第9話 突然の赴任!①
~翌日~ 昇恒2時00分
天気:曇り
場所:エアリアさんのエミュエールハウス
今日も僕は、あの夢を見た。意識が遠のき、気がつけばいつものように、どこまでも続く白い虚無の中に、ぽつんと一人立っている。その白い空間は、まるで僕を丸呑みにしようとしているかのようだ。そして、いつもと同じように、僕の目の前に謎の丸いゲートが現れ、どこか別の場所へと誘おうとする。どんなに拒絶しても、そのゲートはまるで意思を持っているかのように、じりじりと僕に近づき、身体を侵食するように、僕を別空間へと引きずり込んでいく。
今回、僕が辿り着いたのは、広大な海だった。なぜか、必死に何かを求めるように、ただひたすらに海中を泳いでいた。しかし、あまりにも広すぎる海。次第に、手足の感覚が麻痺してくる。おまけに、僕はあまり泳ぎが得意ではないらしく、手と足のリズムがバラバラで、全くと言っていいほど前に進まない。ひとかき、ひとかきするたびに、冷たい海水が体内に流れ込み、吐き出そうとしても、またすぐに口の中に海水が入り込んでくる。ついには、堪えきれずに海水を飲み込んでしまい、それをきっかけに、水は食道を、胃の中へ、そして気管支を通して肺の中へと、容赦なく流れ込んでくる。
——苦しいっ!
しかし、その願いも虚しく、僕の身体はどんどん浮力を失い、昏い海の底へと沈んでいく。僕は最後の力を振り絞り、誰かにすがるように、掠れた声で叫んだ。
「姉さん、母さん……」
その願いも空しく、広大な海に溶けて消え、僕の身体は、暗く冷たい海の底深くへと沈んでいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ッハ!」
僕は久しぶりに悪夢を見て、目が覚めた。ふと体に目をやると全身に冷や汗が噴き出し、服はびしょ濡れだ。冬の冷気が、肌を刺すように感じられ、夢の中の出来事が、いかに恐ろしい体験だったかを物語っていた。僕は、ぼんやりと木の木目を基調とした天井を見上げる。見覚えのあるその光景に、安堵が湧き上がった。
——よかった、ここはエアリアさんの家か……。
僕は寝台から降り、昨日、念のため持ってきた鞄から着替えとタオルを取り出した。気分転換に一階の風呂場で汗を流そうとドアを開け、部屋を出ようとした時、ふと、左隣の部屋から、誰かが静かにすすり泣く声が聞こえてきた。最初は気のせいかと思い、しばらく気にしないようにしていた。しかし、時間が経ってもそのすすり泣きは途切れることなく聞こえてくる。時折、深く息を吸い込み、自身を落ち着かせようとするような声も漏れ聞こえた。
——大丈夫か……?
さすがに心配になった僕は部屋を出ると、廊下にはロミとクレアが既におり。この状況から察するに、泣いているのは消去法でスレイだと確信した。クレアはスレイの部屋のドアにそっと耳を当て、真剣に中の様子を窺っており、ロミは不安そうな表情で彼女の様子を見守っている。僕も少しの間、成り行きを見守っていたが、やがてロミが困ったように眉をひそめ、どうしたらいいか分からないといった様子で、僕に小さく呟いた。
「どうする、シン。スレイが泣いているけれど……」
「僕に聞いたって分からないよ。まだここに来て間もないし、君たちのことを完全に把握しているわけじゃない。スレイが泣いている理由なんて、見当もつかないよ」僕がそう答えると、クレアが重苦しい空気を振り払うように、決意を込めた声で言った。
「とにかく私、エアリアさんを呼んでくる。エアリアさんなら、きっとどうにかしてくれるかもしれない」そう言って、クレアは急ぎ足で階段を降りて行った。
しばらくすると、エアリアが深刻そうな面持ちで階段を駆け上がってきて、スレイの部屋のドアを軽くノックし、声をかけた。
「スレイ、大丈夫?ちょっと中に入ってもいいかしら?」
返事を待たずに、エアリアはドアを開けようとした。鍵はかかっていなかったようで、エアリアはそのまま部屋の中へ入っていった。扉が静かに閉められ、中からは二人が何やら話し合っている声が、かすかに漏れて聞こえてくる。僕ら三人は、スレイの部屋の前で、その様子をじっと見守るしかなかった。しばらくして、エアリアが部屋から出てきて、静かに言った。
「皆、スレイは大丈夫よ、安心して」
それだけ言い残すと、エアリアは階段を降りて行った。僕らはその言葉に安堵し、それぞれの部屋へと戻っていった。
部屋に戻った僕は、自分の身体が汗でびっしょりと濡れていることに、今更ながら気づいた。冬の冷気が肌を刺し、身体が小刻みに震え出したのを感じた。
「寒!」
僕は急いで一階の風呂場へ向かった。脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に入り、シャワーで汗を流す。その後、少しぬるくなっていた湯船に、追い炊き機能でお湯を足しながら、ゆっくりと浸かった。湯気に包まれ、身体はだんだんと温まっていくのに、僕の頭の中は冷え切ったままだった。
湯船に全身を沈め、僕は思考の深みへと引きずり込まれる。先ほどの出来事、スレイが一体なぜ泣いていたのか。その理由を探ろうとするたび、昨日のレーアの言葉が、重い鎖のように僕の頭に絡みつき、ずしりと沈み込む。ロミ、クレア、スレイの三人は、僕が想像していた以上に、過酷な過去を背負っている。その事実を改めて突きつけられ、どうすることもできない無力感が、じわじわと胸全体を覆っていくのを感じた。思考はまとまらず、頭の中で混乱を深めていく。
——僕が彼らに何ができるのだろうか……。
しかし、この問いはどこにも行き着かない。いくら考えても、答えの糸口すら掴めない。巨大な社会の秩序という名の壁はあまりに高く、その前では自分の存在など、塵のように非力だと痛感させられる。この収拾のつかない思考の渦から一刻も早く逃れたくて、僕は無性に、強制的に湯船の中に頭を沈め込んだ。耳元で轟く水音だけが世界の全てになった。その数十秒間は、何もかもが“無”になったそんな錯覚さえ覚えた。しかし、深く沈む“無”の奥で、僕は確かに感じていた。この無力感を打ち破りたいという、ごく小さな、しかし確かな感情の芽生えを。
顔を上げ、再び湯船で温まった後、僕は脱衣所で新しい下着とズボン、そしてシャツに着替えた。さらりとした新品の服が、張り詰めていた心と疲弊した身体を、ほんのわずかだがリフレッシュさせてくれる。凛とした空気に触れて、せっかく温まった身体が冷えてしまわないうちに、足早に自分の部屋へと戻った。
布団の中はまだ暖かく、僕の身体を優しく包み込んでくれそうだった。僕は再び布団の中に潜り込んだ。ほんの短い時間起きていただけなのに、今日はあまりにも多くの出来事がありすぎた。そして、その全てが思考をかき乱し、心をひどく疲れさせた。僕は瞼を閉じると、抗うこともできず、すぐに深い眠りへと落ちていった。
現在一話の文量が多いので分割中です。
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