第9話 突然の赴任!⑤
学校を終えて皆が夕食の準備をしていると
降恒7時10分 天気:晴れ
学校の授業が終わり、家に帰って僕らは夕食の準備に取り掛かっていた。エアリアさんとクレアと僕の三人は、キッチンで手際よく野菜を切ったり、調味料を合わせたりと忙しく動き回る。ふと僕は後ろのリビングに目をやると、ロミは床の上でフレモを見て、ゲラゲラとわらっており。スレイの、さっきまでの獲物を狙うような鋭い目つきとは打って変わって、落ち着いた様子で難解そうな本を読みふける姿に、僕は胸に詰まっていたものがすっと抜けるような安堵を覚えた。しかし、その安堵の裏には、、彼女のその表情が、どこか遠くに行ってしまいそうな、掴みどころのない不安をも感じさせた。何か、僕らが知らない深い悩みを抱えているのではないか。そんな予感が、僕の心をざわつかせた。それでも今は、エアリアさんとクレアとの食事の準備に集中することにした。
しばらくして、食事の用意が出来上がった。僕とクレアが協力して、ほかほかの料理を次々と机の上に運んでいく。今晩の夕食のメインはカレーライスだった。大きなプレートには、湯気を立てる炊き立てのご飯が山盛りに乗せられている。エアリアさんが鍋を抱えて机の上に持ってきて、そのほかほかのご飯の上に、惜しげもなくたっぷりとルーをかけていく。湯気とともに立ち上るスパイシーな香りが食欲をそそり、ご飯の上に広がる暖かい色合いのルーは、見ているだけで幸せな気持ちになった。全て配り終え、皆が席に着くと、僕らは手を合わせ、心を込めて「いただきます」と言って、一斉に食べ始めた。
僕は目の前のカレーライスに集中し、スプーンを動かしていた。しばらく経ち、ふと顔を上げると、皆がいつもの様に美味しそうにカレーを頬張っているのが目に入った。しかし、スレイだけが、目の前のカレーをぼんやりと見つめたまま、鎮座していた。その様子に気づいたのだろう、クレアが心配そうに声をかける。
「スレイちゃん、どうしたの?」
クレアの声に、皆がハッとしたように顔を上げ、一斉にスレイに注目した。エアリアさんは、自分の席を立ち上がると、ゆっくりとスレイの近くに寄って行く。そして、スレイの後ろに回り込むと、彼女の肩を優しくポンと叩き、慈愛に満ちた声で語りかけた。
「スレイ、どうしたの? 全然カレーに手をつけてないじゃない。大丈夫?」
しばらくエアリアさんは彼女の肩に触れ様子を見るが、再びささやく。
「何か不安なことや困っていることがあったら、私たちに遠慮なく言ってね。私たちは、いつでもあなたの味方だから。どんな些細なことでもいいの。別にあなたのことを追い詰めたりはしないから一人で抱え込まずに、吐き出してしまってもいいのよ」
エアリアさんの言葉に、スレイはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、先ほどまでの鋭さはなく、深い悲しみと、そして微かな光が揺らめいているように見えた。
しかし次の瞬間、スレイは、まるで何かに取り憑かれたように、テーブルに置いてあるスプーンを手に取り、目の前のカレーをむさぼるように食べ始めた。彼女の目からは、真珠のような大粒の涙がぽたぽたとこぼれ落ち、カレー皿の中に吸い込まれていく。皆は、スレイが涙を流しながら、一心不乱にカレーを頬張る姿に、一瞬あっけにとられながらも、ただ黙って彼女を見守ることしかできなかった。なぜかその光景は、哀愁に満ちたものではなかった。不思議な温かさを放ち、僕らの心を優しく包み込んでくれているようだった。
エアリアさんは、スレイの背中を優しくさすり、他の皆も、固唾を飲んで、彼女を見守っていた。
しばらく経ち、スレイは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、静かに食事を再開した。彼女の様子に、僕らも安堵の息をつき、食卓には、いつもの和やかな雰囲気が戻ってきた。むしろ、以前よりも、もっと温かく、優しさに満ちた空気が、僕たちを包み込んでいるようにすら感じられた。そんな中、いつものように、ロミがクレアに声をかける。
