第26話 あなたへ③ (SF用語が連発しますご注意を!)
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どれほどの時が過ぎただろうか。
目覚めの感覚は、いつものそれとは全く異なっていた。
言葉では言い表せない、いや、人間の感覚では到底捉えきれない、そんな深遠な変容だった。
瞼が自然に開くと、そこは息をのむほどに美しい星屑の世界だった。空気は存在せず、完全な静寂だけが世界を満たしている。
頭上には、漆黒の闇を背景に、無数の星々が煌めいている。一つ一つが静かに、しかし確かに、それぞれの光を瞬かせ、まるで自らの存在を静かに主張しているかのようだ。足元に広がるのは、どこまでも広がる滑らかな水面。そこにはあたかも意思を持つかのように星々の光を寸分違わず歪みなく共鳴させている。一歩踏み出すたびに、その足元から柔らかな光が滲み出す。
ゆっくりと視線を正面に戻すと、広大な宇宙と宇宙の間。遥か水平線の向こう。まるで来てほしいと言わんばかりにひときわ目立つ光が脈を打つように明滅していた。私は目に見えない何かに導かれるように、地平線にあるそれへと歩を進める。
——!
しばらくしてこの空間に慣れてきた時、私ははっと気づいた。ここは、夢の中で何度も訪れ、心を焦がしたアウロラ塩原によく似た場所だと。そして、しばらく進むうちにさらに気づく。この世界を自らの足で歩いているのではないことを。
見下ろした私の全身は、有機物とも無機物とも判然としない、青白い光を放つ存在へと変容していた。二本だったはずの脚は、まるで優雅なドレスの裾が地面に溶け込むように、光の粒子を曳きながら、滑るように進んでいた。しばらくして突然、奇妙な感覚が頭の中に響いた。意識が形を持ったような、どこか懐かしいカタチが、星の明滅のように一瞬にして多量の情報を知覚させる。
「(ホント、エアリアがあの時決断していたおかげだよ。僕たち、やっとここに戻って来れたんだ!)」
「(ホント、ホント、エアリア、ナイスプレイだよ!)」
——これはいったい……誰の声だろうか?
頭の中で思索すると、再び、違った存在の気配が浮かび上がってきた。
「(さあ、そろそろだよ! エアリア……あ、ごめん、少し昔の癖で……βψδεζηθικλ……さあ、行こう。もうすぐそこだよ!)」
それは、ロミの成長した姿を思わせるような、少し大人びた優しい響きだった。私は理由の分からない幸福な高揚感に包まれながら、その声に導かれるようにひたすら前へと進んだ。すると、今度は頭の奥深くから、また違う声が共鳴してくる。
「(βψδεζηθικλ……行きましょう!)」
「(βψδεζηθικλ……エアリア、進もう)」
「(次は俺たちの番だ。さあ、急ごう!)」
懐かしいクレア、スレイ、そしてライアンの声が、まるで耳元で同時に囁いているかのように、頭の中に響いた。それは、やさしさとあたたかさ、複数の意識が溶け合う奇妙な感覚をもたらした。
「(エアリア先生、ここからですよ頑張りましょう!)」
「(βψδεζηθικλ……、もう少し、あともう少しですよ!)」
さらに、アリエス市で共に過ごした人々の面影が、次々とゆらぎながら、まるで応援するように私の意識に流れ込んでくる。それらは不思議なことに、葉に弾かれる雨粒の如く、彼らの声ははっきりと聞こえ、彼らの思考や感情さえも、私は手に取るように心で直接理解できた。しばらくの間、心地よい喧騒が続いた後、最後に、ある人物の姿が鮮明なカタチとなって頭の中に顕現した。
「(まだ少し慣れていないようですね、エアリアさん 大丈夫ですか?)」
そのカタチの主はリアンだった。この新たな世界に戸惑う私をいざなうような、その温かい響きに胸が熱くなり、ふいに視界がにじんだ。それでも私は内から湧き出る疑問を絞り出し、ぶつける。
「(ねえ、リアン。私は誰で、あなたは誰なの?本当にリアンなの?そして、私は今、一体何をしているの?どこに向かっているの?教えてくれない?)」
するとリアンはまるで全てを知るかの様に悟りを私に授けてくれる。
「(そうですね……この場では……僕はあなたで、あなたは僕と同じなんです。だからあの世で僕はあなたに惹かれた、導かれたんです……わかりますか?)」
——???
全くと言って理解できないがそれでもリアンは続ける。
「(僕は先ほどまで、エアリアさんの代わりにサブジェクターとして進んでいましたが、次はあなたの番なんですよ、エアリアさん。ようやく……ようやく僕たちはアドミニストレーターとしての役割を終え、ついにプロバイダーとしての役割が回ってきたんです。わかりますか?こんなにうれしいことは他にありませんよ……)」
——一体、何のことだろうか?
