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第11話 クレアの異変③

 現場で与えられた仕事を終えると、僕らはエアリアさんの手伝いをするため体育館に足を踏み入れた。目に飛び込んできた光景は、想像を遥かに超える悲惨なものだった。体育館の中には、大勢の被災者が憔悴しきった様子で身を寄せ合い、互いの体温を分け合うようにしていた。毛布を体に巻き付け、虚ろな目で一点を見つめる人。幼い子供を胸に抱きしめ、静かに、しかしとめどなく涙を流す母親。痛みに顔を歪め、辛うじて手当てを受けている老人もいた。誰もが疲労困憊し、深い悲しみの淵に沈んでいるようだった。


「大丈夫ですか?」


「お怪我はないですか?」


「足りないものがあったらお申し付けください!」


「力不足で申し訳ありません。本当にごめんなさい」


 そのような状況下で、エアリアさんは一人ひとりに優しく声をかけ、温かい飲み物や食料を丁寧に手渡していた。時には、言葉なくそっと肩を抱きしめ、彼ら各々の痛みに寄り添っていた。必要な物資を淀みなく手配し、医療スタッフと連携を取りながら、負傷者の手当てを迅速に進める彼女はまるで何かに突き動かされているかのように、休む間もなく動き回っている。彼女はまるで疲弊した人々の心に、一筋の希望の光を灯す、まさに天使のような存在だった。


「この缶詰足りないところがあったら言って下さい!」


「まだご飯のパックが余っているのでご家族がいる所は持って行って下さい、まだまだあります!」


「脚は大丈夫ですか? 肩貸しますよ」


 ロミ、クレア、スレイ、そしてライアン、リアンも、自分にできることを理解し、子供たちは小さな体ながらも精一杯エアリアさんの手伝いに奔走していた。そんな懸命な姿を見ているうちに、僕の体にも自然と力が湧き上がるのを感じた。


 ——僕も、何かできることを探さなければ……。


 そう強く思い、エアリアさんに声をかけようとした、その瞬間だった。ロミとスレイの隣にいたクレアが、まるで糸が切れた人形のように、突然その場に崩れ落ちた。


「「クレア!」」


 皆が驚き、悲鳴のような声で彼女の名前を叫んだ。


「クレア、しっかりして!大丈夫か⁉」


「早く、誰か医者を呼ばないと!」


 周囲の皆が慌ててクレアの周りに駆け寄り、その様子を覗き込む。すると、彼女の様子は明らかに尋常な様子ではなかった。クレアは苦悶の表情で目を閉じ、額には大粒の汗が滲み出ている。


 ——!


 そして、視線を下げると信じられない光景が僕の目に飛び込んできた。彼女の体の一部が、まるで半透明かつ瑠璃色のゼリー状に、見る見るうちに形を変質させ、今にもドロドロと溶け出してしまいそうになっているのだ。

 その異様な光景に、僕の心臓は凍り付いた。


 ——一体何が起こっているんだ?


 その現実離れした光景に僕は理解が全く追いついていなかった。だが、その異常事態にもエアリアさんが誰よりも早くクレアの傍らに駆け寄り、冷静に彼女の状態を確認した。独り言のようにつぶやいたかと思えば、ハッとしたように緊迫した声でエヴァンさんに指示を飛ばした。


「ここに来る前から、少しクレアの様子がおかしかったから心配していたんだけど……やはりね。今、クレアのカタチを保つための情報熱力学的エントロピーが急激に増大しているわ……。エヴァン君、シンがここに来る時に着ていたASFアーマー、今日は持っている?応急処置にしかならないかもしれないけれど、あれを使えば、何とかクレアの情報のカタチを一時的に維持できるかもしれない! どうなの⁉」


 エヴァンさんは一瞬、記憶の糸を手繰り寄せるような仕草を見せた後、ハッとした表情で言った。「ああ、確か、まだ俺の車の中に積んであるはずだ。すぐに取ってくるよ!」そう言うと、彼は信じられないほどの速さで、自分の車に向かって走り出した。

