第24話 託されたもの①
ふと目を開けると、私は埃っぽい机に突っ伏していた。顔を上げ横目を見ると、セリアさんの研究所で見た、複雑かつ大きな機械や用途不明なデバイスが所狭しに転がり、散乱している。季節は夏なのか。澱んだ湿気を孕んだ熱気が、肌にまとわりつく。それと共に金属の鼻を衝く匂いが漂う。しかし、普段なら不快に感じるはずのその空間が、不思議と心地よい。胸の奥底からじんわりと温かい感情が湧き上がってきた。導かれるように自然と体を起こし、その場所を知るかのように迷いなく階段を上り始める。見上げると、そこは木の温もりに包まれた、暖かな雰囲気を醸し出すログハウスだった。足は自然とキッチンらしき一角へと向かい、私は慣れた手つきで何かの作業を始めた。台所の作業台の上には、瑞々しい緑に輝く野菜が山積みにされており、手際よくそれらを切り、ぐつぐつ煮える鍋の中へと放り込んでいく。夢中で不思議な作業に没頭していると、私は悟った。
——これは……。
いつもセリアさんが私たちのために作ってくれていた料理を、今、私が作っているのだと。普段は傍らで眺めるだけだった私が、逆の立場になっていることに、奇妙な感覚を覚えた。そのふんわりとした感覚に戸惑いながら料理を進めていると、上の階から子供たちがドタドタとせわしなく階段を駆け下りてくる音が響き渡った。皆、各々の席に座り私が料理を運んでくるのを今か今かと待ち侘びているようだ。その中で、黒茶色の髪をした少年が、待ちきれないと言わんばかりに足をバタバタさせながら大きな声を上げた。
「エアリア、早く!早く! もう学校に遅刻しちゃうよ!いつもなら、僕たちのこと、ちゃんと起こしてくれるのに、どうして今日は起こしてくれなかったんだよ!」
少年の言葉に、私は一体何のことだろうと、首を傾げた。すると、隣に座っていた黒髪の少女が、呆れたようにその少年に向かって冷たい言葉を言い放った。
「ロミがただのガキなだけでしょ。朝食作ってくれているんだから、文句言わずに待ちなさいよ!」
「うるさいな、クレアだって遅く起きてきたくせに!僕と同じじゃないか!」
喧嘩を繰り広げ、互いに悪態をつき合う二人。そんな騒がしいやり取りを横目に、どこか見覚えのある、綺麗な青竹色の髪色をした少女が、ゆっくりと階段を降りてきて、静かに席に着いた。その少女は大人しい性格らしく、兄妹の言い争いなどどこ吹く風と言った様子で、黙々と私の作った料理を口に運び始めた。時折、兄妹の喧騒に、微笑を浮かべ、耳を傾けているようにも見えた。しばらくすると、突如、見慣れない人物が姿を現した。
——!
それは、以前にもどこかで見かけた、不思議な存在だった。全身が発光しているように眩く輝き、ゆらゆらと揺らめきながら、子供たちと一緒に、ごく自然な様子で食卓を囲んでいる。人間のような動きをするその不思議な存在に、私が思わず手を伸ばそうとした。
しかし、それは突然だった。あたり一面を覆うような白い靄が外から押し寄せる。
ゆらり、くらり……。
——ま、待って!
私は、せり上がる熱い思いを届けようとする。
だが、その思いとは裏腹に、ゆっくりと白い靄が世界を染め上げ、私の懇願も空しく意識は、そこで途絶えた——。
二十四期 六日 昇恒七時十分 天気:晴れ
——やっばい、寝落ちした!