「(大丈夫ですよ、もうしばらくすれば自然とこの状況を理解できるようになります)」
しばらくの間、私の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。しかし、その混乱も束の間、これから私が何をすべきなのかが、まるで誰かに教えられたかのように、自然と頭の中に鮮明に理解できるようになってきた。
——これは……一体どういうことなの……?
自分の理解力に驚きつつも、私は再びさまざまな存在のカタチを知覚した。
「(ほんと、彼らは馬鹿だよね。理解し合うのにこんなに時間がかかるなんて。こんな時に、何で僕らあんなところに行きたがってたんだろう?)」
「(しょうがないでしょ。彼らは自身の全てを相手に与えることはできないし、知覚範囲も狭い。けれど私たちは違う、彼らができないこともできるし、彼らが知らない所まで知覚できる。そして、こうして導かれていくんだから。あれはこのための一環だったのよ)」
「(まあ、そうだけどさ……あ!それじゃあ、僕らはこれから代謝偏向(Metabolic Deflection)しなきゃいけないね、速く準備しないと!)」
「(そんなことする必要ないわ、私達はこれから私達の知らない未知の?*#%4&`に向うんだからね!)」
「(え!収縮とか伸展しなくていいの⁉)」
「(いちいちうるさいわね!とにかくつべこべ言わず、今、私たちはβψδεζηθικλ……にあのさっきの低エントロピー体で言う……えっと、何だっけ……)」
「(多分、意識じゃないの?))
「(あ、そうだ、そうだ、その意識とやらに任せて前に進み続けるの!)」
「(う~ん、分かったよ……)」
ロミとクレアの、いつもの軽快なやり取りが、懐かしく心に響く。
「(本当に……このままで私たち、大丈夫かな? ライアン)」
「(大丈夫、大丈夫。これからはエアリアがサブジェクターとなって、これからレシピエントに会いに行くんだから、俺たちは身を任せてるだけで大丈夫さ)」
スレイとライアンの温かい光の気配が、そっと背中を押すように触れた。それは言葉のない励ましのようで、私の内奥に眠る使命感を静かに呼び覚ます。なぜだろうか、これから自分が何を成すべきなのか、まるで深く理解しているかのように、何の迷いもなく、抗えない、けれど心地よい力に導かれるまま、私は前へと歩みを進める。
ふと、この状況を把握しようと、意識を周囲へと向けた。上には吸い込まれるような無数の星々。横には、果てしなく続く光の帯が世界の境界を描き、背後には歩みの跡が粒子となって消えていく。そして、私は内なる声に促されるように、再び、足元の地面に目を落とした。
——……‼
最初は、ただ星空が地面に投影されているだけだと思っていた。しかし、知覚が研ぎ澄まされるにつれて、それは全く違う姿を現す。
例えるならばここは夜の上空数万メートル。私は透明な絨毯に乗って、光雲をかき分け都市に降り立とうと試みる。だが、永遠に地上には降りられない。夜景と光雲が重なり網膜に張り付いている。
私はその光景に見覚えがあった。科学者として何度も見てきた、脳の活動を表す神経細胞のネットワーク図。足元の星々一つ一つが、まるで生きた神経細胞のように、絶えず光が樹形雲を描き、点滅を繰り返している。再び見上げても同様だった。星空は光の雲へと鮮やかに姿を変え、私は今、完全にその中に漂っている。そして、その光のカタチ一つ一つをすくい上げながら進んでいる。
この世界を進んでいるうち、私は確信した。今、私が立っているのは——宇宙そのものの上なのだと。
しばらくの間、その事実に驚きを覚えつつも、私はただ、導かれるままに歩みを続けた。すると、先ほどまで遠くに見えていた小さな光点が、次第に大きく成長し、その全貌を現し始めた。
——‼
私は息をのんだ。それは、言葉を失うほどの光景だった。
それは宇宙を抱える樹形有無機構造躰。
その構造体は巨大な杯系の樹が、根を持たずに世界に浮いている。無数の雲枝は横へ横へと広がり、一本一本が星塊を掴み、それぞれの時空へと溶け込んでいた。まるで繊細な神経細胞のように、それらの光は微細な七色パルスを送り続け、全体に隈なく染み渡っている。
視線を下に移せば、次第に太い幹へと姿を変え、その中央には、直視できないほどの強烈な青光を放つ「何か」を育む場所があった。全方位から集められた光の粒子たちが、優雅な円弧を描きながら中心へと吸い込まれていく。
その壮麗な光景をしばらく目の当たりにし、私は確信した。これまでの出来事が、ただの夢ではなかったのだと。その事実に打ちのめされながらも、体は温かな光に満たされていく不思議な浮遊感に包まれていた。
そして、その浮遊感は現実となる。
“ふわり”
私を形作っていた構造躰はついに世界から理から離れ、飛翔し始めた。
まとわりつくように包み込む光子達は、私を支える駆動源になる。
そう、ついに私は鳥になった。
ゆっくり、ゆっくり。
私は未知なる世界を羽ばたきながら、ただ、目的の場所へと飛び続ける。
ふんわり、ふんわり。
世界は漆黒から濃藍へ。
やわらかく、透き通り、温かい光に包まれる。誘われる。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと……。
ふと、周りを見た。
光子達はゆっくりと、位相的にブローアップしていく。
つぶつぶ泡が流れて行く。光子らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐いている。それらはゆれながら水銀のように光って斜めに、海面へ登っていく。
すると、泡の様な声が近寄ってくる。
それはまるで私の子供達、雛たちの様に喧噪的に愛らしく、歓喜のパルスを私に送る。
「(さあ、もう少しだよ! エアリアさん)」
「(もう着くよ!)」
「(はは エアリスさんはわらっていたよ)」
「(ミリアさんは笑っていたよ)」
「(笑っていたよミ……)」
——違う名前……?