 僕は、今、自分の目の前で起きていることが現実だと信じることができなかった。固体として確かに存在していたはずの人間が、まるで深海に漂うクラゲのように、無残な不定形の液体へと変わり果てていく。なぜ、こんな状態でも彼女は生きていることができるのか?そもそもこれは生物なのか?無数の疑問が、僕の頭の中を駆け巡る。その時、ふと、自分がこのレガリスに初めて来た時のことを朧気ながらに思い出した。ぼやけた記憶の断片の中にいる自分も、今、目の前にいるクレアと、酷く似た状態だったのではないだろうか?うまく体を動かすことができず、コックピット内で辛うじて顎を使ってステラリンクを操作していた、あの曖昧な記憶が蘇る。


 ——そうだ、あの時、僕も……。


 そう考えると、僕は一体何者なのだろうか、という根源的な問いが、まるで深淵から湧き上がり、僕の胸にのしかかっていた。


 しばらくして、エヴァンさんが息を切らせながら、ASFアーマーを抱えて戻ってきた。それを受け取ると、エアリアさんは迷うことなく素早くクレアにベスト型のアーマーを羽織らせ、胸部の大きさに合わせて形状を調整すると、自身のステラリンクを介してアーマーを展開させる。すると最初は、不定形な雲のようなものが、クレアの体を優しく包み込んだ。次の瞬間、まるで物質の状態が劇的に変化する相転移のように、雲は徐々に形を液体へと変え、最終的にはクレアの小さな体に吸い付くようにぴったりとフィットする、硬質な金属製のアーマーへと姿を変えた。そのアーマーは、まるで彼女の皮膚と完全に一体化したかのように見え、新たな細胞層を形成し、今まさに崩壊しようとしていたクレアの存在を人型に奇跡的に繋ぎ止めていた。

 応急処置を終えたエアリアさんは、心配そうに見守っていたボランティアの方々に簡単な断りを入れ、急ぎエミュエールハウスに戻ることを告げた。僕らは彼女の指示に従い意識のないクレアを慎重に抱き上げ、急いで駐車場に置いてある車へと向った。


 降恒5時30分 天気:晴れ

                     

 僕らは高速で走る車に乗り込み、後部座席で息を潜めてクレアの様子を見守っていた。依然として予断を許さない状況が、重苦しい空気となって車内を覆っている。クレアの小さな顔は異常なほど赤く火照り、まるで熱に浮かされたように、玉のような汗がとめどなく流れ落ちていた。


「シン、ロミ、クレアの状態に何か変化があったら、すぐに報告して!いいわね⁉」


 運転席のエアリアさんが、バックミラー越しに僕たちを射抜くような鋭い視線を送りながら、低い声で指示を飛ばしてくる。


「「はい!」」


 僕らは、エアリアさんの張り詰めた声に、喉が詰まるような思いで短く返事をした。エミュエールハウスまでの道のりは、普段なら何とも思わない時間だ。なのに、今は永遠にも感じるほど長く、そして恐ろしかった。ふと視線を向けた車窓の外、地平線に沈んでいく夕日は、まるで何かを暗示するかのように不気味なほど赤く燃え盛り、空全体を血を思わせるような不気味な赤色に染め上げていた。それは、まるで今にも消えそうなクレアの小さな生命の灯火を映し出しているようで、僕の胸には、彼女の容態が急変するのではないかという、心臓を鷲掴みにされるような強烈な不安と、底知れない不吉な予感が押し寄せてきた。 

 しばらく走り続けると、鬱蒼とした深い森の中に、ようやくエミュエールハウスの建物が見えてきた。エアリアさんは、玄関前に素早く車を止めると、僕らは言われるがまま、意識のないクレアを優しく、しかし、急いで抱きかかえ、エアリアさんの指示に従って地下室へと運び込んだ。薄暗く、ひんやりとした空気が漂う地下室の中央に置かれた、無機質な金属製の机の上に、僕らは息を潜めてクレアをそっと横たえた。その間、エアリアさんは、精密な医療用カプセルに、手際よく特殊な液体と、微細なナノロボットらしきものを正確に注入していく。その手つきは、まるで熟練の職人のように無駄がない。


