第10話 意図せぬ来客①
~19期 下旬~ 昇恒6時00分
天気:晴れ
場所:レガリス共和国家イオニア県ダノン市
ここに来てから6期以上が過ぎた。南半球に位置するレガリアにも春が訪れ、身体を包み込むような暖かく心地よい風が吹くようになった。しかし、エアリアさんの家の周りに生える木々から出る花粉が、僕の鼻を刺激して少々辛い。それでも、総じて心地良い気分にさせてくれる季節だ。
エアリアさんとエヴァンさんの家を往復する生活にもすっかり慣れたが、それでも僕の一週間は慌ただしい。週の最初は町に下り、体育教師としてロミ、クレア、スレイ、そしてレーアから頼まれた、彼女が育てている子どもたちを学校まで送り迎えし、授業を行っている。残りの週は、エアリアさんの住むエミュエール・ハウスで彼女のカウンセリングを手伝ったり、エヴァンさんの農場で農作業を手伝ったり、趣味の絵を描いたりして過ごす。身体を動かし、自然と触れ合いながら、心穏やかに悠々自適に過ごす日々だ。ここに来て初めてできた友人であるライアンも時折、僕たちの様子を見に来ては、彼の父からの伝言をエヴァンに伝えに来ていたり、一緒に近くのパチンコで遊んだり楽しく過ごす。
外は天気予報では晴れらしいが、今、僕がいるのはエヴァンの家、兼巨大倉庫だ。無骨で高い天井を見上げても、外の様子は全く分からない。僕はベッドの上で身を起こし、ステラリンクで今日の予定を確認する。今日は休日で授業はないが、昇恒中からエヴァンさんの農場を手伝うことになっている。予定を確認し終えると、いつもの朝の日課に取り掛かる。アメリア軍からの日報や議事録、様々なメール、そして全国ニュースをチェックするのだ。アメリア軍からの連絡は、相変わらずこれといったものはなく、本格的に見捨てられたのではないかと、寂寞の念が胸をよぎる。しかし、今さらアメリア軍に戻る気にもなれない。僕はここにいて、エアリアさんや子どもたちと関わり、エヴァンさんの農場で働くことで、社会から必要とされ、自分の存在意義を見いだせている。ここでは、息苦しい階級制度や他人との格差、劣等感に苛まれることもない。このまま、ここで一生を過ごすのも悪くない——そう思い始めていた矢先だった。アメリア軍からの連絡を一通り見終え、全国ニュースのアプリを開いた僕の目に、信じられない光景が飛び込んできた。僕は自分の目を疑い、ホログラフィック表示される文字を何度も何度も確認した。
——んな、馬鹿な……!
しばらく心臓が激しく脈打つ音だけが、耳元で響いていた。僕の視線はホログラフィック表示される文字に釘付けになり、何度も何度も同じ行を追った。信じられない、というよりは、理解が追いつかない、そんな感覚だった。そこに映し出されていたのは、僕がここレガリスに来るきっかけとなった一連の災害、いや、事件が、衡平党と呼ばれる一地方政党によって解決されたというニュースだった。それは、どのニュースよりも大きく、トップページを飾っていた。
今回の一連の事件の概要は、アメリア恒星間航行研究機構(通称:I.F.D.O.)が率いる調査チームの尽力によって、ある程度解明されてはいた。
この現象は三つのフェーズに分けられる。まず、第一フェーズ。写真には何も映っていない宇宙空間だが、様々な計測機器上では強力な重力波の塊が観測されており、その場には別次元の宇宙空間らしき空間が広がっているらしい。
そして第二フェーズ。この段階で、人間の視覚でも認知できる巨大な幾何学同心円構造体が、天空を覆うように出現する。一部地域では、二〇〇〇年以上前に異端者が使っていたとされる、死後に悪人が行くと言われる場所。「地獄」という場所の名称から、この構造体が我々を地獄へ連れて行くのではないかという馬鹿げた迷信が生まれ、そこから「H・ゲート(地獄の門)」と呼ばれるようになっていた。
そして第三フェーズ。この地獄の門が急激に中央に収束し、地面に向かって光の柱が出現する。その光の柱を中心に、災害が拡大していくのだ。
このH・ゲートを破壊するには、今のところ二つの方法しかないとI.F.D.O.は見解を示している。一つは、フェーズ二の段階で地獄の門の中に入り、この異空間を形成する核となるものを破壊すること。しかし、核の存在は今のところ確認されておらず、そもそも存在するのかさえ分かっていない。入ってみないと分からないが、今のところ突入手段は見つかっていない。そして二つ目は、地獄の門を外から攻撃して破壊すること。しかし、未だどれほどの火力があればあの構造物を破壊できるのか不明だ。結局、いつ発生するかも分からないこの現象に対して、アメリア軍ではなく、衡平党という一組織が解決してしまったことが、僕にとっては驚き以外の何物でもなかった。
さすがに、本当にH・ゲートを破壊できたのか疑わしく思い、ニュースの下の方へスクロールしていくと、オーチューブに繋がるリンクがあった。僕はそれをタップし、証拠を確認する。動画は、一視聴者が偶然撮影したもののようでこの時点で再生回数40億回という超人気の動画でも十年以上経過しなければ出せない数字をわずか一日で叩き出していた。
