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第27話 僕は何処から来て、何処に向かうのか②


 ——……。


 刹那の永遠の時間。

 この恍惚を感じるほどの、ふわりとした浮遊感。


 ——こ、ここは……?



 ふと気づくと、僕は夢の中にいた。


 先程までの激烈な苦痛も、憤慨も、悲嘆も、深い絶望さえも、嘘のように消え去っていた。今の僕を形容する言葉はただ一つ、そこに『存在している』という事実だけだった。

 最初、僕はついに『無』になってしまったのか——そんな諦念の気持ちに陥っていた、しかし、すぐに思考を取り戻し、冷静に考え始めた。そもそも、無を無と知覚すること自体がおかしい。そして、自分が今こうして熟考していることだけは、確かに自覚できる。それだけで、自分が無ではないことは理解できた。ということは——


 ——ここは……噂に聞く……死後の世界……なのか?


 そう疑問に思い、僕は重い瞼をゆっくりと持ち上げた。目の前に広がっていたのは、ただどこまでも続く白く、境界線のない平原。

 僕は思考を巡らせる。


 ——これはもしかしたら、クレアが以前話していた死後の世界なのだろうか? それとも、いつも夢に出てくる、あの何もない白い世界なのだろうか……?


 どちらが現実で、どちらが幻なのかすら、今の僕には判断がつかないほど、思考は深く混濁していた。それでも、どうにかして今の自分の状況を把握しようと、意識を集中させ、己の自身の存在を直視した。


  ——!


 一瞬、心臓が飛びだした。

 なぜならゆっくりと僕の体は光の粒子となって世界に溶け出していたからだ。それはまるで水飴のように輪郭が曖昧になり、世界と自分の境界線を失うかのように、今にも消え去りそうだった。


 ——このまま僕はこの世界から消えてしまうのだろうか。


 そんな不安がよぎるが僕の胸の前に存在する、青い凝縮体。その周りから生える樹形図、あるいはより密度のある樹形雲のようなものが、僕の形を辛うじて繋ぎ止めているようだった。だが、それさえも光の粒子となって霧散しかけていた。

 しばらくの間、自分の身に何が起こっているのか理解できず、深い混乱に囚われていると、耳元で囁かれるような、いや、もはや耳という器官を超え、体全体に直接響き渡るような、優しく温かい声が聞こえてきた。



「(おはよう)」 


 ——!


 僕はその柔らかい声に心臓が跳ね上がり、声がした方向へ顔を向けた。するとそこにいたのは、僕の想像を遥かに超える存在だった。

 体全体が内側から青白く輝き、その姿は未来人という言葉では到底形容しきれないほどに美麗だった。無機質なのか有機質なのかさえ判別できず、僕はその存在を確かめるように、ゆっくりと視線を下へと向けた。

 すると、それはまるでウェディングドレスのように裾が広がり、地面と優雅に融合している。上に視線を移していくと、確かにくびれがあり、二本の腕が存在し、どうやら人型の存在だと認識できた。そして、僕はさらに視線を上げ、その顔を見た。それはエアリアさんの面影をわずかに感じさせるが、どこか違う、もっと研ぎ澄まされたような、筆舌に尽くしがたい美しさだった。僕はただ、ただその幻想的な出で立ちを、しばらくの間、ぼんやりと見つめていた。 


 ——……‼


 するとそれは突然変化した。

 僕はその光景に思わず目を瞠ってしまう。それはまるで細胞分裂を繰り返すかのように、あるいは波から粒子が隆起するようにエアリアさんらしき人物から、無数の存在が現れた。それらは、ロミ、クレア、スレイ、ライアン、学校で教えていた児童達、お世話になった先生達そしてリアン。その他にも、アリエス市でお世話になった、紛れもない懐かしい顔ぶれだった。それらはすべて、老若男女問わず、皆が均一に、まるで時が止まったかのような三〇代くらいの年齢に統一され、凛とした佇まいで、エアリアさんを中心にして整然と並んでいった。

 その姿を見た瞬間、僕の頭の中をあの凄絶な映像が駆け巡った。

 あの夜、空を見上げると一つの光の柱が地上に向けて投下され、僕はただ眼の前の自然現象を見つめるしかなかった状況、少しずつこれまでの状況を理解し始め、彼らを救えなかったという激しい後悔の念、喪失感。あらゆる感情が混沌となって再び押し寄せ、胃が締め付けられるような痛みが僕を襲った。



