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第7話 リアンとの出会い③

 僕はエミュエールハウスを出て、しばらく歩いた。以前、機態に向かう車中で見た湖畔へ向かおうと森の中を歩く。今日はカウンセリングに来たはずなのに、来た時よりも何だか気分は悪化したような感覚だ。心的なストレスの上に、また別のストレスが頭の中に外の凍える冷気と相まって積み重なっていくような気もする。     

 そんな鬱屈した気分を抱え僕は目的の場所に向けて歩みを進めていた。周りは針葉樹が密集し、晴れた日の光もほとんど差し込まない。湖畔に続く少し整備された獣道には小さな人工灯が点々と設置され、湖に差し込む日の光だけがくっきりと視界に浮かんだ。そんな情景を見ているうちに、ふと思った。そういえばなぜ、たった一人の女性の元に、様々な経歴を持ちそうな子供たちがいるのだろうか。身寄りのない子供たちを育てているのは分かるが、三人も一人で見るのはかなり大変なはずだ。それに、エアリアさんは一体何で収入を得ているのだろうか。あんなに立派な施設を、彼女の能力だけで維持できるとは思えない。科学的な知識もカウンセリング能力もあり、かなり優秀な人なのに。僕がいない間、彼女は何をしているのだろうか。エミュエールハウスの二階には、同じサイズの部屋が五つか六つほどある。三人と仮部屋の僕一人の四人でも、二部屋余る。もともと宿泊業でもやっていた家を買ったのではないか——様々な思考が頭を巡るが、はっきりとした答えは浮かんでこなかった。

 湖畔に着くと、僕はただぼんやりと湖を眺めていた。童話に出てきそうな広大な湖は、冬の寒さと標高の高さから一部が凍りついていた。わずかな風に揺らめき、水面に斜めから差し込む日光が反射してキラキラと輝く光景は、どこか神秘的だった。今日一番、心が落ち着く瞬間がやっと訪れたと胸を撫でおろす。

 心にわずかな余裕が生まれると、僕はその空虚を埋めるように新たな思索に沈んだ。これから自分はどうすればいいのだろう。大学には二期以上も顔を出しておらず、軍隊では行方不明扱いになっているだろう。もっとも、まだ軍隊に戻りたい気分にはなれず、ステラリンクのGPS機能をオフにしていたのだが。それに、今更国を守るために働こうという気持ちなど、微塵も湧き上がらなかった。


 ——ジェイコブさんはどうなってしまったのだろうか。


 ふとあの瞬間のことを思い出そうとすると、また嘔吐感が蘇ってくる。なので僕は思考を中断した。それでも他のことを考えていると、ふと、自分のすぐそばに何かが気配を潜めているように感じる。最初、この時間、この湖畔は自分だけの場所だと思っていた。ここでなら誰にも邪魔されずに自分の問題と向き合えると安心していた。しかし、かすかな雑音が混じった感覚を肌で感じ、少し生暖かい風が通りすぎた。

 するとその直後、僕の心を見透かすような、悟りを開いたような優しい声が、思わず僕の耳をそばだてさせた。


「ねえ、君はそこで何をしているの? よく見ると……軍人さんがつけていそうなデバイスを着けているし……いったい君は何者なんだい?」


 ——僕の方こそ、君は一体何者なんだ。


そう思いながら、声のした方を振り返る。そこに立っていたのは、周囲の寒さを差し引いても過剰なほどの厚着。まるで極寒の地に住む人のような装いをした、痩身の青年だった。イヤーマフの上から覗く髪は、色褪せたような淡いブラウンで、わずかに癖のあるミディアムストレート。今にも消え入りそうなほどに白い肌、卵型に近い整った輪郭、そして、慈愛に満ちた穏やかな印象を与える瞳。そんな不思議な雰囲気をまとう青年が、僕に言葉を続けた。


「君、たぶん軍隊から抜け出してきているね。君のその黄昏れている感じと、手に着けているデバイスから、なんとなくわかるよ。自分の居場所が分からなくなってしまって困っているんだね?」


 ——なんでわかるんだ……。


 徐に僕は彼を見る。髪の下に隠された、すべてを見透かす琥珀朱色の瞳が、僕の体を射抜いた。その視線にぞっとし、思わず湖に目を逸らす。それでも、僕の心の奥底を初めてがっちりと掴まれてしまったような感覚に陥った。だが、彼の声を聞くと、なぜか不思議と温かい気持ちになる。僕は、己の心を溶かすように彼に言う。


「突然そんなこと言われると、驚いちゃうよ。君の名前はなんていうの?」


 すると彼は素直に答える。


「リアン、リアン・ロズワールだよ、君の名前は?」


「シン・ヨハン・シュタイナー、シンでいいよ」


「突然聞いて悪かったね。君の背中を見ていて、とても寂しそうだったから、つい声をかけちゃったんだよ。何かあったのかな……と思って」


「確かに、リアンの読み通り僕は今軍隊から逃げてきているよ。何もすることがないから、そこにあるエミュエールハウスの人たちや、近くの農場にいる人たちに住まわせてもらっているんだ」


