第10話 意図せぬ来客③
昇恒9時15分
天気:晴れ
場所:レガリス共和国家イオニア県ダノン市市街地
エヴァンさんの農地がある広大な平野から少し離れた、なだらかに広がる山の扇状地。そこに位置するダノン市街は、休日ということもあり、多くの人々で賑わっていた。今僕らは、バイクを降りてまるで意思を持った川の流れのように行き交う人々の間を、巧みに縫うように進んでいく。目指すは、一角にそびえ立つ巨大なビル。その中にテナントとして新しく作られたカラオケ店だ。
真新しいエントランスを抜けると、まだ誰にも汚されていない、新品の店舗特有の匂いがふわりと漂ってきた。人工素材と、微かに甘い木材の香りが混ざり合い、この空間がまだ生まれたばかりであることを静かに主張している。床はまだ足跡一つないほど磨き上げられ、周囲の喧騒を柔らかく反射していた。壁には、幾何学模様を模したホログラフィック・ディスプレイが埋め込まれ、無機質な輝きを放っている。どうやら、店員はいないようだ。僕たちはディスプレイに近づき、操作に慣れているらしいライアンが手慣れた様子で表示をタップしていく。ある程度の操作が進むと、ライアンは僕たちに指紋認証を促した。それぞれがホログラフィック・ディスプレイに手をかざし、指紋を読み取らせていく。三人分の認証が終わると、「いらっしゃいませ」という滑らかな合成音声が流れた。僕らはライアンに導かれるまま、一つの個室まで案内された。ドアの前で手をかざすと、ドアと一体化した認証装置が青く光る。僕らはそれぞれ手をかざし、認証を済ませると、自動でドアが静かにスライドし、部屋の中へと足を踏み入れた。
個室の中は、外の喧騒が嘘のように静かで、落ち着いた暗さが支配していた。壁面には大型のホログラフィック・ディスプレイが埋め込まれ、今は穏やかな海中の映像を映し出している。ゆらゆらと揺れる青い光が、部屋全体を幻想的な雰囲気に染め上げていた。部屋の中央には、人間工学に基づいて設計されたと思われる流線形のソファが、ゆったりとしたカーブを描いて配置されている。体温に反応して色を変える特殊繊維で織られたそれは、僕らが腰を下ろすと、淡い青から徐々に温かみのあるオレンジ色へと変化していった。
正面の壁一面には、透過型の巨大ホログラフィック・ディスプレイ。さらに天井を見上げると、満天の星空を模したプラネタリウム・プロジェクターが設置され、微かに瞬く星々が、静かに室内を照らしていた。部屋の隅には、空気清浄機とアロマディフューザーが一体となった装置が置かれ、かすかにミントと柑橘系の爽やかな香りが漂う。この空間は、五感全てに訴えかけるような、洗練された快適さを提供してくれていた。
ライアンはさっそく、何もない空間で、まるでそこに透明なディスプレイがあるかのように指を忙しなく動かし始めた。まるでVRMMOの熟練プレイヤーさながらに、僕らの動きに合わせるように、僕らの目の前には、空中に鮮やかなホログラフィック・ディスプレイが浮かび上がった。ライアンがにやりと笑って説明を始めた。
「ここは、最新のカラオケ店だで。今のディスプレイは、四隅のカメラで入ってきた人の位置を捉まえて、その人に合わせて、ちょうどええ場所に画面が3Dで映し出される仕組みだよ」
そんなこともできるのか——と僕は感心しながら、次々と操作を進めるライアンを見つめる。どうやら一曲目が始まるようだ。彼は人数分のワイヤレスマイクを取り出し、僕らに渡すと、自分も一本手に取り、意気揚々とイントロの流れるディスプレイの前に立った。選ばれたのは、昔からアメリア連邦国に伝わる懐かしのあの曲だった。
「母なる大地の~ふところにー~♪ 我ら~人の子の~喜びはある~~~♪大地を愛せよ~~ 大地に生きる~~~人の子ら(人の子ら~~~) その立つ土に感謝せよぉぉぉぉぉ~~~~~~♪……」
カラオケの定番なのか、この荘厳かつ厳粛な曲を、ライアンはマイクを両手で握りしめ、顔を紅潮させて熱唱している。そんな喧騒の中、リアンがそっと僕の隣に立ち、周囲の騒がしさを避けるように、僕の耳元に口を寄せて優しく囁いた。
