第9話 突然の赴任!③
昇恒9時15分 天気:晴れ
場所:アリエス市アリエス盆地中心部アリエス市立アリエス小学校
僕は、そんなつもりで学校に来たわけではなかった。エアリアさんのご厚意に甘えて、彼女の授業の様子や、ロミたちが授業を受けている姿を少し見学させてもらい、用が済んだらあとは帰るつもりでいた。しかし、現実は僕の予想を遥かに超えていた。今、僕の目の前には、いつの間にか十数人の職員が集まり、その中心でエアリアさんが、僕の名前が書かれた名札を手に、満面の笑みで立っている。そして、その名札を、僕の首にかけたのだ。
「え、え~これ、どういうことですか?」
戸惑う僕に、エアリアは悪戯っぽく微笑んで、高らかに宣言した。
「あら、よく似合ってるじゃない? 今日からあなたはこの学校の臨時職員よ!」
“パチパチパチパチ”
エアリアの言葉に、周りの職員たちが温かい拍手を送ってくる。僕は突然の展開に混乱し、慌てて彼らを制止するように、エアリアに詰め寄った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 僕は、エアリアさんに言われて、ロミたちの授業を参観するだけだって聞いてたんですけど……。なんで僕が、ここに来て教師をすることになってるんですか? わけ分からないですよ!」
僕の必死の抗議に、彼女は落ち着いた様子で答えた。
「実はね、ここの学校には、この地域のエミュエールハウスの子どもたちがたくさん通っているの。今の時代、エッセンシャルワーカーに対する世間の風当たりは強いでしょう?ここは公立校だから、市場原理に沿って職員にたくさん給料を払って働いてもらうことも難しい。だから、私もこうやって時間がある時は、臨時職員として手伝いに来ているのよ。まあ、でも安心して。あなたには、軍隊経験者でもなんとか対応できそうな単元を担当してもらうから」
「それは、どんな単元ですか……?」 不安げに尋ねる僕に、彼女は満面の笑みで言い放った。
「保健体育よ!」
「でも僕、保健の知識なんて全然ないですよ? 大丈夫なんですか……?」
そんな僕の不安も意に返さずエアリアは悪戯っぽい笑みを薄く浮かべながら言った。
「大丈夫、大丈夫! 保健の分野は、そこにいるヤマモトさんと、パクさんに任せるわ。あなたはこっち!」
そうして、エアリアはデータを入れるチップを僕に手渡してきた。僕は急いでステラリンクに情報を読み取り、ホログラフィックを表示させると表紙には『ステップアップ 小学生体育科資料集』と書かれている。
「とにかく、あなたにはこの資料をしっかり読み込んでもらって、来週からの授業に備えてもらうから、その中に書かれている内容ならば何でもやっていいし、えーっとあとは……この後、私がロミとクレアたちのクラスで授業をするから、それを見学してあなたの授業の参考にしてみて」
有無を言わせぬ口調で、僕に指示を出す。僕は、その勢いに完全に押され、なす術もなく「……わかりました」とだけ、力なく呟くことしかできなかった。こうして、僕は、意図せずアリエス小学校の臨時体育教員として働くことになってしまったのだった。
僕は言われた通り、来週からの授業に備えるため、早速、三時間目のエアリアが担当する四年生の理科の授業を見学させてもらうことにした。教室に入り、僕は生徒全員を見渡せるよう、一番後ろの席に位置取った。そして、ステラリンクのホログラフィック表示を立ち上げ、授業のメモを取りやすいようにメモアプリを起動した。東向きの窓から明るい陽射しが差し込む教室内は、休み時間の余韻が残り、まだ賑やかだった。ちょうど、二〇分の休み時間を終えた子どもたちが、教室に戻ってきたところのようだ。授業開始を告げるチャイムが鳴ると、子どもたちは皆、慌てて自分の席へと戻っていく。
後から見て一番左手前の席では、ロミが友達と何やら楽しそうに話している。その隣に座る男子生徒が、僕のことを指差すと、ロミは慌てた様子で、その生徒の腕を掴んで制止させた。一方、クレアは前から数えて三番目の席で、仲の良い女子グループの中心で、おしゃべりに花を咲かせているようだ。ふと、クレアが僕に気づき、小さく手を振ってきたので、僕も控えめに手を振り返した。しかし不意に探したもう一人がいない。
——あれ、スレイはどこだろう?
