第7話 リアンとの出会い④
「あの……料理を、教えてもらえませんか?」
僕が家に帰ると、エアリアさんはちょうど料理の準備を始めていた。たくさんの野菜と、赤と白の筋が入った柔らかそうな肉塊が並べられている。何を作るのかはさっぱり分からなかったが、僕は意を決して彼女に頼み込んだ。
エアリアさんは少し驚いた表情を浮かべた後、微笑んで言った。
「え、料理教えてほしい? まあ、いいわよ。一緒にやりましょう」
了解をもらい、エアリアさんに言われた通りに手を洗い、何かの菌類が体に付着するのを防ぐため、布を体にまとい、僕はたくさんの料理道具がある台の前に突っ立っていた。すると、僕と同じような格好になって、エアリアさんが近寄ってきた。地下室の作業で汗をかいているが、それでも彼女の芯から甘い苦みを含んだ温かみがにじみ出る。そんな美麗な人と共同作業するのは少々気恥ずかしいが、僕はそんな気持ちを振り払うようにかしこまって挨拶をする。
「初めてなので、お手柔らかにお願いしますエアリアさん」
「よし、じゃあ今日は予定を変更して、料理の基礎を学べるようなことが出来る料理を一つ作って行きます」
「それは何ですか?」
「鍋です!」
それは、過去に一度だけ作ったことがある。お店で売られている、具材がすでにパック詰めされたインスタントの鍋料理。沸騰したお湯にただ入れるだけの簡単なものだ。当時は少し手間のかかる無駄な作業だと思っていたが、これも料理なのだと今、初めて知った。
「え!こ、こんなものでいいんですか?」
「今回は具材を最初から準備するところから始めます。これが料理の基礎ね」
「分かりました」
僕はそう答え、まず様々な調理に必要な道具の名前と、作り方の手順を同時に教えてもらうことにした。
「今、目の前にあるのが調理台、またの名を台所。その上に乗っているのがまな板と包丁。包丁を使って、まな板に乗せた具材を切って食べやすくするの。そして、右隣にあるのがコンロ、ここから火が出て、上に置いた器の中に具材と水を入れて煮込むだけ。簡単でしょ。さあ、やってみましょう」
僕はまず恐る恐る、台所に置いてある包丁をまるで機態の操縦桿を握るかのように持つ。すると、その持ち方が悪かったのか、慌ててエアリアさんが駆け寄ってきて、僕の握っていた包丁を放すように促した。
「ちょっと待って、シンの今の持ち方は危険だから、こう持つの」
——駄目なんだ……。
そう言って、人差し指を刃物の峰に乗せる握り方を教えてくれた。
続いて僕は彼女が以前やっていた動作をイメージしてまな板に載せられたオレンジ色の細長い野菜を真上から直接叩き込むように振り下ろす。
“ズトン!”
激しい音が立つ。すると目の前の食材はいつもエアリアさんが食卓に出しているような形ではなく、無残にも潰れてしまった。
「危ない、危ないそのやり方もだめ!」
——これも……?
エアリアさんの厳しい声が響き、僕は慌てて手を止めた。彼女は僕の手から包丁を取り上げ、再び手本を見せてくれた。刃先を食材に当て、向こう側へ押し出すように滑らせていく。先ほどとは全く違う切れ方に、僕は目を見張った。
「やってみます!」
僕はエアリアさんと入れ替わり、教わった通りに包丁を動かす。すると先ほどとは違って目の前にある食材が鋭利な断面図を見せた。
——おお、やった!
