第8話 クレアの助言①
~14期 上旬~ 昇恒10時5分
天気:晴れ
場所:エアリアさんのエミュエールハウス
エアリアさんが玄関のドアを開けると眩い光のカーテンが床を照らし、小さな氷の粒子がキラキラと舞い込んでくる。すると、彼女は何かを思ったのか大きく息を吸い込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ……」
あまりの寒さだったのか彼女は思わずむせ込み、しばらく息を整えた。それから、家の中にいる子供たちに目を向け、恥ずかしさを隠すように明るい声で言う。
「さ、さあ、今日は休日で学校も休みだから、外で元気いっぱい遊びましょう。ずっと家の中にばかりいると、背が伸びなくなっちゃうわよ」
今日も僕はカウンセリングのために、エミュエールハウスに来ていた。一週間目のJ曜日に来た時よりも、自分の状況を少しずつ話せるようになっていた。以前込み上げてきた強い感情も、今は薄れつつある。
スレイはいつも通り部屋にこもりきり。一方のロミとクレアはエアリアさんの希望に応え、素直に外へ飛び出していった。二人が出て行ったのを確認すると、エアリアさんは僕に向き直ってこう言った。
「シン、あなたも外に出た方がいいよ。日光を浴びれば少しは気分がよくなるわよ」
エアリアさんの言葉に従い、僕は外に出ることにした。暖かい室内から一歩外へ出ると、冬の冷たい空気が肌を刺す。思わず息を吸い込むと、肺が凍りそうになり慌てて口を閉じた。
——危ない、危ない。
落ち着きを取り戻し、ふと前方の景色を見る。湖畔に向けてロミとクレアが、まるで追いかけっこをするかのように駆け足で進んでいる。
「ロミ、遅いわね私の方が早く着いちゃうわよ!」
「いやいや、クレアが先に走りだしたんだから、そりゃあ早く着くに決まってるじゃん!」
そんなあたたかな光景に触れ僕はふと考える。小学生が湖畔で二人ができる遊びとは、一体どんなものがあるのだろうか。
——あれ、何だっけ……?
いくら考えても、頭に浮かぶことはなかった。
そういえば、僕は子供の頃に外で遊んだ記憶がほとんどない。幼少の頃からいつも勉強漬けの毎日だった。そうしなければこの世界では生きていけない。市場価値がなければ食べていけない。それが僕にとって世界の常識だったからだ。
けれど今、目の前にある光景は違う。子供たちがしている遊びの名を僕は知らない。ただ無邪気に外で遊んでいるだけだ。それでも、彼らはちゃんと生きていける。僕はただ、その光景が何故だかとてつもなく温かく見えた。そして、その温かさに導かれるように、僕は一歩、また一歩と外の土を踏みしめていた。
僕はしばらくの間、湖畔でロミとクレアの様子を穏やかな気持ちで見守っていた。二人は広い野原を無邪気に駆け回り、興味深そうに草木をいじってはしゃいでいる。その光景に、遠い記憶の片隅に追いやられ、僕自身の小学生の頃の姿を重ねていた。あの頃の僕は、何の憂いもなく自由に遊び、笑い合う時間は、僕には決して与えられなかった。抑圧された日々のかすかな記憶が、心の奥底に今も鈍い痛みを残している。それでも、目の前で繰り広げられる彼らの純粋な笑顔を見ていると、心がじんわりと温かくなるのを感じ、静かな安堵に包まれていた。ただ、今の僕には、彼らと心から喜びを分かち合うことはできない。ふと、思う。こんな時、この前に偶然出会ったリアンのような存在がいれば、僕の心はもっと穏やかな安息を得られるだろうか。物語に登場する天使のように、彼がこの場所に現れてくれないかと、僕はそんなありえない空想に耽っていた。
しばらく僕はぼんやりと視線を遠くの湖面に漂わせていた。ふと意識を足元に移すと、二人は遊び疲れたのか、ロミは先に家へと駆けていった。一方、クレアは一人湖畔に残り、顔を上げて空を見上げ、まるで誰かと親密な会話を交わしているようだった。以前から何度か見かけて気になっていたのだが、彼女は家で一人になると、決まって天井を見上げ、楽しそうに、あるいは真剣な面持ちで誰かと話している様子だ。この奇妙な行動は一体何なのだろうか?彼女は幻覚を見ているのだろうか?それとも誰にも打ち明けられない精神的な問題を抱えているのだろうか?もしかしたら、僕と接する時のあの屈託のない明るさは、心の奥底に潜む暗い何かを隠すための、精一杯の仮面なのかもしれない——僕は気になり、引き寄せられるように彼女に近づいて少し話を聞いてみようと思った。
「ねえ、クレア、クレアは一人になるといつも天井とか空を見上げて、楽しそうに誰かと話しているみたいだけど……何かあったのか? 不思議なこととか、何か今まで辛かったこととか……」
クレアは僕に振り向いてにこりと笑う。
「ううん、そういうわけじゃないの。私、眠るとよく夢を見るんだけど、それがいつも不思議な夢なの……。体が溶けて何かと一体になりそうなところで終わる夢をいつも見るの。それが少し怖くて、この世界が本当に私の見えている世界が全てなのか、不思議に思えてくるの……。だからいつも考えているの。お父さんお母さんは私が生まれる前に死んでしまったのだけど、今どこにいるのか、もしかしたら、数千年前に言われていたような天国があるかもしれない……。もしかしたら、そこでお母さんとお父さんは私を見守ってくれているかもしれない……なんて」
——不思議な夢……? テンゴク……? 両親がいない……⁉
クレアの言葉に、僕は混乱した。彼女の言葉には多くの謎が詰まっていた。僕は頭の中で一つ一つ整理していく。
一つ目、不思議な夢なら、僕も見る。真護会が出す全智典には、眠っている間に見る一連の心的現象の一つと書かれている。別に不思議なことではない。たぶん、彼女に何か辛いことがあって、それを寝ている間にストレスとして処理しているのだろう。
二つ目の天国は、存在しない。確かに数千年前、人類が小さな社会を築いていた頃は、神という架空の象徴を作り出して団結していた。しかし、しばらくして先導者エリオスが現れ、全智典を作ることで、今、人間は知識を積み重ねることでより大きな社会構造が築けたのだ。人間は死んだら、脳神経の電気信号が完全に消滅して、完全に『無』になるのだ。そんな不思議な話をしてきたのは、僕が小学生の時に友達に言われて以来で、少し懐かしい気分になった。
そして三つ目、一番驚いたのは、彼女の両親が死んでいるという事実だ。通常、子供を作る際は性行為をして、卵子と精子が受精することで生まれる。例え、採取した両親の精子と卵子を使い人工授精をしたとしても、妊娠するための母体がなければ子供は産めない。たとえ人工胎盤を使用しても母親からの外的な影響がなければ赤ちゃんは順調に成長はしないし、それは科学的にも証明されているが…本当に、証明されているのか? 僕は彼女の出自に関する謎について、しばらく考え込んでいた。(以前読むんだSF小説から得た知識の請負だが……)
すると、クレアが僕の様子を見て心配したのか声をかけてきた。
「シン、何か深く考え込んでいるようだけど大丈夫?私は精神的に悪いところはないから安心して。大丈夫よ。たとえもし何かあっても、エアリアさんが相談に乗ってくれるから気にしないで」
「そうか……それを聞いて安心したよ」
にこりと笑顔を向けてくれたので、僕はひとまず胸を撫でおろした。
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