「クレア、なんか面白い話ない?この前のエリオスの話みたいなやつ」
「もう、しょうがないわね。じゃあ、とっておきの話をしてあげる」
クレアは、いたずらっぽく微笑みながら、語り始めた。
「これは、遠い昔、惑星エリシアがまだ小国に分かれて争っていた頃のお話。あるところに、とっても強くて、しかも、とってもわがままな王様がいたの……」
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~逸話: ある傲慢な王様の話~
惑星エリシアが小国に分裂し、争いが絶えなかった時代。当時、強大な武力を持つ王が、ある国を支配していた。彼は恐怖政治を敷き、近隣諸国へも侵略を繰り返していた。民の声は圧殺され、富は王宮に集められ、大地は血と涙で穢されていった。国は表面的には栄華を誇っていたが、内実は深く腐敗し、崩壊への道を辿っていたのだ。
そんな中、一人の旅人が現れた。名は、先導者エリオス。神秘の球体「O (オー)」を携え、争いと不和に満ちた大地を、調和へと導くことを使命とする者だった。エリシアの民は、彼を「光の導き手」と呼び、敬い崇めていた。エリオスは、この王の悪政を知り、その国を訪れた。そして、王の前に進み出ると、静かに語りかけた。
「偉大なる王よ。汝の力は強大だ。しかし、その力が正しき方向へと導かれなければ、やがて全てを滅ぼす災厄となるだろう。神々の啓示を、汝自身が見定めるがよい」
王は鼻で笑い、エリオスを侮蔑した。しかし、エリオスが差し出したOが、眩いばかりの光を放った瞬間、王の顔から傲慢な表情は消え去った。その神秘の球体は、王を渦巻く光の中に包み込んだのだ。しばらくして光が収まり、周囲は元の静寂を取り戻した。しかし、王の様子は一変していた。彼は恐怖に打ち震え、床に膝をついたのだ。
エリオスは、力なくうなだれる王を見据え、厳かに告げた。
「汝が見たものは、決して避けられぬ未来ではない。だが、汝が心を入れ替え、民を慈しみ、正しき道を選ぶならば、その未来を変えることもできるだろう。選択は、汝自身に委ねられている」そう言い残し、エリオスは静かにその国を去っていった。
しかし、王は未来の幻視という重荷に耐えきれず、失意の中で日々を過ごすばかりであった。結局、王は何一つ行動を起こすことなく、王国は崩壊への道を転がり落ちていった。飢餓と争いが国中を覆い、民は次々と隣国へと逃亡し、ついには、その地も他国に併呑されてしまったのだ。
王国の滅亡の陰には、民衆の長年にわたる不満と不信、そして周辺諸国の策謀が渦巻いていた。王が未来の幻視に囚われ行動力を失ったことで、それまで辛うじて抑え込まれていた問題が一気に噴出し、取り返しのつかない結果を招いてしまったのだ。
エリオスは、その悲報を耳にし、深い悲しみに暮れた。Oは、未来を示すことはできても、人々の選択そのものを強制することはできないのだと悟った。
後に人々は、この出来事から一つの教訓を得た。
「真実を見せられたとしても、自ら行動を起こさなければ、運命は決して変わらない」この言葉は、人々に自身の選択の責任を自覚させるための、重要な戒めとなったのである。
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話が終わると、ロミが不思議そうにクレアに尋ねた。
「てかクレア、前の話にも出てきたけどさ、オーって何のこと?王様のこと言ってるの?」
僕もそれは以前から気になっていた点だった。皆の視線がクレアに集まりクレアは少し考え込むような仕草を見せた後、こう答えた。
「それが、分からないの。これ以外にも、オーが出てくる話はたくさんあるんだけど、どれもはっきりとは説明されていないのよ……。ごめんね、期待に応えられなくて」
スレイは、申し訳なさそうに両手を小さく重ねた。
こうして、夕食の和やかな雰囲気は、一つの謎を残して終わりを告げた。僕らは食べ終わった茶碗や食器を、皆で協力しながら台所のシンクへと運んでいく。そして、僕とエアリアさんは並んで食器を洗い始めた。しかし、エアリアさんの顔には、どこか晴れない様子が窺え、ただ黙々とスポンジに洗剤をつけては、食器を擦っている。僕は少し気にしつつも、一緒に洗い物を続けた。