「(——……っ! みんな……!)」


 思わず漏れた僕の声に、皆の視線がゆっくり向く。僕は彼らの顔を見た瞬間、今まで言えなかった感情が堰を切ったように溢れ出した。


「(ごめん、みんな……!僕が、君たちを救えなかった。僕のせいで……死なせてしまったんだ!もっと早く気づいていれば、あの時、僕も皆と一緒に……!こんな世界で何の役にも立たない僕を、どうか責めてくれ!罵倒してくれ!こんな中途半端に生き残ってしまった自分が、本当に……恥ずかしいんだ……!僕はこんなところで立ち止まっていたくない……!殺してくれよ……死なせてくれ……もう、消えてしまいたいんだ……)」


 しばらく気持ちを押し込めるように下を向いていたが、彼らから反応がない。自然と体がソワソワし始め、我慢しきれずに見上げると、体が一瞬にして熱くなった。


 ——!


 僕の胸の内で渦巻く悲痛な叫びを嘲笑うかのように、周囲の人々は皆、穏やかな笑顔で楽しげに談笑し始めていたのだ。その光景は、まるで俗世の苦しみなど微塵も知らない天使たちが、清らかな空気の中で戯れ合っているかのようにも見え、僕はその光景に言葉を失い、ただ唖然と立ち尽くしていた。しばらくして、ある明るく闊達な男性のカタチが、直接頭の中に語りかけてきた。


「(なに言ってんだよ! シン。うつむいてないで顔を上げなよ)」


  ——……‼


 僕は、思わず顔を上げた。そこにいたのは、確かにロミだった。いや、少し違う。ロミとは違って、顔の輪郭はより精悍で、背もかなり高い。


 ——いや、これは……。


 それはロミが大人になった姿だった。 そう確信した僕は、その成長したロミの方を向いた。彼は、いつものように明るい笑顔で僕に大きく手を広げて言った。


「(そんな暗い顔。すんなって、シン。ほら、見て見てよ。僕らは大丈夫だよ!)」


 僕はあっけらかんとしていると続いて、ロミの少し後ろから、一人の女性が前に出てきた。艶やかな長い黒髪をなびかせ、女性らしい曲線を描く体躯。その、少し勝ち気そうな瞳を見た瞬間、僕はすぐにその存在が誰だか理解できた。それはクレアだった。彼女は、昔と変わらない、優しい笑みを浮かべ僕を見つめていた。


「(心配しないで、シン。私たちは、この時が来るのを、ずっとずっと待ち望んでいたんだから)」


 何を言っているのかさっぱり分からない。彼らは死ぬために生まれてきたのか?そんなことは、全く意味が分からない。すると、僕の混濁した思いを察してか、リアンが裏で皆に向って声を張り上げた。


「(さあ、みんな、シンはまだ混乱してる。それに、僕たちにはここでこうしてカタチを保っていられる時間はあまりない。急ごう!)」


 すると今度はスレイが現れた。彼女も同じように大人の姿で、短いショートボブながら、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。


「(シン、あの時、私たちのためにあんな綺麗な絵を描いてくれて、ありがとう。あの時のもの、全部ここにあるから。シン、私大切にするね)」


 そう言ってスレイは暖かさを包み込みむように自身の胸を見つめ、軽く触る。続いてライアンが前に出た。隣にはミリーさんも一緒にいて、二人仲良く寄り添っている。


「(シンと過ごした時間は、本当に楽しかった。あんなに心が躍るような思い出は、他にないよ。ありがとう……。今度は、僕ら以外の皆を、君の力で助けてあげてほしいんだ。 そして……僕らの娘、ユナのことも、どうか、お願いだよ。シン)」


 再びロミが顔を向ける。


「(あの時、僕を助けてくれてありがとうシン。でも……兄さんとは……結局、完全には分かり合えなかった。けれど、それでも会わせてくれたこと、すごく嬉しかった。僕はもう何もしてあげることは出来ない。だから……これから兄さんのことお願いね。シン)」


「(この前……私のカタチが消えかかってるところを助けてくれて、ありがとう。私……シンと一緒に過ごした時間とても楽しかった。このカタチ……私、絶対に忘れないから。本当に……大好きだったよ。シン)」


