第23話 セリアさん⑦
惑星アレアへの帰路は、息が詰まるほど重苦しい空気に満たされていた。シャトルの中、ウィンとハインの二人は絶望に打ちひしがれた表情を浮かべ、一言も口を開かず、ひどく憔悴しきっている様子だった。その後、私は彼らと別れ、一人帰路についた。オムニスフィアに触れて以来、セリアさんにどうしてもお願いしたいことが、私の心の中で明確になっていたのだ。それは、胸の奥底から込み上げる、もはや抑えきれない、熱い衝動となっていた。
玄関の扉を開けて家の中に入ると、私と同じチョーカーを付けたセリアさんが、予想通り、リビングのテーブルで私の帰宅を待っていた。彼女はまるで天使のように穏やかな佇まいで、私を迎えてくれた。その穏やかな眼差しは、私のただならぬ様子や、胸の奥底に秘めた願いを、まるで以心伝心で全て読み取っているかのようだった。
私は、彼女の目の前に腰を下ろした。そして、内に秘めた強い決意を込め、胸の内をすべて、包み隠さず打ち明けた。
「セリアさん、帰ってきて開口一番にすいません。私に……セリアさんたちがしている仕事、それを手伝わせてくれませんか? もちろん、科学知識のない私には無理なことはわかっています。けれど……雑用でもなんでもいいので、彼らと一緒にできる限りのことをさせてください。もし……忘れているなら私のこの願い無視してくれていいんですけど……でも、セリアさん、きっとあの時のこと覚えていますよね? 覚えていたら……お願いします!」
セリアさんは、私の言葉を最後まで静かに聞き終えると、優雅な微笑を浮かべた。その表情には、微塵も驚きや戸惑いの色は感じられなかった。私の願いを聞き終えると、視線を下に移しそっと自分のチョーカーに触れる仕草を見せる。するとまるで、私がこう言うことを予知していたかのように、慈愛に満ちた穏やかな眼差しで私を優しく見つめ返した。
「ええ、エアリア。あなたがそう言ってくれると、信じていたわ」
そう言うと、セリアさんは私の目の前にフレモを取り出し、大きな画面にして広げ、丁寧に自身の仕事の内容を事細かに教えてくれた。
「あなたは将来大学に入学してから数年は、私と同じようにI.F.D.Oで働くことになるから、いつか……その日のが来る事も兼ねて明日から私の仕事の内容を少しずつ教えていくわね。あなたは来週から授業終わりの放課後、私の職場に来て、そこで住み込みで一緒に作業するわよ。たぶん……もうこの家に帰ってくることはないから、今から不要なものを整理したりして、荷造りをしておくといいわよ、いい?エアリア」
「うん、わかりました セリアさん」
そう短く答えると、私は自室に準備のため戻った。
今日の分の荷支度をし終わりベッドに横になると今までの行動を振り返る様にふと我に返った。オムニスフィアに触れてしまってから、私の何かが確かに変わってしまった。今まで漠然としか考えていなかった将来の夢、学校の先生など身の丈に合うような公務員の仕事を考えていた。しかし、突然研究という道が、突如として鮮明な目標へと変わったのだ。まるで、心の奥底に眠っていた衝動が呼び覚まされたかのように、私はその未知の領域への探求に駆り立てられていた。いや、それはもはや、何者かに強く導かれている、そんな奇妙な感覚に近かった。あんなに仲の良かったハインリヒとウィンとの関係は、音を立てて崩れ去り。そして、今、まるで導かれるように、私はこんな場所で働きたいと願うようになったのか。様々な出来事が私の頭の中をかき乱していた。
——やっぱり、触れた時の……あの時の……そして、表現しがたい不思議な感覚が……今、私をこうさせているのだろうか……。
様々な思いが去来する中、明日から再び始まる荷造りのことをぼんやりと意識しながら、私は白い天井を見つめ、深い眠りに落ちた。
そして翌週から、学校が終わり放課後になると、私は脇目も振らず、セリアさんの職場へと向かっていた。セリアさんの職場は、I.F.D.Oの巨大施設内の一角に存在する地下室だった。中は、青白い光に満たされた異質な空間で、一面には巨大なガラス窓が広がっていた。その部屋には、大勢の研究員たちが、忙しなく画面を見つめ、フレモを二つ折りにして叩き、作業に没頭しているようだった。ガラス窓の向こうを注意深く覗き込むと、底知れない広がりを持つ空間が目に飛び込んできた。天井から無数の太い管が、まるで樹形図のように枝分かれしながら垂れ下がり、巨大な円柱状の機械、あるいは、建造物のようなマシンが、無機質な音を立て、規則的に蠢いている。そこでは数名の研究員が、その機械の上部に設置された複雑なパネルを真剣な面持ちで確認し、手元の端末に何やらデータを入力しているようだった。
