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第8話 クレアの助言⑥

 降恒五時〇〇分 天気:晴れ


 再び湖畔に着くと、ルミナは西の山にゆっくりと沈み始め、夕焼けの光が静かな水面に映し出され、まるで夢のような景色が広がっていた。僕は、レーアに子供用の画材を手渡し、先ほど購入した自分用の画材を丁寧に広げた。


 ——さて、何を描こうか……。


 僕はしばらくの間、湖面に映る夕焼けを眺めながら思案した。絵を描くのは実に八年ぶり。ほぼ初心者に等しい僕にとって、新しいことを始めるには少しの勇気が必要で、心には小さな不安も湧き上がっていた。その時、ふと数期前にジェイコブから言われた、あの言葉が脳裏をよぎった。


 ——『混沌』、そうだ。


 僕は今、まさに混沌の中にいる。あの時、ジェイコブとの模擬戦闘で、僕はその混沌に挑むことを恐れ、それが敗北の一因となってしまった。それに比べれば、絵を描くことなど、取るに足りない些細なことかもしれない。そう自分に言い聞かせ、僕は描く対象を探してゆっくりと辺りを見回した。しかし、どうしてもクレアとレーアの視線が気になってしまう。最初、二人は僕が何を描き始めるのか興味津々で覗き込んできて、楽しそうに声をかけてきた。


「何を描くの? 早く描いているところを見せて!」


「久しぶりなんだから、そんなに難しく考えずに、思ったまま描けばいいんだよ」


「そうね、思ったことそのまま描けばいいもんね」


「クレアちゃんも楽しみ?」


「うん、初めてシンが描くところを見るの楽しみ!」  


 そう彼女たちのおしゃべりが続く。彼らの楽しそうな声は、僕の集中を乱し始めた。僕は思わず、口を開いた。


「あの……すみません、お二人とももう少しだけ静かにしてもらえますか? 集中したいので」


 やがて、彼女らが渋々離れると、僕は息を整え、目の前に広がる夕焼けに染まる湖の風景を描こうと心に決めた。時刻は夕方。時間がないので急いで画用紙を画板にセットし、絵の具をパレットに出した。バケツに汲んできた湖の水で筆を濡らし、絵の具を掬い取り、風景に合うように色を混ぜ合わせた。いよいよ、最初の筆を画用紙に置こうとしたその時、意を決して筆を滑らせると、あの日と同じような、不思議な感覚が蘇ってきた。僕はまるで何かに導かれるように、目の前の風景の光と色彩を捉え、ゆっくりと、しかし確かな筆致で、キャンバスに映し出していった。絵筆を動かすにつれて、僕の心は過去の自分と再び繋がり始めた。鮮やかな色彩と、水面に反射する柔らかな光の表現に没頭するうちに、時間の感覚は完全に消え去っていた。その中で、僕はただケンとの記憶をなぞるだけでなく、ずっと失われていたと思っていた自分自身のかけらを、確かに見つけ出そうとしていた。


 ——ああ、こんな感覚だったな……。


 ケンが読書に没頭している時の、穏やかで知的な表情。頭や胸の奥に感じていた、言葉にできない感情が体全体に広がる感覚。あの時、僕とケンを包んでいた空気。そして、あの、まるで陽だまりのような温かさ。


 夕陽が森を黄金色に染める頃、僕はようやく筆を置き、完成した絵を静かに見つめた。湖畔の夕景を描いたその絵には、ケンとの温かい記憶が鮮やかに息づいており、絵全体に柔らかな希望の光が宿っているようにさえ見えた。描き終えると、僕は一つ深く息を吸い込み、後ろを振り返った。クレアとレーアが、優しい微笑みを浮かべて僕を見守ってくれていた。二人は、僕にとって本当に大切な何かを思い出させてくれた。僕は心からの感謝を込めて、二人に言った。


「二人とも、今日は本当に色々と付き合ってくれてありがとう。何か僕にできるお礼はないでしょうか?」 クレアとレーアは顔を見合わせ、微笑んで言った。


「ううん、私はシンが初めて本当に楽しそうにしているところを見られた。それだけで十分よ」


「いや~シンは本当に絵が上手だな! そうだ、今度会った時、私たちのエミュエールハウスの子供たちを描いてくれないか?」


「わかりました。またそのような機会があればぜひ描かせてもらいます」


「お、それはありがたい、それじゃあまたの機会に! 達者でね、みんな」

 そう言って、レーアは自分のホバーバイクに乗り込んだ。


「またねー レーア」「ありがとうございました」


 僕らがそう言って手を振ると、彼女はグーサインを僕たちに向け、颯爽と帰っていった。


 やがて、森には夜の帳が静かに降り始め、画材を片付け終えた僕たちは、エアリアのエミュエールハウスに向かって歩き出した。すると、僕たちがなかなか戻らないのを心配したのだろう、エアリアさんとロミ、スレイが遠くから声をかけてきた。


「おい、クレア! 今日はスレイが学校で習った難しいところ教えてくれるって言ってたじゃん、今までずっと何やってたの?」


「うるさいわよ! シンが絵を描いている様子をずっと見ていたの!」


「まさかいつもの様にぼんやりしていたんでしょ、ほんといつも元気になったり、静かになったり、わけわからないよ! メンヘラ⁉」


「小学生が覚えたての言葉を使うんじゃない! いいじゃない、そのくらい、私は今日はこういう気分だったの!」


「答えになってないよ、このことどう思う? スレイは?」


 痴話げんかが始まり、ロミはスレイに意見を求めているようだったが、はっきりとした回答は得られなかったようだった。

「なんだよ、もう! 答えになってないな、とにかくもう遅いから早く帰ってこいよ!」


「今、少し余韻に浸ってるところだからそんなに急いで行けないわよ!」


 二人の喧噪を見守っていたエアリアさんはロミを諫めてから、僕らの方を向いて提案する。


「ロミの言う通り。とにかくシン、もう遅いから、今夜は私の家に泊まっていったらどう?」


「エアリアさんありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」


 僕はその誘いに甘え、クレアと共にエアリアの家へと足を踏み入れた。静寂と満天の星空に包まれた夜の森。僕は、今日、新たな一歩を踏み出せた喜びを噛みしめながら、その静かな夜を深く心に刻んだ。




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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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