小さな一歩だが、確かに僕は成長している。一段ずつ階段を上るように、野菜を切り進めていく。やがて、作業感覚が慣れてきたのか野菜を刻む感触が心地よくなり始めた。「次はこれね」 エアリアさんが手に取ったのは、赤と白の筋が入った柔らかそうな塊だった。
「これは何ですか?」と尋ねると、
「お肉よ」と彼女は答えた。僕は自分の腕を指して、力こぶを作ってみせた。「まさか、これじゃないですよね」という冗談のつもりだった。しかし、エアリアさんは僕のジェスチャーににっこりと頷いたので、僕は全身から血の気が引くのを感じた。
「え、まさか人間のお肉を使っているんですか!」と、僕は思わず声を上げていた。
「はは、まさか!」 エアリアさんは目を丸くし笑った。
「もちろん、別の動物のお肉よ。柔らかいから、切るときは少し気をつけてね」
「わ、わかりました。気を付けます」
彼女の言葉に従い、僕は慎重に包丁を入れる。刃はほとんど抵抗を感じることなく、吸い込まれるように滑らかに進み、綺麗に切れ目が入った。次々と肉を切り分けていくうちに、ふと疑問が湧いた。この肉は本当に生きていたのだろうか?僕はエアリアさんにその疑問をぶつけてみた。
「もちろんよ」 彼女はあっさりと答えた。
「きちんと管理された生きた動物を専用の施設で屠殺して、丁寧に処理されたものが、私たちのところに届けられているの。だから私たちは彼らの命に感謝していただかないとね」
――感謝していただく……。
確かに、彼ら動物の人生は、人間に食べられるために生まれ、殺されるという、ある意味では無念なものだ。けれど、その命が無駄にならないように、僕たちがきちんと受け止めてあげることこそが、感謝の気持ちなのかもしれない。僕ら人間とは違い選択肢を持たずに生まれてきた彼らに対し、僕は静かに慈愛の念を抱きながら再び包丁を握った。
全ての食材を切り終えると、エアリアさんが用意しておいてくれた鍋の下には、既に火が灯っていた。火事以外で見る本物の炎は初めてだった。店で食事をする時は、火災のリスクを考慮してIH調理器が使われているからだ。その事実はさておき、僕はその神秘的な炎の様子をしばらく見つめ、エアリアさんの指示に従って食材を鍋に入れていく。ぐつぐつと煮込まれるうちに、食材の色は液体に溶け込むように変化していった。最後に、エアリアさんが赤い液体を加え、さらに煮込むと、少々刺激的だが豊かな香りを纏った鍋料理が完成した。
「みんな! 夕食出来たから降りてきて!」
エアリアさんがみんなを呼ぶと、二階から人々がぞろぞろと降りてきて席に着いた。お昼の凍り付いたような雰囲気とは打って変わり、皆いつもの様子に戻っていた。僕は少し安心し、先ほど作った鍋とその他の料理を机に並べていく。ご飯やみそ汁などの料理は、僕が作っている間にエアリアさんが準備してくれた。作り方を教わったので、また機会があれば作ってみたい。そんなことを思いながら僕の料理を見て最初に反応したのはロミだった。
「これ、誰が作ったの?」彼はいつも僕を目の敵のように見るが、感性はかなり鋭い。
「シンが作ってくれたのよ」
「ふ~ん。まあ、鍋なら誰でも作れるしね~」
ここに来て初めての一歩を踏みしめた気分だったのに、その一歩を踏みにじられたような気がして、胸がちくりと痛んだ。確かに、ロミたちにとっては簡単すぎたのかもしれない。僕はそれを表情に出さず、気にしないように努めた。その一方で、クレアは優しい言葉をかけてくれる。
「わあ、シンが作ってくれたのね、ありがとう。美味しくいただくね」
そう言って素直に食べてくれた。一方、スレイは相変わらず静かにご飯の上に具材を乗せ、熱さを冷ましながらゆっくりと食べている。しかし、ぽつりと言う。
「——おいしい……」
初めて彼女から肯定的な言葉を聞き、作って良かったと心から思った。エアリアさんたちは一生懸命僕の作った料理を美味しそうに食べていた。その光景は僕の心を温かくしてくれた。
しかし、ふと考える。なぜこれほどまでに無駄な行為がこんなにも嬉しく感じるのだろうか。食べ終わった後、僕の周りにやんわりとした疑問として付きまとっていた。なので一緒に食事の後、片付けをしている時にエアリアさんにさりげなく聞いてみた。
「少し疑問に思ったんですが、どうしてあんなことで嬉しくなるんでしょうか。料理なんて、僕にとっても、故郷のアメリアの人たちにとっても手間のかかる無駄な作業に思えるのに」
するとエアリアさんはくすっと笑って答えてくれた。
「ふふっ、シンは本当に不思議なことを言うね。う~ん、たぶんだけれど、自分が行った行為、与えた物が他人に受け入れてもらえたからだと思うよ」
——え、それだけの理由……?僕は、そんな些細な行為で少し嬉しくなったのか……。
「そうですか……」
たったそれだけのことが、僕をこんなにも満たしてくれるのか。疑問は浮かんだがそれでも空っぽだった心の隙間が、ほんの少し埋まったようなそんな気はした。
片付けを終え、少し不思議な気持ちを抱えながら、僕は今日泊まる二階の部屋へと上がって行った。お風呂に入り寝間着に着替え、ベットに入り天井を見上げながら今日あった色々なことを頭に浮かべる。カウンセリングでここに来たこと……、ロミの言葉で雰囲気が悪くなったこと……、リアンとの出会い、そして初めての料理……。
「与えた物が他人に受け入れてもらえたからか……」
様々なことはあった。それでもなによりここに来て初めての一歩は、ささやかながらも不思議な感情を僕にもたらしてくれた。
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