第7話 リアンとの出会い②
~翌日~ 昇恒9時00分
天気:晴れ
場所: エアリアさんのエミュエールハウス
「どう?一週間経ったけど、以前と比べて、心の状態に変化はあった? 何か良くなったところは?」
エアリアさんが優しい口調で話しかけてくる。
「——はい……エヴァンさんの農地で手伝いをしていたので、少しは……辛いことを忘れるための集中できる時間は得られたと思います」
「でも、エヴァンくんから症状を聞いたけど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)も視野に入れて、週に二日くらいここに通って、少し話し合いましょう。相当シンにとってはショックだったようね。私も全ては把握できていないから……体以上にあなたの心のことを私がもう少し、心配していれば……本当にごめんなさい」
エアリアさんは僕に対して、職業柄か、感情を抑えた落ち着いた口調で謝罪の言葉を述べた。
僕は今、エアリアさんが運営するエミュエールハウスで、一週間前の約束通り、カウンセリングを受けていた。僕の所属するアメリア軍でもかなり昔、他国と戦争をしていた時はカウンセラーがいたらしいが、今、専門のカウンセラーはアメリア軍にはいない。たまに、数年に一度訓練中に事故に巻き込まれ殉職する隊員の人もいるが、基本的に戦闘で死ぬことは殆どない。もし精神を病んだ場合は軍内にある精神科に通うことになる。僕はそんな治療を今、受けていた。
今、一階のリビングの机を挟んで僕の斜め向かい右にエアリアさんが座る。彼女が質問をしてくるので、僕は出来る限り話せる範囲で話していく。
「それで、問診票にも書いてもらったけれど、生まれは分からないけれど、小さい頃からアメリア連邦国の首都ハイネセンにいるのね。アメリア軍での生活はどう?」 問診票を目を細めて見ながら、エアリアさんは他愛ない世間話から始めた。
「まだ入って始めの方なので、具体的に大きなことはしてないです。入ってすぐ大学のオリエンテーションがあって、その後からはすぐに、アメリア軍の飛行訓練を受けたんです」
「そんなに早い段階から……大変なのね」
「いや、それほど早いわけでもなくて。士官学校時代からある程度の訓練は受けてきたので、すぐに機態や火器も扱うことが出来るんです」
「それは立派ね。それで、アメリア軍での生活はどうだった?」
「そうですね……。まだ、実感が湧かないというのが正直なところなんです。訓練自体は以前から経験してきたことの延長線上にあるので、特に戸惑うこともなくこなせています。ただ、周りの隊員たちとの間に、どこか疎外感のようなものを感じることがあるんです」
「疎外感……それはどういったもの?」
「——僕は、アメリア軍の士官学校時代の終わりに、ちょっと……しくじってしまって、他人と自分との間に疎外感というか……もやもやすると言うか……劣等感みたいなものを感じてしまったんです」
「なるほど。それは少し悲しいわね」
「——まあ、すぐに慣れると思います。それに、軍隊は実力社会なので、結果を出せば……自然と認められるようになるだろうと思っています」
「そうね。シンならきっと大丈夫よ。でも、もし何か悩みがあったら、いつでも相談してね」
「ありがとうございます」
僕はエアリアさんの優しい言葉に、少し心が軽くなったような気がした。
「それで、問診票の内容に戻るけれども……」
エアリアさんは、改めて真剣な表情に切り替える。
「問診票にも書いてもらったけれど、『たまに大切な人が目の前で残酷な亡くなり方をした時のことが頭の中でフラッシュバックする』と書かれているんだけれど、どんな感じか、無理をせずに話せる範囲でいいから教えてくれる?」
僕は、深呼吸をして、当時の記憶を辿り始めた。
「——ええっと・・・…最初は、何が起こったのか、全く理解できなかったんです。ただ、目の前で人がそれぞれの人の人生が『無』であると言わんばかりに消えていくという光景が……」
「ウッ!」 急に映像が鮮明に頭で再生され、僕は思わず口を紡ぐ。
「特に、ジェイコブさんが……、あんなに頑なな性格の人だったのに、最後は助けを求めていた姿が、……悲鳴が……頭から離れなくて……」
ジェイコブさんの声がまた蘇り、言葉に詰まって俯いてしまった。
「ちょっと!ちょっと! 思い出すのが辛いなら、無理して語らなくてもいいのよ」
エアリアさんは、僕の気持ちに寄り添ってくれるが、それでも僕はできる限り絞り出そうとする。何かを話さなければ、この苦しみから逃れられないような気がしたからだ。
「やっぱり……あの人の…悲鳴が……頭から……離れなくて……っ」
結局、言葉にならず、漏れたのは引き攣った呼吸だけだった。僕は両手で頭を抱え込むようにして、再び俯いた。
「だからそんなに、無理しなくていいわよ、話せる範囲で、少しずつ話していきましょう。あなたのペースでね」
結局、今日の段階で、僕はエアリアさんに自分のことを全て打ち明けることはできなかった。エアリアさんは「今日は家でゆっくりしていって」と勧めてくれたので、僕は暇を持て余すように、今、リビングの机で子供たちの様子をぼんやりと眺める。エアリアさんは地下室で何やら作業をしているし、いつもの少し髪の跳ねている少年ロミは、エアリアさんの地下室の中を覗いて作業風景を見ようとしているが、エアリアさんから立ち入りを頑なに禁止されており、少し拗ねているようだ。黒髪ロングの少女クレアは、何か空に向かって誰かと話している。青竹色のショートカットの少女スレイは、いつも何か難しそうな本を読んでいるし、ここにいる人たちはかなり癖のある人たちだ。僕はこれが普通であると思ってしまっているが、ふと考えてみると、エアリアさんに夫はいるのだろうか。三人とも髪質、髪色共に全くといって違う。
——まさかな……。
エアリアさんがそんな尻軽であるわけがない。こんなに僕のことを思って行動してくれるし、かなり聡明で堅実な人物であるはずなのに……。
しかし、その拭いきれない違和感は、僕の心にずっと引っかかっていた。そんなことを考えていると、エアリアさんが食器が収納されている地下室から出てきて、台の上で作業し始めた。彼女が誰かに手招きするとクレアが近づいてきて一緒に以前話していた、料理というものをするところへ立った。クレアが準備している間に、エアリアさんが料理するところの上の棚から持ってきたのは、茶色い直方体の塊。
——何だろうか……?