研究室に足を踏み入れたばかりの私は、何をすればいいのか皆目見当がつかず、傍に立っていたセリアさんに戸惑いながら尋ねた。
「セリアさん、私はガラスの向こう側で仕事をすればいいんですよね? 全ては覚えていないから……どうすればいいのか、わかりやすく教えていただけますか?」
セリアさんは、手にしていた資料を私に手渡してくれた。しばらく目を通しながら記憶の奥底を辿ると自然とやるべきことが浮かんできて、実際には初めて見る物ばかりだったがそれほど難解なものではなさそうだった。しかし、一つだけ、拭いきれない不安が胸をよぎった。
「わかったわ、内容は難しくなさそうね。でも、英語はまだ完璧じゃないからどうすればいいの?」
「大丈夫よ、英語が分からなくても作業ができるようになっているから、本当に分からないことがあれば下にいる私の同僚に聞けばいいの。いろいろ私もここに来るまでたくさん準備してきたからきっと大丈夫よ。他に、何か心配なことはある?質問はないかしら?」
「ありがとう、セリアさん。後はもう……特にないわ」
私は階段を降りて、薄暗い部屋の中、下に待機していた研究員の指示の下、作業を開始した。画面に表示される見慣れない単語は飛ばして、円柱状の機械に設置されたパネルの表示を確認、指示された項目を操作する、その単調な繰り返しだった。通常の作業であれば、きっと退屈してしまうだろう。しかし、不思議なことに、私はいつしかその単調な作業に夢中になっていた。作業は夜遅くまで続き、そろそろ明日の学校の為に寝なければいけない。私は研究室の一角に、自分専用の小さなスペースを与えられた。狭いながらもプライベートが確保された空間で、セリアさんと一緒に眠り、そして朝、目が覚めると、平日は学校へ、土日は一日中、セリアさんと共に作業に没頭する、そんな日々が、機械的に繰り返された。果てしなく続く、その毎日の中で、私は常に思っていた。
——あと……何十回、いや、何百回、同じ作業を繰り返すんだろう……本当に……私がしていることは……これでいいのだろうか……?
そんな言いようのない不安と孤独を胸に抱えそれでも私はその日を迎えるまで懸命に作業に取り組んだ。
~一年後~ 二四期五日 降恒七時一一分 天気:晴れ
そんな、代わり映えのない日々を送り一年。私の人生を大きく揺るがす日が、唐突に訪れた。いや、その日が来ることを、心のどこかで覚悟していたような気がする。その日、学校に行く前、セリアさんから、「放課後、できるだけ学校にいるように」と、珍しく念を押された。私はその言葉についにこの時が来たかと刹那の悲しみがこみ上げた。それでも私は覚悟を決め、言いつけ通り放課後担任の先生に叱責されても、何とか言い訳を繕い、無理やり居残るようにしていた。
降恒七時を過ぎ、居残りで働く先生や用務員の先生たちを横目に、一人教室で時間が経つのを待ち続けていると、遂に、それは、予想通り、何の前触れもなく発生した。
“ドカーン‼”
地を震わせる、すさまじい轟音と同時に、研究所の方向から、巨大な黒煙が立ち昇り、赤々とした炎が夜空を焦がしているのが、窓ガラス越しにはっきりと見えた。
——やっぱり、セリアさんの研究所の方……⁉
心臓が凍り付くような戦慄が全身を駆け巡った。私はいてもたってもいられず、椅子から勢いよく跳ね起きると、鞄も放り出して学校を飛び出した。爆発が発生した研究所へと、一心不乱に走り始めた。こうなることは心のどこかで分かっていた。それでも、現実を目の当たりにすると、私はその事実に耐えられなかった。体の奥底から熱い何かがこみ上げ、視界が滲む。ただ、私はひたすらに前へ、前へと走り続けた。
息を切らしながら走り続けると、やがて、研究所の無残な姿が目に飛び込んできた。建物は見る影もなくぐちゃぐちゃに崩壊している。けたたましいサイレンを鳴らしながら消防車が次々と駆けつけ、まさにこれから物々しい警戒線を張り巡らせようとしている、そんな騒然とした状況だった。私は、躊躇なくその警戒をかいくぐる。