「いや、君は自らの意思で逃げてきたわけじゃないはずだよ。たしか二期ほど前に、イオニア県の北にあるレガリア県のところで大規模な災害があったはずだ。そこのニュースで見たけど、アメリア軍の関係者も巻き込まれたって書いてあったから、たぶん君のことなんじゃない? 生き残った人の一人として」


「——実際はそうだよ。よくわかるね。でも実際は逃げてきたようなものだよ。誰にも認められないから、ここに居座っているんだ。今軍隊に帰ったところで、僕はただの心理疾患持ちの役に立たない軍人に成り下がるだけ。僕はただ組織の中で生きるがん細胞みたいなものだよ」


 彼の引き寄せるような口調に僕は思わず本音を吐き出してしまう。


「いや、本当に君は逃げてきたわけじゃないよ。シンの言うエミュエールハウスに来ているってことは、何かしら克服に来ているってことだよ。自分の出来る所から自分の弱さやその心理疾患に向き合うために。シン君、それは決して自分から逃げている行動ではないよ」


 何もかもお見通しの超能力を本当に持っているのだと勘違いするほどの洞察力。自分では気づかないような、見失っているような気持ちさえも気づかせてくれる。普通ならばそこまでされたら驚くだろう。だが、今の何もない僕には、彼は無条件に、初めて僕を本当に包んでくれる存在ではないか。僕はそう思い、彼の方を見て考え、また湖の方を見ながら彼に助けを求める。


「それなら僕は、これから何をして行けばいいんだろうか。なんだかこのままではいけないような気がするんだ」


「それはたぶん……うーん、君の中にある本能が、肉体的な限界を超えて何かをさせようとしているんだよ。でも今のままだと体が壊れてしまう。だから、まずは自分の出来る範囲で、何かできそうなことから始めてみたらどうだい?ここでは貨幣の所持量による制約も少ないから、気負わずに何でも試せると思うよ」


「——何かできること……」


 以前ライアンに言われた「わくわくすることを探す」。そして、リアンの「何かできそうなことからやってみる」。ライアンの雰囲気と、リアンの穏やかな佇まいから、なぜか懐かしい存在が心に浮かんだ。誰だったかはっきりと思い出せない。けれど、もう少しで手が届きそうな気がする。何か大切なことを教えてくれた、そんな存在に……。すると考え込んでいる僕を見計らい、リアンが優しく声をかけてきた。


「少し、考えすぎだよ、シン君。最初は大きな一歩じゃなくて、半歩でもいい。すり足だって構わない。今の生活に、ほんの少しの変化を加えてみるのはどうかな?」


「少しの変化?」


「人生は選択の連続なんだ。たくさんの経験ができる今が一番若い時なんだし、こんなに手持無沙汰な時は色々挑戦してみればいい。失敗したっていいし、周りから見れば些細なことでも、やったこと自体が君にとって、きっと大きな一歩になるはずだよ」


 僕はしばらく考えてみた。最近僕が行ったことは、農作業、食事、睡眠ただそれだけ。他に、何かできそうなことはないかと頭の中を見渡すと、ふと、エアリアさんやクレアが楽しそうに作っていた温かいレガリアトーストの香りが蘇った。あの温かさ、優しさ……。


「——リョウリ……料理をしてみるのはどうかな?」 少し不安だったが思い切ってみた。


「おお!それならいいんじゃない? 料理ならすぐに始められるね」


 リアンが満足そうに頷くのを見て、僕も思わず笑みがこぼれた。


「リアン、勇気づけてくれてありがとう。少し、気持ちが楽になったよ」


「いいや、きっかけを掴んだのは君自身だよ。もっと自信を持っていい。あ、僕はそろそろ時間だ。また会う機会があれば、その時はゆっくり話そう」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の体から温かさが急速に引いていくのを感じた。僕は慌てて、引き留めるように声をかけた。


「また、君に会えるかな……?」


「ああ、きっとまた会えるさ。エンが、君と僕とを導いてくれるだろうから」


 ——エン、何の言葉だろう。初めて聞く響きだ。


 そんな不思議な言葉を胸に抱いていると、いつの間にか日は西に傾き、辺りは薄暗くなっていた。リアンは、少し離れた場所で僕たちの様子を見ていた眼鏡の男に声をかけられ、そちらへ歩き出した。眼鏡の男はリアンに何かを指摘しているようだったが、リアンは軽く笑いながら受け流していた。しばらく話していた二人は一台の車に乗り込み、静かに走り去っていった。僕は彼らの去る様子を、ただ見送ることしかできなかった。リアンとの出会いが、僕の心に温かい火を灯してくれた。だが、彼が去ってしまった今、再びその火が消えてしまいそうで、言いようのない孤独感に襲われた。しかし、リアンの言葉は僕の心に温かい火を灯していた。僕はリアンがくれた小さなきっかけを大切に胸に抱きしめ、エミュエールハウスへと、半歩ずつでも進んでいこうと、力強く一歩を踏み出した。



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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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