僕はスレイの姿を探したが、教室内には見当たらなかった。しばらく考えていたがおそらく他のクラスにいるのだろう。僕はそう簡潔に結論づけ、授業に集中しようと気持ちを切り替えた。しかし、僕のすぐ近くに、まるで学園ドラマから抜け出してきたような、やんちゃ盛りの男子生徒が三人組で座っていた。彼らは鋭い目つきで僕を睨みつけ、目が合うと、その中の一人が「チッ」と小さく舌打ちをして、前を向いた。なぜなら前方では、エアリアが教壇に立ち、子どもたちの視線は、彼女に一点に集中していたためだ。エアリアさんの合図のもと日直が、元気よく号令をかける。
「よろしくお願いします!」 それに合わせて、エアリアさんと生徒たちが、元気よくいう。
「お願いします」 こうして、四年生の理科の授業が始まった。
エアリアは、僕が初めて彼女の家に来た時から感じていたことだが、科学に関して非常に深い知識を持っているようだ。子どもたちに、小学生のレベルをはるかに超えるような、様々な事柄を時折、さりげなく教えようとするのだが、まだ少し慣れていない様子も見受けられた。
「私たちは、1年は365日、1期は平均して15日、1日は24時間、1時間は160分、1分は160秒と決めているわよね」
まず、エアリアは「時間」について、黒板に要点を箇条書きで書き出していく。
「それじゃあ、一秒の長さは……そういえばどう定義されているかしら? 確か……そう、1秒は、セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の周期の、えーと、91億9千263万千7百70……倍の継続時間だったはずだわ……」
何かしらの専門家だった時の癖なのエアリアさんが専門用語をふいに口にすると、子どもたちは皆、何が何やらといった表情で、ぽかんと口を開けたまま静止してしまった。まるで時間が止まったかのようだ。しばらくしてその様子に気づいたエアリアは、「しまった」というように、自分の額に手を当てた。
「——ごめんなさい、癖が出ちゃって……ちょっと難しすぎたわね……。それじゃあ質問を変えましょう。なぜ、時間はこのように規則正しく決められているのかしら? 分かる人はいる?」
子どもたちは皆、頭を抱えて一生懸命考えている。すると、教室にいつも元気な声を響かせているクレアが、勢いよく「はい!」と手を挙げ、ハキハキと答えた。
「たぶん、こうやって決めた方が便利だから……じゃないかな?エアリアさん」
エアリアさんは、クレアに親指を立て、彼女の回答が正解であることを示す。クレアは、自分の答えが当たったことに、ルミナのような満面の笑みを浮かべた。
「そうね、よくできました。先導者エリオスが、この惑星エリシアに現れ、私たちに知識を授けてくれるようになってから、私たちはこのように、とても正確に時を定めることができるようになった。そのおかげで、『この日のこの時間に集まって、これをしよう!』とか、『今日のこの時間に、ここで授業をしよう』という風に、一致団結して行動できるようになったの。では、なぜこのように安定的に時間が定められているのでしょう?なぜ時間は人によってバラバラではなく、規則正しいのかしら?」
エアリアの問いかけに、教室は再び静かな思考の海に沈んだ。他の子どもたちが頭を悩ませている中、ロミは「何でみんな分からないの?」と言わんばかりに、だらんと気怠そうに手を挙げた。まるで、それが当然の権利であるかのように。エアリアに指名されると、ロミはこともなげに、まるで息をするように自然に答えた。
「この惑星エリシアが規則通りに恒星ルミナの周りを回っていて、さらにエリシア自体も規則通りに自転しているからだよ」
「ロミ、その通り!」
エアリアは、まるで自分のことのように嬉しそうに言い、ロミは「当然でしょ」と言わんばかりに、得意げに口角を片方だけ上げて、にやりと不敵な笑みを浮かべた。その時、ふと見た後ろの席に座るやんちゃ盛りの悪ガキ三人組が、一瞬、鋭い眼光をロミに向けていたようなそんな気がした。僕は内心で舌を巻いた。ロミやスレイは普段、自由奔放に遊んでいるように見えるが、エアリアさんの教育の賜物なのだろう。僕が思う以上に物知りで、驚くほど賢い子どもたちだったのだ。
