第5話 空から堕ちた先で③
シンが二度寝をし起きると……。
僕は再び目覚めた。
ふとステラリンクを確認すると、降恒の遅い時刻を指していた。僕は朝からの二度寝からようやく覚め、窓の外を眺めると、空はオレンジ色と紫色が混ざり合う美しい夕焼けに染まっていた。胃の中のものを全て吐き出してしまったせいか、酷く空っぽになった感覚と口に残る酸っぱさ、そして、今まで感じたことのないような強い空腹感を覚えていた。すると朝にエアリアさんが言っていた「落ち着いたら食べに来てね」という優しい言葉をふと思い出した。僕はここ数日間、まともな食事は摂っておらず、点滴で辛うじて栄養を補給するのみだった。だから僕の体が栄養を欲しがるように、自然と体が起きて、誘われるように記憶の中にある階下にあるであろう居間へ向かっていた。
体を動かすと久しぶりに体を動かすせいか、全身の関節や筋肉が軋むように痛み、まるで錆び付いた機械のようだった。壁に手を添え、よろめきながら何とか階段の前までたどり着く。手すりをしっかりと握りしめ、一段一段、まるで足元が崩れるのではないかと恐れるように、慎重に階段を下りていった。
一階へ降りると、温かい光が差し込む腰の高さまである台のような場所で、エアリアさんが何やら鋭利な刃物を手に、鮮やかな緑色の葉物野菜のようなものを手際よく刻んでいる様子が目に入った。湯気と共に、ほのかに良い匂いが漂ってきて、僕の空腹感をさらに刺激する。
「エアリアさん、一体何をなさっているんですか……?」
その光景が信じられず、素直な疑問が口をついて出た。
「何って、夕食の準備よ。今、料理をしているの」
——リョウリ……?一体何のことだろう。確かに、どこかで聞いたことがあるような気がするが……。
エアリアさんの言っている言葉の意味が全く理解できず、僕は改めて尋ねた。
「『リョウリ』とは一体何ですか……?」
僕の質問があまりにも率直だったのか、エアリアさんは一瞬目を丸くして驚いたような表情を浮かべた。そばで何やら楽しそうに手伝いをしていたロミは、信じられないといった顔で僕を見つめ、呆れたように両手を広げて言った。
「何を言ってんだよ、料理を知らないの? 食べるものを作る行為のことじゃん。当たり前でしょ!バカなの」
——食べるものを作る行為……?
僕はますます困惑した。一般人がそのような行為を自ら行うなどとは、想像もしていなかった。食事は常に、高度な専門知識と技術を持った人々によって、厳格な管理の下で提供されるものだとばかり思っていたからだ。目の前の物事を受け入れられずしばらくの間、その場でぼうっと立ち尽くしていた。すると、
「あらあら、そこで突っ立ってないで、ちょっとそこで待っていて。もう少しで夕食が完成するから」 エアリアさんが優しい声で僕に声をかけ、クレアは僕のまだぎこちない動きを気遣うように、近くにあった椅子を引いて、座るのをそっと手伝ってくれた。僕は礼を言って椅子に腰を下ろし、彼女が手際よく、楽しそうに料理をする姿を、異世界文化の特殊な儀式でも見るかのように眺めていた。その温かい光景は、なぜか僕の心にじんわりとした、穏やかな感情を呼び起こさせていた。
しばらくすると、エアリアさんの作った料理が、クレアやロミの協力によって次々と食卓の上に並べられていく。大きな皿には、鮮やかな緑色の光沢を帯びた葉野菜の和え物。白く半透明で、まるで小さなカヌーのような形に丁寧に切られた根菜の煮物。そして、香ばしい匂いを漂わせる茶色く小さく丸まった団子のようなものが山盛りにされていた。各々の前には湯気の立つ白いご飯と、茶色いお椀に入った温かい味噌汁が置かれている。専門家以外の人が作った料理を口にするのは初めてだったため、僕は言いようのない不安を感じた。しかし、僕の心配をよそに、ロミやクレア、そして後から本を置いて自然と席についたスレイ、最後にエアリアさんが席に着き、初めて聞く『いただきます』という言葉と共に、皆が一斉に美味しそうに食べ始めた。
最初は、見慣れない一般の人が作った調理物に少し抵抗感を感じていたが、彼らが本当に幸せそうに食事をしている様子を見ているうちに、僕も勇気を出して何か口にしてみようかという気持ちが、ゆっくりと湧き上がってきた。
この家の食べ方は、中央の大皿から箸でそれぞれの皿に取り分けて食べるスタイルらしい。僕も真似してみようとしたが、まだ治りきっていない右腕では上手く箸を扱えず、なかなかうまくいかない。その様子を見てか、エアリアさんは僕の皿に料理を取り分けてくれた。
「あ、ありがとうございます」