はっと目が覚め、跳ね起きる。目に飛び込んできたのは、綺麗な木目の天井。ここはどこだったか——思考が一瞬停止した。だがすぐに、子供を預かってきたことを私は思い出す。ここは用務員室。ふと見ると、寝台の傍らには、特殊なカプセルに包まれ、すやすやと眠る赤子の姿。
——は~良かった……。
その瞬間、体の力が抜ける感覚を覚え、景観に則した井草の匂いが鼻を包み込む。私はカプセルの包身を解除し、愛おしさを込めてそっと抱き上げた。
温かな時間が風の様に流れる。
しかし、この穏やかな時間を味わう余裕はない。それよりもまず、今日やらなければならないことが、堰を切ったように脳裏に溢れ出した。
私は居間で書物を開いていた用務員の叔父さんに、軽い挨拶を済ませ、外へ出る。昨夜は、無理を承知で学校の用務員室に泊めてもらい、そこで一夜を明かしたのだった。最初は、用務員の先生も露骨に嫌な顔をしていた。しかし、私が赤ん坊を腕に抱いているのを見ると、何かを察したのだろうか、最終的には、ありがたいことに、一晩の宿を提供してくれた。おかげで、凍えるような寒さの中、赤子も私も、こうして無事に朝を迎えることができたのだ。
外に出ると、この日は珍しく母星と同じ時間帯に二つの日光が山の稜線から顔を出し、冷たい空気を切り裂くように、雲一つない空が荘厳な橙から蒼へと塗り替わっていた。この時、私が持っていたのは、手首のウェアラブル端末と腕の中の赤ちゃんだけ。端末には、セリアさんが築き上げてきた財産と、私の行くべき道を示す道標となる情報が記録されている。所持品はそれだけ。私は、ある明確な目的を胸に、ひたすら歩き続けていた。
当時の私の記憶は完璧ではなかった。だが、あの時のセリアさんの言葉と、数えきれない経験が私に強く訴えかける。「この赤ちゃんを、その時まで決して他人に譲り渡してはいけない」何としてでも、あの日までこの子を守り抜き、育てなければならない。その決意だけは、鮮明だった。そして、その場所まで守り抜くため、歩きながらセリアさんの腕時計型デバイスに残されたメモの一つに目を落とした。
『メモ⑫:私の記憶では……あなたはその子供と二人で暮らしていたから、レガリス共和国家に行く方が良いよ。私たちが暮らしていて、そして今いる惑星アレアの法律ではアメリア連邦国のもの。そこでは、16歳以下の子供は一人で赤ちゃんを育ててはならないと定められているからね』
メモを数回見返し、以前の記憶を辿るように、一歩一歩、私は宇宙港へと歩みを進めていた。目指すはただ一つ、まずはレガリス共和国家。人生経験は浅く、まだ冷たい感情を抱えていた当時の私だったが、それでも腕に抱いた赤ちゃんと、セリアさんが残してくれたメモという灯火を胸に、しばらく歩くと、まずI.F.D.Oの施設の内外を隔てる大きな壁が視界に入ってきた。
施設を離れて数時間後。今、私たちはシャトル内にいた。ふと、私はチケットの手配からシャトルへの搭乗まで、ここに至る道のりは決して容易ではなかったことを思い返していた。
宇宙港に到着してからのロビーでは、ほぼ一二歳という私の年齢と赤ちゃんの組み合わせは、珍しい光景として多くの人々の目を引いたのだろう。まるでドキュメンタリー番組の撮影中と勘違いされたかのように、周囲からは好奇心と訝しみが入り混じった、どこか生暖かい視線が絶えず注がれていた。それでも、やるせない気持ちを押し殺し、何とか搭乗手続きを済ませ、ようやくシャトルの座席に深く腰を下ろすことができた。
ここへ来るまでの最大の難関は、I.F.D.O.の施設を出る際と、宇宙港での出国審査だった。どちらとも、数人の職員に囲まれ、「その子は誰の赤ちゃんですか?」「お母様はご一緒ではありませんか?」と、矢継ぎ早に質問攻めに遭った。しかし、私はセリアさんから託されたメモを頼りに、言葉の限りを尽くして事情を説明し、粘り強く交渉することで、ようやく出国許可を得ることができたのだ。
外はすっかり暗い。機体は静かに宙に浮き上がり、ゆっくりと離陸の準備を終える。私はようやく柔らかいシートに深く身を預けることができた。ふと隣の席に目を向けると、毛布にくるまれた赤子が何事もなかったかのようにすやすやと眠っている。
——私、そしてこの子は、一体何なのだろう……?
ここまで、一度も泣き喚かず、ただ静かに眠り続けるこの小さな命を見ていると、感謝の念と共に、言いようのない不思議な感情が胸にじんわりと湧き上がってきた。
私は思う。根本的に、なぜこのようなことをしているのか?私の一連の行動は社会的、倫理的に見ても普通ではない。それなのになぜ、これほどまでに意思を持ってやり遂げようとしているのか、理解できない。
そして、先ほどの二度の厳しい審査。確認のため職員に赤子の顔をしっかりと見せた時のことだ。私が話す時と、赤子の顔を見せた時とでは、彼らの態度がまるで別人だった。あれほど厳しい詰問が嘘のように、見せた後では彼らは表情が和らぎ、なぜか私たちの行く手を遮ることなく、むしろ快く通してくれたのだ。
そんな奇妙な感覚を味わっていると、ふいにシャトルは意思を持つかの如く滑らかに地上を離れた。心地よい浮遊感と共に、胸が締め付けられる切なさを伴いながらゆっくりと上昇していく。その中で、私は心に誓った。
——セリアさん、本当にありがとう。これから、セリアさんの分まで、あなたの託してくれたこの命、私……いつか来るその時まで、この子と共に、精一杯生きていくから……。
窓の外に広がる、小さな都市の煌めく明かりが、シャトルの上昇と共に遠ざかり、次第に小さな点となっていく。静かに、そして強く決意を新たにする私の胸には、じんわりとした温かな高揚感が広がっていった。
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