに来て一年、今年になって、私は新しく二人の男の人と知り合った。それはシンとリアン。リアンは今年の一期からここに来てて、何かエアリアさんと難しい話をしてるのを何回か見たことがある。時々、リアンは休憩時間に私と話をしてくれる。リアンは本当に頭がいい人。私が今までのことを話すと、リアンは、まるで全部知ってるみたいに、静かに、でも温かい声で言ったの。
「それは……縁だね。きっと縁がクレアをここに導いてくれているんだよ」
「そのエンって、何のこと?」
初めて聞く言葉に、私はつい聞き返した。
「縁っていうのはね、人と人との繋がり、目には見えない、だけど確かにある糸みたいなもの。普通の人たちは感じることの出来ない力だよ。偶然の出会いも、大きな存在からすれば実は決まっていたことだったりすることもあるんだ。君がここに来たのも、エアリアさんと出会ったのも、全部、縁が導いてくれた結果なんだ」
リアンは遠くを見るような目で、ゆっくりと言葉を続けた。
「僕も今、辛いことがあってここに来てるんだよ。でも、その辛いことがあったから、今の僕がいる。そして、今の僕がいるから、こうして君と会うことができた。これも、きっと何かの縁なんだと思うよ」
リアンの言葉は、不思議なくらい、すーっと私の心に入ってきた。リアンの言う「縁」って言葉は、暗い中にパッと光が差すみたいに、私の心を温かくしてくれたんだ。
「エン、かぁ……」
私は、小さくつぶやいた。まだ、その言葉の意味が全部わかったわけじゃない。でも、何だか、希望みたいなものを感じたのは、本当だった。
「じゃあ、どうすればそのエンを感じることが出来るの?やり方はあるの?」
リアンは上を仰ぎ、しばし考えたあと、囁くように答えた。
「僕たちのような単純な有機生命体では無理だね。いつか人間という種が進化して人と人とが分かり合えるようになればもしかしたら……感じられるかもしれないね……」
「そうなんだ……」
私はそんな不思議なものを感じられない事実に少し落ち込んだがリアンは私を元気づけるように、夢を持たせるように言ってくれた。
「大丈夫だよ、クレアならこれから、もっとたくさんの人と会って、たくさんの縁ができる。その一つ一つを大事にしていけば、きっと、いつか感じることが出来るかも知れないよ」
リアンは、そう言って、ニコッと笑った。その笑顔は、春の日差しみたいにポカポカしてて、不思議と私の心を優しく包んでくれる。
——エン……か。もしかしたら、私もこのエンに導かれて、ここに来たのかも……。
私は、リアンの言葉を胸にしまって、これから出会う人、これから起こることを、ちょっぴり楽しみに思い始めたんだ。
そして10期になって、私はまた新しい人に出会うことができた。それがシン。シンと初めて会ったのは、エアリアさんが夜突然。「行くわよ!」と言うから、三人で車に乗って、夜道を走った日のこと。その日は雨が激しく降ってた。しばらく行くと、道の真ん中に、片方の腕と片方の足が変な方向に曲がってしまって、本当に人間なのかって思うような姿で倒れてる人がいた。それが、シンだったんだ。
シンとは、週に一回か、多くて二回会うくらいで、そんなにしょっちゅう会うわけではないけれど、シンがだんだん元気になっていくのが、私には分かった。最初は、顔色も悪くて、いつも苦しそうだった。けれど、エアリアさんのところに来るたびに少しずつ、少しずつ、笑顔が増えていったんだ。私は彼が元気になっていくのがすごく嬉しかった。
そんな毎日が数期続いた今日、私はみんなと一緒に、地震が起きた被災地へボランティアに行った。エアリアさんたちと一緒に、少しでも力になりたいと思ったんだ。でも、現地に着いた途端、急に体の具合が悪くなって、まるで自分が自分でなくなったような、そんな奇妙な感覚に襲われた。そしてとうとう意識を手放して……また、あの真っ白な悪夢の中に引きずり込まれてしまった。そこは、どこまでも広がる、何もかもが白い空間。いつものように、私の体はまるで溶けた砂糖のようにふにゃふにゃで、今にも形を保てなくなりそうだった。けれど、今回はいつもと違っていた。まるで何かの間違いで大量の粘土がぐちゃぐちゃに重なり合ったみたいに、私と同じような、人間らしい形をした塊が、私の周りに無数に、本当にたくさんまとわりついてきたの。私は突然のことに酷く怖くなって
「助けて!」
って叫ぼうとしたんだけど、口まで何かベトベトしたもので塞がれてしまって、声を出そうとしても喉が締め付けられるように苦しくて、何も言えなかった。そんな中で、この人たちと体がくっついたりするうちに、何となく分かってきたんだ。
——もしかしたら……この人たちは、あの災害で亡くなってしまった人たちの、“カタチ”なのかもしれない……。
この人たちは、今にも消えてしまいそうなギリギリの状態で、この白い世界に存在していて、何とかして生き延びようと必死になって生きている私にしがみついてきているんだ——そう思ったの。
——このままじゃ、私はどうなってしまうんだろう……。
もしかしたら、私もこの人たちと一緒に、この世界で消えてしまうんじゃないかって、怖くて、怖くて、たまらなかった。でも、まさにその時、あの人が現れたんだ。
——きっと私は、この時のために……。
あの人に導かれるように、この場所に、ここに来たんじゃないだろうか——そう思うと体がポカポカしてなんだが自分がそこにいる様な感覚になる。初めてシンと出会った時の、あの不思議な感覚を思い出しながら、私はそう強く思ったんだ。
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