「そうね、ロミの言う通り、私たちの星は、公転と自転、つまり円運動を行っていることで、規則正しく時を刻むことができているの。さて、ここまでは導入で、ここからが本題よ。では、なぜ私たち人間は、こうして生きているのか、考えてみてほしいの。みんな、自由に考えて、思いついたら手を挙げて、どんどん発言していってね」
エアリアがそう言うと、子どもたちは思い思いに発言を始めた。
「ご飯が食べられるから!」
「ルミナがあるから!」
「うんこをするから!」
「エリオス様のおかげ!」
エアリアは、子どもたちの自由奔放な発言に、一つ一つ頷きながら、優しく諭すように言った。
「みんな、たくさんの意見をありがとう。みんなの意見は、どれも素晴らしいわ。そうね、じゃあ、まずは基礎知識を整理するために、私たち人間がどのようにして生まれたのか、そのきっかけについて、かいつまんで話しましょう。私たちの故郷、エリシアが誕生したのは、今から約45億年前。生まれたてのエリシアは、熱いマグマに覆われた、熱々の火の玉のような状態だったの。そこから、気の遠くなるような長い年期をかけて、エリシアはだんだんと冷えていき、約四〇億年前には、原始の海が生まれたと考えられているわ。その海の中で、最初の生命、つまり原始生命体と呼ばれる、とても小さな単細胞生物が誕生したの。長い時間をかけて、その原始生命体から様々な生物が生まれ、進化していったのよ。恐竜がエリシア上を歩き回っていた時代もあったけれど、巨大隕石や強力な宇宙放射線、地殻変動などの影響で、何度も多くの生物が絶滅したと考えられているわ。その危機を乗り越え、生き残った小さな哺乳類が進化を続け、約700万年前に、ついに私たち人類の祖先が現れたの。簡単に言うと、私たち人間は、エリシアの誕生から今日まで続く、長い長い生命の歴史の、ほんの一部分ということなのね」
生徒の皆は、あまりにも壮大な話に、しばらくぽかんとしていた。エアリアさんは、そんな子どもたちの様子を見て、優しく語りかける。
「私がみんなに伝えたいことは、ここまでの流れを見て分かるかしら? 私たち人間が、今こうしてここに生きているってことは……?何だろうね?」
一人の女子生徒が、おずおずと手を挙げた。
「奇跡……に、近い?」
「そう、その通りよ! アンドレア。私たちがここまで生きてこれたのは、本当に奇跡なの! 最初の時間についての話でも言ったけれど、私たちの住む惑星エリシアは、恒星ルミナからの距離、エリシアの周りを回る衛星ルリス、アルドラ、エルフリナとの関係性、エリシアの傾き、自転の早さ、公転の速さ、もっといろいろな要因があるけれど、これら全てが導かれるように絶妙なバランスで成り立っていないと、今の私たちは生まれなかったのよ」
人の男子生徒が、おどおどしながら質問する。
「じゃあ、他に人間のような生物が住む星ってあるの?」
エアリアさんは、待ってました!とばかりに、瞳を輝かせながら答えた。
「ええ、実は人間のような生物が住んでいた星が、他にもあると言われているの」
子どもたちは、エアリアさんの言葉に興味津々、一言一句聞き逃すまいと、身を乗り出して聞き入っている。
「実は、先導者エリオスは、私たち人間のような知的生物を、ある一定の段階まで進化させると、別の星に移動して、またそこで知的生命体を進化させる、ということを繰り返してきたそうよ。そして、今、エリオスが導いているのが、私たちの星、エリシアというわけね」
「例えば、どんな名前の星なの?」
別の生徒が、興奮気味に尋ねた。
「先導者エリオスが言うには、何だったかしら……惑星ドレア、惑星シンボ、『惑星チキュウ』、惑星テルスとかだったかしら……?」
それを聞いた子どもたちは、口々に感想を言い始めた。
「“チキュウ”とか、テルスとか、変な名前!」
「ドレアとかも、なんか変わってる!」
「ハハハ、エアリア先生、ちゃんとエリオス“様”ってつけないと!」
教室がにわかに騒がしくなった。エアリアさんが静かに、しかしはっきりとした口調で注意を促すと、子どもたちは再び静まり返った。
しばらくエアリアさんの授業は続き、グループワークを取り入れるなど様々な工夫を凝らして進行させていった。そして授業の終わり。
「起立、礼」
日直の号令につられて、子どもたち全員が立ち上がり、礼をした。
「ありがとうございました」
こうして、今日のエアリアさんの授業は終わった。
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