 クレアの言葉を聞き、だんだんと僕の心に温かいものが染み渡ってきた。


「「(シン先生、僕たちのこと、いつも心配してくれてありがとうございました)」」


 以前話した、ラスク、ルマンド、オレオの三人がおずおずと言う。


「「(ありがとう 先生!)」」と、目を輝かせたクラスの子供たちが口々に言った。


「「(ありがとうございました)」」子供たちの親御さんたちが、深々と頭を下げながら言った。


「「(ありがとう、またねお兄さん)」」以前、学校の部活動を手伝った中学生の生徒たちが、大きな破顔で言った。


「「(ありがとう お疲れさん)」」学校の先生方がねぎらいの笑顔を向けた。


「「(いつも ありがとうさん)」」町の商店街の人々が温かい声援を送ってくれた。


「「(ありがとう ございました!)」」週末のグラウンドで練習に励む、少年スポーツチームのコーチたちや選手たちが、声を枯らしながら一斉に頭を下げる。


「「(ありがとう お兄さん)」」休日の公園で出会った地域の人々が、仲良く手をつなぎながらゆっくりと頭を下げた。


「「(ありがとうございました)」)」以前お世話になった市役所の職員たちが真剣な面持ちで言った。


「(ありがとうございます)」

「(どうもありがとう)」

「(どうも)」

「(感謝します)」

「(本当に助かりました)」

「(心から……感謝しています)」

「(感謝の気持ちでいっぱいです)」

「(すみません、ありがとうございました)」

「(おかげさまです)」

「(ほんとにありがとう)」

「(本当に……かたじけないね)」



「「(ありがとう)」」



 僕がこれまで出会い、関わってきた僕の知っている全ての人々。彼らの感謝の言葉が一つ、また一つと僕の心に染み込み、がんじがらめになっていた混濁が少しずつ溶解していく。

 皆の言葉を受け止め最後、リアンが話しかけて来た。


「(シン君、あの時、最後の瞬間、君と一緒にいれて、本当に嬉しかった。今度は、君の一部になれることを、すごく楽しみにしているんだ)」


 僕はリアンの言っていることが分からず、問い質した。


「(リアン……?ど、どういうことだよ⁉ちゃんと教えてくれよ!)」


「(この場では……僕は君で、君は僕と同じなんだ、だからあの世で僕は君に惹かれた、導かれたんだ……)」


 ——……?


 僕の体の全てが熱を帯び、理解できない言葉の奔流に抗いがたい引力を感じる。「(……なぜ、そんなことを……?)」僕は問い返そうとしたが、リアンはまるで僕の思考を読み取ったかのように、わずかに首を傾げ、ゆっくりと語り始めた。


「(——僕ら生命はある力に導かれるように、『無』と『有』の間を揺らぎ、衝突と分離を繰り返すことで、この広大な宇宙の中でも稀な存在として生まれてきたんだ。皆、自己を維持し、複製し、情報を伝え、エネルギーを循環させて、次の存在へと繋いできた。そして、ある時、その進化は『特異点』に到達した。それが、『第一原理躰(First Principle Entity)』なんだよ)」


 ——????????? 脳内に疑問譜は浮かび続けるがリアンは構わず続ける。


「(そして、彼ら『第一原理躰』は、後発的かつ一時的に『原なる(てい)( Primal Being)』へ干渉し、同じ種とは異なる、新しい動的平衡システムを創造する力を唯一持っている。その目的は、さらに高次の『自己生成』を繰り返し、生身の人間よりも遥かに過酷な環境を生き抜くための新たな存在を創り出すことだった。その道のりは決して平坦ではなかったんだ。途中で全てが滅び去ることもあれば、原理躰達の意思によって頓挫することだってあった……けれど、それらの困難を乗り越え、僕らはある日ようやく、『第二原理躰』"ヴェーダ"その存在として創発し、今に至るんだよ……)」

 リアンの言葉はまるで夢のようで何を言っているのか理解不能だった。そんな彼は僕の思考を読んでか柔らかく微笑む。


「(はは、理解できないも無理ないよね……それよりも、シン君はこれからたくさんの存在を導くことになる。君が、みんなの道しるべになるんだよ、シン君)」


 そう言い終わるとリアンは皆を見渡し、頷いた。すると、彼らは再びエアリアさんの元へ、光に誘われるように吸い込まれていく。まるで光子たちが天使と戯れるように、一人、また一人と、歓喜の囁きと共に、エアリアさんの輝く躯体へと溶け込んでいく。


 “ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。……”