「シン君はここ、レガリスに来てみて、どう感じている?何か心境の変化はあったかい?」
リアンの唐突な問いかけに、僕は一瞬驚いた。けれど、少し考えてから、言葉を選びながらゆっくりと答えた。
「——そうだね……最初は、こんな場所に僕がいていいんだろうかって、ずっと不安だったんだ。いてもいなくても同じじゃないか、意味がないんじゃないかって、そんな風に思っていた。でも、エヴァンさんやエアリアさん、ロミ、クレア、スレイ、レーア、それにライアン、そして君と出会って、皆から色々なことを任せてもらえるようになって……ここにいてもいいんだって、少しずつ思えるようになったんだ」
「僕のことも、その中に含まれているのかい?それは……ありがとう」
リアンは、少し照れたように、でも嬉しそうに微笑んだ。
「もちろん、そうだよ。リアンが最初に、『何かやってみないか』って声をかけてくれたことが、僕にとって一番大きなきっかけだったんだ。最初の一歩を踏み出すのって、すごく勇気がいるけれど、あの時、僕の背中をそっと押してくれたのは、間違いなく君だったから」
僕は、あの時リアンの何気ない一言が、どれほど自分の心の支えになったかを、改めて彼に伝えたかった。
「僕の言葉が、少しでもシン君の人生に良い変化をもたらすことができたのなら、これほど嬉しいことはないよ。僕も、シン君と出会えたことを、本当に感謝してるよ」
リアンは、真っ直ぐに僕の目を見つめ、穏やかな笑顔を向けてくれた。その優しい瞳の奥には、深い慈愛と、確かな友情の光が宿っているように見えた。
「——リアン、今日は本当にありがとう。昔の暗い話ばかりしてごめんね。でも、君と話していると、心がまた少し軽くなったよ。確かに将来にまだ少し不安はあるけれど、なんだか、なんとかなるような気がしてきた。本当にありがとう」
「そう言ってもらえて、私も嬉しいよ。ところで、シン君はこれから、どうするつもりなの? 君がここにずっといるのも違うんじゃないかい?」
僕は少しの間考え、そして、今の自分の正直な気持ちを口にした。
「僕はそうだな……しばらくはここに残って、エアリアさんやエヴァンさんのところで、できる限りの手伝いをしようと思っている。それから……アメリア軍に戻るかどうかは、もう少し時間をかけて、ゆっくりと考えてみるつもりだよ」
「そうか……それがいいと思うよ!きっとシン君なら、どんな道を選んだとしても大丈夫だよ。僕も、今日シン君の話を聞いていたら、なんだか自分にできる範囲で、何か新しいことに挑戦してみたくなってきたな。それは……」
リアンが、何か決意を秘めたような眼差しで、自分の未来について語り始めた、ちょうどその時だった。
「おーい、シン!リアン!何話しとるだー?次、シンが歌う番だぞー!準備しといてよ!」
ライアンが、歌い終わったのかマイクを片手に、満面の笑みでこちらを向いている。
「え、僕が?いや、でも……」
「大丈夫、大丈夫、俺が保証するで!別に下手でも笑わんって、ほら、なんか歌ってみろよ」
半ば強引にマイクを押し付けてくるライアンに、僕は「仕方ないな……」とあきらめつつそれを受け取った。最近、流行りの歌はあまり知らない。僕は、誰でも知っているような、無難な曲を探そうと、片手でディスプレイを操作し始めた。
「おお!シンが歌うぞ!」
僕がようやく見つけた曲のタイトルを、ライアンが大声で読み上げる。ディスプレイに表示されたのは、『アメリア連邦国国歌』だった。
僕らはその後もしばらくの間、歌い続けた。普段は物静かなリアンも一曲披露してくれたのだが、選曲が彼の穏やかな性格からは想像もつかない意外なもので、僕とライアンは思わず顔を見合わせ、仰天してしまった。
数時間後、僕らはカラオケ店を後にし、来た道をホバーバイクで戻る。この数時間で、僕らは確かに友情を深められた、そんな確かな手ごたえを感じていた。帰路のバイクの中は、和やかで温かい空気に包まれ、僕らはエヴァンさんの待つ巨大倉庫兼自宅へと向かった。
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