第3話 新陳代謝③
※ ※ ※
——作戦開始。
シンは即座に、先ほどデニーが見せたズームクライムを発動した。完璧とは言えないまでも、機態は制御された軌道を描き、錐揉み状に急上昇を始める。機態に追随するように、敵機が一機、シンの背後を猛追してきた。本来であれば、この機動が生み出す強烈なGはシンの肉体に過大な負荷をかけるはずだ。しかし、まるで生物の外骨格、いや、細胞レベルで一体化しているかのように身体に馴染むアーマーが、彼の身体を強固にサポートし、極限のストレスを極限まで軽減している。シンはまんまと、敵機一機を誘引することに成功した。
——どちらの機態が僕に引き付けられた?
すぐさまシオンの協力もあり、機態のわずかな動きから推測し、新人の機態が引き付けられたことを理解することが出来た。
——うまく引っかかった。総合的な戦闘経験が浅い分、予期せぬ状況への対応や判断に隙が生まれるはずだ……。
合図と共に、アルフレッドはシンとは対照的に機態を急降下させる。水面に対し10度から30度という浅い角度を維持し、着水時の水圧を最小限に抑えながら、機態周囲にまとわりつくようなCFを形成して海中へと潜航していく。
アメリア軍では数年前の海空軍統合の結果、ベテランよりも若手パイロットの方が水中での操縦訓練に時間を割いている傾向がある。そのため、空と海、二つの領域をまたいだ立体的な戦闘や、僕たちのような変則的な戦術への対応力では、経験豊富なベテランの方が練度が低いと推測。それが僕たちの狙いだった。相手が苦手とする(であろう)水中に誘い込み、翻弄することで油断や追撃への集中を誘う。そしてタイミングを見計らい、一気に海面へ躍り出て、空中で一瞬の二対一を作り出す。
——その数的有利を確保できる時間は、わずか数秒しかない……。
シンは起こりうる可能性をシオンの協力と共に思考の海で高速演算しながら、機態を上昇させた。HUDに表示される高度は容赦なく上昇を続け、三万メートルに到達する。
——!
だが、ここで想定外の事態が発生した。シンたちの作戦を察知したのだろうか、あるいは、単にアルフレッドをより確実に撃墜しようとしたのか、新人パイロットが突如急降下し、アルフレッドの方へ向かったのだ。
——知能機関シオンの助けを得ているのは僕たちだけではない。敵機の反応速度、知能機関の知能レベルはほぼ互角。勝敗を分けるのは、瞬時に創造的な作戦を組み立てる発想力——そして、操縦技術。
シンは相手の意図を瞬時に見抜き、ステラリンクを通してアルフレッドに再度潜航を指示した。そして自身は、これまで試したことのない危険な賭けに出る。新人パイロットの追撃をぎりぎりでかわし、今度はアルフレッドがべテランパイロットを振り切り僕の間に割って入る。新人を挟むように空中で二対一の状況を敢えて作り出す——それは命運を賭けた一か八かの勝負だった。この状況を作り出すためには、高度な操縦技術と、状況の変化に即応する柔軟な判断力が求められる。そして、勝敗を決定づけるのは、やはり操縦技術。シンは、普段は物静かだが、シミュレーション訓練では常に上位の成績を維持しており、特に空中戦においてはその研ぎ澄まされた才能を発揮していた。空での二対一。この極限状態こそが、己の力を最大限に引き出すと信じていた。
——勝って、皆に認めさせてみせる……!
戦闘機態での急降下は、アーマーを着用しているシンにとって、通常のパイロットほど大きなGの負担にはならない。その事実は、彼の自信を静かに、しかし確実に増幅させていた。
——もう少しで……いける。
そう思った瞬間だった。
——!
シンの目の前のHUDに映し出された光景が、彼の予想を大きく裏切った。アルフレッドを追うはずだったベテランパイロットが、アルフレッドを完全に無視し、一直線にこちらに向かってきたのだ。
——しまった! これでは……逆に一対二になってしまう!