 その度に、僕の心は納得がいかなかった。これから『無』になるというのに、なぜ彼らはこれほどまでに穏やかで、嬉しそうにしているのか。その理由が、僕にはどうしても理解できない。しばらくして彼らとの間に埋めようのない隔たりを感じた瞬間、耐えがたい鈍味が僕を包み込んだ。それでも、一人になりたくない、彼らを引き止めたい。強く引きちぎられる思いが込み上げ、僕は知らず知らずのうちに声を張り上げていた。


「(みんな……お願いだから、待って……待ってくれよ!)」


 僕の叫びに、ロミ、クレア、スレイ、ライアン、ミリーさん、そして多くの仲間たちが、まるで穏やかな波のように、ゆっくりと僕を振り返った。


「(——それじゃあ、みんなは——

 いったい……いったい、僕らは何のために生まれて、何のために死ぬんだよ⁉

 こんなの……悲しくないのか⁉

 苦しくないのか⁉ 怖くないのか⁉

 そんな目に遭ってまで、どうして……そんなに嬉しそうに笑っていられるんだよ……‼

 僕には、そんなこと……まったく理解できない! 

 こんな人生、悲しすぎるじゃないか……

 ……あんまりだ——っ‼)」


 刹那の沈黙が広がる。包み込む風も、柔らかい光も、息を潜めた。

 最後にリアンが振り向き、穏やかな、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。その瞳は、すべてを知り、すべてを肯定しているかのようだった。 やるせない思いをぶつける僕に、彼は静かに、しかしはっきりとした声で告げた。


「(何を言ってるんだい、シン君。僕らは、君に利用されるために生まれてきたんだ……いや、待てよ……少し違うな……)」


 彼は少し考える仕草を見せた。そして、はっきりとした口調で大きく破顔した。



「(僕らは、君と『遭う』ために生まれてきたんだよ)」



 “フッ!”


 そう僕に贈ると、全員がエアリアの中に、まるで無数の星々がただ一つの夜明けの星を目指して集うように吸い込まれ、静かに霧散した。

 僕はこれまで散々な目に遭ってきた。組織から認めてもらえず、仲間を失い、それでも立ち上がろうとして、また失った。けれど、「(それでもいい)」と言ってくれる存在がいた。その事実に、体に溜まっていた澱のようなわだかまりが溶け、まるで全てを許されたような気がした。すると、体の奥底から熱いものが溢れ出し、視界が滲む。

 しばらくして光が収まり、僕とエアリアさんだけが残された。涙のカーテンが上がり、心が落ち着くにつれて、疑問がふつふつと湧き上がり、僕は彼女に自然と問いかけていた。


「(エアリアさん!)」


「(なに、シン?)」


 彼女はただ、にこやかに僕を見つめていた。その微笑みは現実離れした善美を誇り、僕の視線は磁石に引かれるように吸い寄せられた。その神秘の瞳で、僕の微かな迷いを読み取ったのだろうか。彼女はゆっくりと歩み寄り、両の掌で僕の頬を包み込んだ。

 熱を帯びた、確かにそして柔らかな感触。その刹那、僕の境界が曖昧だった体は、液体が急速に凝固し、完全な結晶構造へと相転移するが如く、瞬く間に確かな輪郭を取り戻した。見慣れたパイロットアーマーが再び全身を覆っている。

 僕は変わったばかりの自分の体を見下ろし、呆然としていた。しばらくして思考がゆっくりと隆起し、やがて顔を上げ立ち上がると、改めて彼女に問いかけた。


「(エアリアさん……、僕は分からないです。まず、ここは……どこなんですか……?)」


  すると元の位置に戻った彼女は微笑み、諭すように言う。


「(ここは、あなたを形作る本来の?*#%4&`の中よ。私たちは、ようやくこの段階(フェーズ)に入ることが出来たの)」


 ——は……?


 僕はエアリアさんの言っていることが呑み込めず、もう一度尋ねた。


「(え……え?ど、 どういうことですか? もう少し、はっきりと教えてください!)」


「(それは……私にもはっきりとは分からない……。私達は……未知の場から唐突に世界に創発し……導かれるように『有』と『無』の間をゆらぎながらここまできた……。けれど、はっきりしていることはあるわ。あなたを含め私たちという存在は世界の揺らぎによって生まれた稀有な存在だということ。これ以上のことは……あなたがこれから生きていく中で理解していくことなのよ、シン)」


 彼女の魔法の様なやわらかな数々の言葉は、僕自身の体の中にゆっくりと溶けていく。


「(——私たち第二原理躰(Second Principle Entity)“ヴェーダ”は、長い時を経てようやく……ようやく、ここまで辿り着いた。これから私たちはこの宇宙(そら)の精神圏的反省の終点に到達し、理をも超え、あなた達を守ることができる……。そう、あなたはついに『第三原理躰(Third Principle Entity)“アヴェーダ”』その存在として完成するのよ)」


 僕は彼女の言っていることは全く理解しえなかった。僕は反論する気にもなれず、まるで運命を受け入れるかのように、ただ固唾を飲んで聞いていた。だがふいに疑問が湧いてくる。


 ——しかし、どうやって……?