疑問が浮かび目を凝らすと、彼女は刃物を取り出し、それを四角いパンのようなものを細長く縦に切り始めた。断面は、ボーリング調査で見られる地層のような横縞模様ではなく、均一な白さだ。
——あれは……確か……コンビニでよく売っているレガリアトーストだ……。
二人はそれを、大きなカップに入った鮮やかな黄色の液体に浸していく。パンがたっぷりと液体を吸い込むと、それを熱した鉄板のようなものに次々と置いていく。”ジュッ”という心地よい音とともに、パンの表面には黒茶色の焼き目がついていく。しばらくして、クレアは香ばしい匂いを纏ったそれを大きな皿に盛り付け、僕の座っているリビングまで運んできた。
「はい、レガリアトースト」
目の前のテーブルに置かれたのは、紛れもなく僕がコンビニでよく手に取っていたものだった。初めてその作り方を知り、こんなにも簡単に作れるとは思いもしなかった。そんな些細なことに少々感動していると、先ほどまで床でゴロゴロしていたロミが隣に座り、待ちきれない様子で「早く食えよ」と促すので、僕は端にある一切れをそっと口に運んだ。焼き目のついた茶色い部分はカリカリとして香ばしく、中の黄色い部分は熱を帯びてふわふわとしている。口の中に広がるのは、絶妙な甘さと優しい舌触り。コンビニで買う冷たいレガリアトーストとは全く違う、温かくて柔らかい食べ物だった。
連日のエヴァンさんの農作業中はまともな食事が用意されず、朝夕はアメリア軍支給の味気ない簡易食ばかりだったため、温かい食事を摂るのは本当に久しぶりだった。
僕は夢中でレガリアトーストにかぶりついた。じんわりと体に染み渡る温かさ、ふんわりとした優しい食感、そして控えめながらも心地よい甘さが、空腹の体にじんわりと広がっていく。連日の重労働でまともに食事が摂れていなかった今の僕はは、まるで干からびた砂漠で清らかな水を見つけた旅人のようだった。そんな僕の飢えた様子を見て、ロミがからかうようにニヤリと笑った。
「おいおい、何て子供っぽい食べ方するんだよ。大人なのにダッサイな!」
確かに僕は彼の指摘に少しは気になった。確かに、行儀の良い食べ方とは言えないかもしれない。
——別に、それくらいいいじゃないか。
子供相手に目くじらを立てるのも面倒だと感じ、僕は気にせずトーストにかぶり続けた。しかし、僕のそんな無関心をよそに、いつものようにロミの言葉にクレアがすぐに反論した。
「大人に対して、なんてこと言うの、ロミ! あんただって子供でしょ! たまにはそんな食べ方だっていいじゃない! あ、シンは気にしないで。美味しいものは美味しく食べるのが一番よ」
母親のような優しい口調でクレアが僕に言う。しかし、ロミは納得しない。
「いや、いや、どう見ても汚いでしょ。あんな食べ方をしていたら、みんなから嫌われるのは当たり前だよ!」
「そんな大げさな! 今、世間様は私たちのことを見ていないからいいの!」
「まあ、それは、そうだけどさ……でも……」
いつもの様に互いの主張の押し付け合いが続くがいつものように物静かなスレイが、低い声で静かに止めに入る。
「——静かに。食事中だよ……」
彼女の言葉で幾分か空気はよくなった。だが、ロミはまだ納得がいかない様子で唇を尖らせていた。彼はちらりと、なおもトーストを頬張る僕に目をやる。ロミは目の前の光景から逃れるようにふっと目を伏せると、自分に言い聞かせるように、しかし皆に聞こえるように呟いた。
「だから……僕らはこんな些細なことにしか価値を見出せないんだ。シンはよくここまで生きてこられたよね。僕だったら、絶対に無理だよ!」
——!
ロミのその一言で、場の空気は一瞬にして凍りついた。それまで和やかだった食卓から会話は消え、皆が黙々と目の前の食事に視線を落とした。重苦しい沈黙がテーブルを覆い、さっきまでの温かい雰囲気は跡形もなく消え去った。しばらくして、その張り詰めた空気を察したのか、スレイは誰にも何も言わず、静かに自室へと戻っていった。
——価値がない……? どういうことだ? ただお腹が空いていただけで、夢中で食べていただけじゃあ……、でも……僕も……。
ロミの言葉の真意は理解できなかったが、彼の投げかけた冷たい言葉が、僕の胸に深く突き刺さったのは確かだった。
しばらくすると、エアリアさんが重い空気を払拭しようと“パン”と手を軽く叩き、言った。
「さあ、みんな。食後は自由時間よ。外に出てもいいし、好きに過ごしてちょうだい」
そうは言っても彼女の顏には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。僕は残りのレガリアトーストを急いで平らげ、立ち上がった。この耐え難い居心地の悪さから一刻も早く逃れたくて、僕は足早に外へ向かった。
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