しばらくして食器洗いが終わると、エアリアさんは「ちょっと地下に行ってくるわね」とだけ言い残し、いつものようにキッチンの奥にある地下室へと続く階段を下りていってしまった。一人残された僕は、リビングへ戻り、今日、学校の空き時間に描いた絵をスレイに渡すべきかどうか、しばらく考え込んでいた。食事が終わり、ロミはリビングの床でフレモと戯れ、スレイは引き続きリビングの机で難解そうな本を読んでいた。するとクレアが、不意にスレイに近づき、後ろから覆い被さるように抱き着いた。突然のことにスレイは一瞬驚いた様子を見せたが、優しく彼女の腕に軽く手を添え、応える。長い後ろ髪を前に流したクレアが、スレイの耳元で囁くように言った。
「私たちがスレイちゃんの気持ち、分かってあげられなくてごめんね。私たちも、スレイちゃんが困っている時は、出来るだけ支えるようにするから。だから、辛いことがあっても、ため込まないで私たちに言ってね」
すると、クレアの行動に触発されたのか、フレモを覗いていたロミも立ち上がり、スレイの前に歩み寄る。
「僕も、スレイが困っている時は、できることがあったら何でもするよ。だから、ため込まないでその時は言ってよね」
ロミは、照れくさそうに頬を掻きながらそう言うと、そそくさと元の場所へ戻っていった。この時だ。今しかない。——僕は意を決して、スレイの前に歩み寄った。今の僕にできることは、これしかない。不甲斐ない自分だけれども、絵を描くことは、僕を僕たらしめてくれる、大切なものだから。そう思いながら、僕はクレアの前に立った。スレイは少し面食らったような表情を浮かべたが、僕の真剣な眼差しに気づいたのか、覚悟を決めたように、小さく息を吐いた。
「今日の昼のことは、悪かった。もう少し、スレイの気持ちを汲んで言うべきだったよ。確かに僕は、ここへ逃げてきた。スレイからすれば、僕はただの不甲斐ない、社会からの逸脱者だよ。でも、ここに来て、僕はそれ以外にも生きる道があることを知った。幸せに生きる方法はいくらでもあるんだ。だから、いつまでもそんな暗い顔をして過ごさないでほしいんだ。スレイのその顔を見ていると、僕まで辛くなる。まだ、僕の周りには、幸せでない人がいる。そう思うと、胸が締め付けられるんだ。だから、せめて……せめて、笑顔で過ごしてほしいんだ。僕らは、絶対にスレイを見捨てたりしないから」
僕はスケッチブックから一枚の紙を破り取り、スレイに差し出した。
「些細なものだけれど……この絵スレイに上げるよ、もちろん気にらなかったら捨ててもいいけど……」
そこには、昼休み、頭の中で思い描いた、笑顔で勉強するスレイの姿が描かれていた。
「わぁー、シンの絵だ! スレイちゃんのを描いて上げたんだね! うらやましいな! シンの絵上手いんだよ、もらっておいた方が絶対いいよ」
いつの間にか、クレアが僕の後ろから、絵を覗き込んでいた。ロミも興味を持ったのか、フレモを置きスレイの側に駆け寄ってくる。スレイは申し訳なさそうに、しかし、しっかりと、僕の絵を受け取った。そして、じっと、その絵を見つめた。その時間が、永遠のように感じられた。まるで、スレイがこの絵を、そして僕の言葉をどう受け止めるか、判決を待つような、静寂と緊張が、その場を支配していた。しかし、スレイは、長い沈黙のあと僕を見る。小さく、一瞬。しかし、はっきりと「ありがとう」と言って、かすかに微笑んだ。そして、再び、僕の描いた絵に視線を落とし、いつまでも見続けていた。
その小さな、しかし、確かな意思のこもった「ありがとう」を聞いた時、冷たいものから温かいものへ、僕の胸の奥から、じんわりと全身に広がっていくのを感じた。この日のことを、僕はきっと一生忘れないだろう。なぜならここに来て初めて、僕は、自分の意思の通った活動を誰かに認めてもらえたのだから。
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