場所はレガリア王権国家の北西部、僕らがいる大陸の西側で発生したことらしい。第一フェーズは人間の目には見えないので、第二フェーズ、巨大で禍々しい、何色とも形容しがたい幾何学同心円構造体が、急激に大空を覆い、今にも世界を覆いつくさんばかりになったその時だった。まるでマジックショーのように、その構造物は忽然と消え失せた。そして、それと同時に、天使の輪のような模様が天に浮かび消失したのだ。
——……‼
僕は、何が起こったのかさっぱり分からず、何度もその動画を確認した。しかし、僕を嘲笑うかのように、その構造物は消えては、現れ、消えては現れる現象を繰り返すばかりだ。別の人が撮影した動画もあった。これもかなり遠目からの撮影だったが、捏造やフェイク動画ではないかと疑い、先ほどの動画と微妙な時間の差を探すように、いくつも同時にホログラフィック表示し、何度も様々な計測アプリを同時使用しながら確認した。しかし、コンマ数秒の差も以前の動画とはなかった。ネット上の情報を見ても、これは捏造ではなく、本当に起こったことだと、専門家を含め、皆が口々に明言していた。
「は~~~~~~~」
大きく息を吐き、仕方なく、僕はこれが現実なのだと自分に言い聞かせるしかなかった。しかし、それにしても、この荒唐無稽な代物をどうやって破壊するというのだろう?たぶん、アメリア軍の総攻撃でも破壊できないであろうものを、一体どうすればいいというのか?考えても考えても、答えは見つからない。僕は思考の渦に囚われそうになり、半ば諦めるようにステラリンクのホログラフィック表示を閉じた。
僕は自分の割り当てられたスペースから出て、彼といつも食事をするための簡素なリビングへと向かった。簡易的に組み立てられたテーブルの上には、エヴァンが用意してくれた、アメリア軍でも配給されるような、工場で作られたと思われる食事が並んでいる。エアリアさんのエミュエール・ハウスで食べる温かい手料理とは異なり、まるで動物の餌のような味気ない食事だ。ここに来て数期、さすがに慣れてはきたものの、週に一度、カウンセリングのためにエアリアさんの家を訪れる際に食べる彼女の心のこもった料理があまりにも美味しく、その落差にいつも愕然とさせられる。僕は、目の前で同じものを黙々と口に運ぶエヴァンさんの顔を見ながら、
——よくこんなものを毎日、何年も食べ続けられるな……。
失礼ながらそう思わずにはいられなかった。エヴァンは、二ブロックのミディアムヘアで、前髪はセンター分け。上部は自然なストレートだが、サイドは短めに刈り込まれている。髪色は明るいブロンドに近いが、仕事のストレスのせいか、色が抜け落ちて白髪交じりのオンブレカラーになっている。オリーブ色の肌を持つ、滑らかな曲線を描く四角型の顔立ちは、本来ならば優しく温かみのある印象を与えるはずなのだが、いつも煙草を吸っているせいか、少し覇気がなく見える。顎髭も薄く生やしており、どこか惜しい印象を与えている。そんなエヴァンをじっと見つめていると、僕の視線に気づいたのか、彼が不機嫌そうに眉をひそめて言った。
「な~に俺をジロジロ見てんだ」
僕は少し怖気づいたが、言い訳をするためにふと思いついた質問を、思い切ってぶつけてみた。
「あの……エヴァンさんの本名って何ですか?僕、ここに来てから数期、大体エヴァンさんとしか呼んでいなくて……。それでは一緒に作業している者として、少し失礼だと思うので、改めて教えてもらってもよろしいでしょうか?」
すると、エヴァンは「別に構わないよ」といった様子で、あっさりと答えた。
「そういえば言ってなかったな……。本名はエヴァン・フォンレイ・アンソーンだ。改めてよろしくな」
僕はその本名を聞いて、どこか聞き覚えがあるような気がしたが、その奇妙な感覚を心の隅に追いやり、深くは考えず、再び目の前の味気ない食事を黙々と口に運び続けた。
——やっぱり、美味しくないな……。
僕は、やりきれない気持ちを抱えながら、ふとエヴァンに思いついた質問をしてみる。
「あの……エヴァンさんって、食事は自分で作るんですか?」
エヴァンさんは僕の質問を反芻するように、少し考えていた。
「いや、アメリアにいた時からそんなもの作った覚えはないな。シンは、どうして急にそんなことを聞いてくるんだ?」
「あの、実は……エアリアさんのところでいただくご飯が、あまりにも美味しすぎて、ここで食べる食事との差が大きすぎるというか……なんというか……ここで食べるものが、相対的にひどく味気なく感じてしまうんです。だから、いつか機会があったら、僕が自分で作って、エヴァンさんと一緒に食べられたらな~て思ったんです」
そう言うと、エヴァンはなぜか、遠い目をして、しばらくぼうっとしていた。何を考えているのか少し心配になり、僕は彼に声をかける。
「あの、エヴァンさん……?大丈夫ですか?」
「——ああ、ごめん。なんか、シンの言動が、俺の知り合いと少し似ていてな……。その……料理の件だが、いいぞ。また時間がある時にでも作ってくれ」
エヴァンはそう言うと、食べ終わった食器を手に取り、シンクの方へと向かっていった。そして、歩きながら、唐突に僕に向いて言った。
「あ、そうだ、8時半から作業を始めるぞ。準備しておけ! その恰好じゃ作業できないぞ!」
「わ、分かりました」
僕は急な指示に慌てて返事をし、自分も食べ終わった食器を片付けに立ち上がった。
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