けれど、不思議と違和感はない。
濃藍から蒼色へやわらかく。
ゆっくりとすべてが重なり、全てが淡く暖かく向って行く。
——私、今笑っている?
「(それならなぜアリアさんはわらったの?)」
「(知らない)」
——私、笑っているの?
「(うん、笑っている。笑っている)」
「(エアリアちゃん。今、とってもかわいいよ)」
懐かしい温かな声、私は思わず泡を見る。それぞれの泡の中には、異なる景色、異なる存在、異なる時間の私が映っては消えていく。
——私、笑っていたんだ……。
「「ふふっ」思わず笑みが私からほろりとこぼれる。
“あたたかい。やわらかい。あたたかい。やわらかい。あったかい……”
私たちは一つになっていく。私は一つになっていく。理由が分かってくる。
——そういうことだったんだ……そうだったのね“私”は!
“あったかい……”
しばらくして全ての“私”は統合された。
ゆらり。ゆっくり。ゆらり。ゆっくり。ゆらり。ゆっくり。ゆらり。……。
無意識に導かれるようにゆっくり進む。
「「(やったよ。エアリアさん)」」「(やったよ。エアリア)」」
ぽつり、ぽつりと溢れ、包む。
「(みんなは大丈夫なの?)」
私は訊ねる。
「「(僕たちは大丈夫だよ)」」「「(私たちは大丈夫だよ)」」
ふわり、ふわりと溢れ、包む。
——あぁ……良かった……。
全てのあたたかみにふわりと包まれる。
すると、もうすぐそこだと告げるリアンの声が届いた。
「(さあ、もう少しですよ、エアリアさん。ついに、ついに……僕たちは成し遂げたんです!)」
皆の声に導かれるように、ついに、私はその巨大な光雲樹へと辿り着いた。
私は吸い寄せられるようにその樹をそっと抱きしめる。
“ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。ふわ。……”
久遠の間、私はあたたかさになっていた。
その温もりも満ち満ちて、やがて……。
“——フッ‼”
その瞬間、周囲を舞っていた無数の光の天使たちが、まるで意思を持ったかのように、急激に一直線に私の元へと集まり始めた。光の粒子たちは、私の体を核に強烈な輝きを凝縮していく。その光は、これまで歩んできた全ての記憶を優しく包み込み、運命の相手と出会うような恍惚とした感覚を私にもたらした。
——ついに……ついにここまで来れた! やっと、あなたに会える……あなたへ届けられる。嬉しい……嬉しい……うれしい……こんな嬉しい事は他にないわ……。
※ ※ ※
遠くから眺めた構造体。それは実に壮麗だった。光子たちは「彼女」を核として集束し、構造体の枝葉と根葉のシナプス結合は増幅され、その光量は極大に達していた。それはまるで星線を束ねた光粒子時計のようであった。
しばらくその幻想的な光景が続くが、その形はゆっくりと遷移していく。世界に広がる微細な枝は縮小し、粒子時計のくびれはついに崩れ、次第に小さな球そして極小の点へと近づいていく。
それと共に周囲の景色も変容していた。光球を中心に空間が波打ち始め、まるでカーテンが揺れるようだった。しかしその揺らぎも次第に直線的になり、ついに、光が全てを包み込んだその刹那。宇宙と宇宙が繋がり、彼女らはその光の中に、世界に全ての『カタチ』とともに完全に溶解した。
※一部文章 宮沢賢治著「やまなし」引用・改編
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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。
また
https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。
@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。