すでに水中に突入してしまったアルフレッドが、この速度で再び空に戻ってくるのは不可能に近い。シンは瞬時に思考を巡らせる。このまま空中で二機を相手に戦っても、勝ち目はない。新人パイロットは、ベテランパイロットと挟撃する態勢を取ろうと急上昇を開始した。空中で一対二の状況は、シンの操縦技術をもってしても、到底太刀打ちできない。選択肢は二つ。
——敗北を喫するか、あるいは、緊急回避を実行するか。緊急回避……。
それは、つい先ほど、デニーが見せた、文字通り起死回生の技だった。幸い、シンはその方法を朧げながら理解していた。二週間前、アルフレッドがふざけて見せた、機態操作が、シンの脳裏に鮮明に焼き付いていたのだ。あれは高度な技術のはずだった。一瞬躊躇したが、ふいに彼は覚悟を決め、脳内でその操作をトレースしながら、高速でHUDに表示されている情報を切り替えていく。
だが、必死に操作を試みても時間は過ぎるばかりで、機態は凄まじい勢いで海面へ向かって落下していく。それとともにHUDに表示される高度計の数字が、容赦なくゼロに近づいていった。
「——あ、死ぬ。」
シンの口から漏れたのは、映画の結末。主人公の死に際にはあまりにも使えない、史上最も平凡で、諦めにも似た言葉だった。人生とは、案外こんなものなのかもしれない。走馬灯が、あの時と同じように、まるで束ねた写真をパラパラめくるように、断片的な映像をちらつかせ始めた。その瞬間、シンの胸の前で、微かな暖かな光がふと灯った気がした。
——あの時にも似たような……。
シンの体の奥底から、じんわりとした熱いものが湧き上がってきた。それは不思議な感覚で、彼の全身を優しく包み込むようだった。
しかし、その直後、信じられない速度で、目の前の海面が遠ざかっていく。それと共に目の前のHUDが一瞬で黒く染まる。
——!
シンは驚愕し、もう一度周囲を確認しようとした。しかし、周りを見渡しても周囲は完全に黒く染まっている。まるで電源を落とされたかのように、何も映し出さない。次に彼は自身の状況に気づいた。自身の身体が、最初は速く回転していたのが、徐々に緩やかに収まっていくことに。
しばらく機態は水面を跳ねるように滑りながら、徐々に速度を落としていったがやがて完全に停止した。周囲には不気味な静寂が漂う。
シンはしばらく何が起こったか分からず思考が停止していたが、ふとある人の存在を思い出した。
——そういえば……アルフレッドさんは……?
急に血の気の引く感覚がして、急いでシオンにキャノピー開放を命じる。
“ッッッッッッ”
極めて小さな音を立てて開かれたキャノピーから外を覗き込んだ瞬間、シンの機態の周囲には、巨大な不定形の塊が覆い被さっていた。塊は、まるで生きている微生物のように脈動し、表面を覆う無数の金属とも液体ともみれないフェムトユニットの塊が日光を浴び燐光を放っていた。
——これは……一体、何なんだ……? 機態、なのか⁉
理解を超えた光景がシンの思考を麻痺させた。巨大な塊は、見るも無残な姿で、シン自身の機態を優しく、しかし確実に包み込んでいる。シンは迷わず水中に飛び込んだ。冷たい海水が身体を包む中、必死に手を掻き進み、辛うじて原型を留めているアルフレッドさんのキャノピーを発見した。すぐさまシンは機態をシオンの通信で反転させ、キャノピーを開く。するとキャノピーの中には、アルフレッドがいた。彼は目を閉じ、まるで大切な何かを慈しむように、両手をそっと胸の上で組んでいた。しかし、彼の着ていたアーマーは見る影もなく溶け崩れ、彼の身体は軽装を晒しながら、辛うじてその中に留まっている状態だった。生命維持装置が機能していれば奇跡だが、生死の有無はシンにとっては知りたくないものだった。
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