 僕は思わず彼女に訊ねる。


「(どうやって……どうやって僕は超えるんですか⁉)」


 僕は彼女の発言に耳を傾ける。そして彼女は口を開いて言った。


「(それはね……シン、悠久の時を得て、生命が到達したもう一つの特異点、究極の贈与……)」



「(『ノイシンセシス(NEU SYNTHESIS)』)」



 彼女の言葉は、まるで遠い星の言葉のように、僕の耳にはほとんど届かず、ただその響きだけが、しばらくの間、僕を深い茫然自失の深海へと漂わせていた。しかし、その意味は分からずとも、その言葉の持つ響きには、どこか僕自身のカタチを揺さぶるような美しさがあり、静かに心の中で反響していた。

 そんな温かな心地よさを感じていた僕の意識を引き戻すように、彼女はゆっくりとした、慈愛に満ちた動きで近づき、片方の手を上げ、ゆっくりとそっと僕の胸に手を重ねた。


 ——!


 その瞬間だった。掌から温かく眩い光が、僕の体へと流れ込み始めた。同時に、僕を包んでいたエアリアさんの優しい光が、まるで導かれるように重なり合い、彼女の体は足元から徐々に、輝く光の粒子となって僕の胸の中へと半弧を描きながら注がれていく。僕はその神秘的な光景に息を呑みながらも、彼女が完全に消えてしまうのではないかという強烈な不安に襲われ、体が強張った。もう、二度と、誰一人として失いたくない——そんな切実な思いが堰を切ったように溢れ出し、僕はその感情をそのまま、消えゆく彼女に届かせようと、必死に叫んだ。


「(エアリアさん、待ってください!僕は……もうこれ以上だれも失いたくない! 寂しくなるんです……行かないで欲しい!)」 すると彼女は諭すように言う。


「(いいえ、シン。私たちは消えるわけじゃない。あなたの新たな『カタチ』として、これからも存在し続ける。だから、心配しないで……)」


 “ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。……”


 彼女はゆっくりとやわらかく消えていく。

 僕はその様子を固唾を呑んで見守るしかなかった。その最中、彼女は顔を僕に近づけ、僕の頬をやさしく包み込んだ。諭すように僕の顔をまじまじと見つめる。


「(シン……。この先のあなたの人生には、心が張り裂けるような試練が、きっと訪れる……。すべてが嫌になり、絶望し、生きていることさえ辛いと感じる時があるかもしれない。それでもね、シン。あなたはどんな困難にも負けず、目の前の現実を受け入れ、揺らぎながらも存在し続ける強さが必要になる。今はまだ、私の言葉の意味は分からないかもしれないけれど……きっと、いつか、この意味を理解する時が来るわ……いい?)」


 僕は頷く。


「(そして……いい、シン?)」


「(何ですか……?)」僕は彼女の消えゆく顔を見つめる。


「(私たちがあなたのカタチと一つになるとき、激しい『無』に包まれるような、そんな瞬間があるかもしれない。でも、どうか恐れないで……その時にあなたを必ず導いてくれる……創り続ける平衡躰。さらなる存在のための創造の志向性、『クオナ(Quona)』。それがきっとシン、あなたを照らしてくれる。だから大丈夫、安心して、あなたは決して、一人なんかじゃないから)」


 僕は彼女の言葉に視野が狭くなり、何を言おうか混迷思索していたが、その時間はなかった。彼女の顔がゆっくりとまるで空間に溶け込むように消えかかっていたのだった。そんな時、エアリアさんが思い出したかのように最後に僕に告げる。


「(——あ……)」消えかかる彼女は何か僕に伝えようと目が瞠る。


「(エアリアさん⁉)」僕は息を呑む。


「(——いままでありがとう……やっと……やっと……シン。いつまでも……いつまでも愛してる)」



 彼女はそう最後に言い残し、彼女の光は完全に僕の中へと吸い込まれ、眠るように静かに霧散した。


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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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