僕は小さく感謝を述べ、まず白くカヌーのような形に切られた根菜をぎこちなく箸の先でつまんで口に運んだ。つるりとした舌触りに、かすかな違和感を覚えながらも、久しぶりに口にした固形物の甘みが、じんわりと身体に染み渡るようで美味しかった。続いて、緑色の光沢を帯びた葉野菜を口に運ぶ。ほのかな苦みと、しゃきりとした歯ごたえが心地よい。最後に、茶色く固まった団子を口に運ぶ。噛みしめるたびに、中から熱い汁がじゅわりと溢れ出し、乾ききっていた身体に染み渡っていく。ひと噛み、またひと噛みと丁寧に味わううちに、心の奥底からじんわりと温かいものが込み上げてくるのを感じた。普段口にしていた、栄養バランスを完璧に考慮されたはずの無機質なデリバリー料理や、味気ない簡素な食事とは明らかに違う。この温かい団子は、失われていた何か大切なものを優しく補填してくれるように、身体の隅々にまで滋養が行き渡るような気がした。気づけば、僕の目頭が熱くなり、とめどなく温かい涙が頬を伝っていた。その様子を見てか、ロミが再び声を上げた。
「何この人、泣いてんの?」
その言葉にカチンときたのかクレアが眉をひそめて叱りつける。
「ロミ、黙って食べなさいよ!」
「少し疑問に思って言っただけじゃん」ロミは少しむっとした表情で言い返した。
「それでも、こういう時に本音は口にしちゃだめなの! 本音と建て前、これから生きていくうえで重要になってくるの、あんた学校でもそんな感じでしょ? 気に入らなかったら何か告げ口して……それじゃあいつまで経っても子供のままよ」
するとその言葉が気に障ったのかロミは大きな声で言い返す。
「僕は子供じゃない! いつか僕は大人になってあいつを超えてやるんだ! そしたらクレアも何も言えまい!」
「はぁ? 何言ってんのよ、あんたが大人? なれるわけないでしょ! いつも勝手なことばっかりして、すぐ怒って、自分のことしか考えてないくせに!おかしくても、口にしないことが大事なの、それが大人になるってことでしょ、ロミはまだお子ちゃんなんだからそんなことをわからないのね」
「むーーー」クレアは呆れたように鼻で笑い、ロミはしばらく何を言い返そうかと悩んだ様子だ。
「勝手なことってなんだよ!いつも正しいこと言ってるだけだろ! クレアだって僕と同い年なのに、いっつも僕のこと子供扱いして、自分の意見ばっかり押し付けてくるじゃんか! それこそ大人ぶってるだけだろ!」
「私は大人ぶってなんかいないわよ! でも、私は誰よりもエアリアさんのお手伝いをすることが出来る。あなたこそ普段は何もしないで床でゴロゴロしてフレモいじっている時が多いじゃない。どちらが傍から見て大人っぽいか一目瞭然よね? エアリアさん」
ロミは顔を真っ赤にして反論するが、クレアがエアリアさんに意見を求め、そんなエアリアさんは苦笑いをしていた。
しばらく会話が続くがクレアが再びロミを窘めようとした、その時だった。スレイが冷たい声で一言、言い放った。「二人とも、静かにして」
「「はい、すいません」」二人はすぐに黙り込み、再び静かな食事に戻った。
僕は二人のやり取りをぼんやりと見ながら、ひたすらご飯や肉団子を口に運んでいた。溢れる涙で、食べ物が少し塩辛く感じる。それでも、その温かい団子は、失われていた何か大切なものを優しく補填してくれるように、身体の隅々にまで滋養が行き渡るようだった。その安らぎが、張り詰めていた心の糸を解き放つかのように、気づけば、僕の目頭が熱くなり、とめどなく温かい涙が頬を伝っていた。
しばらく皆は食事をしていた。すると、ロミの様子が気になったクレアが、エアリアさんに告げ口をした。
「エアリアさん、ロミが、ピーマンを避けてる! エアリアさん、何か言ってあげて!」
よく見ると、ロミの皿には美味しそうな茶色く固まった肉団子と、甘くキャラメル色に仕上がった他の野菜しか見当たらず、緑色のピーマンだけが見事に避けられていた。
「だって、苦いし、美味しくないんだもん!」
「あのね、そんな勿体無いことしてると、エリオス様が怒って、私たちのエリシアを滅ぼしてしまうかもしれない、そんな大変なことになるかもしれないわよ!」
クレアは至って真剣な表情で、まるでそれが当然のことのように諭した。
「えー、でもそれってただの噂話でしょ?」
ロミは全く信じていない様子で、軽く受け流した。クレアが語ったエリオスという名前は、僕も小さい頃から何度も聞かされたことのある、この世界に伝わる先導者エリオスの逸話だった。
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