「クレアは、私が必ず助ける……!」


 エアリアさんは、まるで自分自身に言い聞かせるように、震える声でそう呟くと、カプセルの準備を完了させた。カプセル内部が、希望の光のような淡い青色の光で満たされ、特殊な液体がゆっくりと循環し始める。それは、治療を開始する準備が整ったという静かな合図だった。僕らは、エアリアさんの指示を聞き、アーマーを着たままのクレアの小さな体を、皆で協力してゆっくりと抱え上げ、慎重にカプセルの中へと沈めた。クレアの体は、まるで吸い込まれるように、抵抗することなく静かに液体の中へと沈んでいく。


「これは……一体?」


 目の前で繰り広げられる、SF映画のような光景に、僕は言葉を失い、エアリアさんに問いかけた。


「これは、細胞レベルでの治療を行うための簡易型のアセンションシェルよ。この中に注入された特殊なフェムトユニットが、クレアの損傷した組織を分子レベルで精密に修復し、彼女の生命維持に必要な情報エントロピーの異常な増大を抑制してくれるの」


 エアリアさんは、専門用語を淀みなく口にしながら、淡々と説明する。しかし、その声は、わずかに震えているようにも聞こえた。


「クレアは本当に助かるんだよね……?」


 ロミが、今にも泣き出しそうな不安げな声で尋ねる。スレイもまた、心配そうな表情を隠すように暗い隅からじっとカプセルの中のクレアを見つめていた。


「——大丈夫よ、ロミ、スレイ……心配しないで。皆、クレアは必ず助ける。私が、絶対に!」


 エアリアさんは、ロミの潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く断言した。その瞳の奥には、揺るぎない決意が宿っていた。


 静寂が、重いベールのように地下室を支配していた。聞こえるのは、カプセルから微かに発せられる機械音と、僕たち全員の息を潜めたような微かな呼吸音だけ。僕らは皆、ただ祈るような気持ちで、しばらくの間、青い光に包まれたカプセルの中の小さなクレアの姿を、固唾を呑んで見つめ続けた。

 夜になり、僕らは夕食もまともに喉を通らず、クレアの容態が気がかりで、交代で様子を見守りながら夜を過ごした。しかし、日付が変わる頃、エアリアさんが静かに、けれど強い口調で言った。

「後は私が見ているから、みんなは自分の部屋に戻ってゆっくり休んでちょうだい」

 僕たちは専門家ではない。目の前のクレアの状態に心配は拭えなかったものの、エアリアさんに任せるしかないと悟り、重い足取りで二階の自分たちの部屋へと戻っていった。

 僕らの代わりにエアリアさんは、徹夜でクレアの様子を見続けてくれるのだろう。僕は布団の中に潜り込み、意識を奥の方に置こうとした。しかしクレアのことが心配でなかなか寝付けず暗闇の中、僕はただ天井を見つめ新たな思索に踏み込んでいた。

 この日一日、僕は死について深く考えさせられた。被災地の人々は、瓦礫の前で手を合わせ、故人が死後、より良い世界へ行けるよう祈りを捧げているようだった。その姿は、死が単なる終わりではなく、何らかの形で続くという信念に基づいているように見えた。


 ——死んだら、本当に『無』になるのだろうか……?


 科学が当たり前の世界で育った僕は、これまで死後の世界など非科学的なものは信じてこなかった。しかし、今日、目の前で繰り広げられた光景は、僕の価値観を揺さぶるものだった。特に、ゼリー状に変質していくクレアの体は、生と死の境界を曖昧にし、僕に、一般常識では考えられない不思議な感覚をもたらした。僕は考えていた。エアリアさんは科学の力でクレアを救えるのだろうか?そして、救えなかった命は、どこへ行くのだろうか?本当に『無』になるのだろうか?そんな野暮な考えが浮かんでは乾燥して固まったガムの様に頭から離れない。ベッドに横たわりながら、不安、疑問、様々な感情が頭の中を駆け巡っていた。


 ——もし、本当に死後の世界があるのだとしたら、そこはどんな場所なのだろうか……?


 天国、地獄、あるいは全く別の何か。想像を巡らせても、答えは出るはずもない問題だった。解決したとしても、それを発表する相手がいないからだ。そう考えていると僕は、いつの間にか眠りに落ちていた。

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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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