「おい、危ない! そこはもう駄目だ!」
「お嬢ちゃん 来るのは辞めろ! 引き返せ! まだ爆発する可能性がある!」
だが、私は止まれなかった。
制止しようとする消防士たちの怒号を無視し、雑踏を掻き分けて進んだ。変わり果てた研究所の様を一目見て、すぐにセリアさんの安否を確認しなければ、と強く思う。しかし、無情にも瓦礫が積み重なり、私の力ではどうすることもできなかった。せめて、目視でだけでも、と瓦礫の山を見下げた、その時だった。
——……⁉
瓦礫の端の方、辛うじて原形を留めている場所に、セリアさんが頭から血を流し倒れているのを見つけた。一瞬、思考が停止した。現実を理解できず、ただ立ち尽くす。
「イヤだよ……」
——どうして……。なんで……⁈
全ての色が混合し、全ての景色が混沌としていく。
血流が外気と混合し、世界がゆっくりと寒くなっていく。
「なんで……、なんで……」
数秒の時間が永遠に感じられた。しばらくして、ばらばらだった全ての次元や時空がゆっくりと重なっていく。目の前の光景がようやく意識に浸透し、私は激情に駆られた。
「やだよ……やだよ……やだ、やだ、やだ、やだセリアさん!……セリアさん死なないで‼」
思わず叫びながら駆け寄ると、私は発見した。
——……!
セリアさんの両手に、髪色が柔らかい青みを帯びた赤ん坊。その子は特殊な透明なカプセルに包まれ、セリアさんは大事そうに抱きかかえている。彼女は口元から鮮血を溢れさせながらも、私に何かを伝えようと、途切れ途切れの声を絞り出した。
「さあ、予定通りに……この子を……お願い、エアリア……」
「——やっぱり……やっぱり私、無理だよ!……セリアさん!こんなの……だって、こんなの、できっこない……!」
絶望と恐怖に押しつぶされ、私は思わずセリアさんに向かって声を荒げてしまった。私の叫びに反応したのか、セリアさんは私に顔を向けると、まるで言い聞かせるように囁いた。
「エアリア……あなたとはこれまで、十分に私と話したでしょう……人の何十倍、いや、永遠に等しい時間を……あなたと私は共に時を過ごした……。けれど、絶対に、どんなものにも終わりは来る。この世界に終わりのない完璧な物なんて、存在しないの。いい、エアリア、この世界に生きていくものは、皆、変化し続ける。そうでなければ、存在し続けることはできない。それが、この世界の理……。私は今まで生きてきて、十分すぎるほど、チャンスをもらった。今度は、あなたが成し遂げる番なのよ……」
「でも……」
私は理解していた。しかし、理解していたとしてセリアさんを失ってしまうことが、私にはどうしても受け入れられなかった。体が芯から冷え、さらに凍り付いていくような感覚に襲われる。彼女は、そんな私に、新たな混沌、希望、あるいは、絶望、その全てを託すように、大事そうに抱えていた男の子の赤ん坊を差し出した。セリアさんが祈るような眼差しで差し出したそれを、私がおそるおそる受け取ると……。
“ッッッッッッッッッッッッッッッ”
カプセルがわずかな電子音を立てて解除された。手のひらほどの棒状のデバイスと、暖かな赤ん坊の柔らかい肌が、ふわりと私の肌に直接触れる。それは、冷えていた体が、内側からじんわりと温かくなっていくような、不思議な感覚だった。
——!
その刹那、セリアさんの胸が樹形雲模様に青白く光った。胸の奥深くから、まるで青い燐光を宿した生命の塊のようなものが、風に舞う綿毛の種子のように繊細な光の玉になって、ふわりと浮かび上がり、私の方へと移動してきた。抵抗する間もなく、それは私の胸に入水するように入り込んだ。それが一体何なのか、私には全く理解できなかった。ただ、じんわりとした温かさが広がり、優しさに満ちた光が私の全身をそっと包み込んでくれるような、そんな不思議な感覚に襲われた。
セリアさんは、私の変化を確かに感じ取ったのだろうか。私の胸に手を当て、深い安堵の色を浮かべ、穏やかに微笑んだ。そして、力を込めて最後の言葉を紡ぎ出す。
「良かった……頑張ってね……、今までありがとう……。エアリア、愛している」
そう囁くと、彼女は静かに目を閉じた。段々と彼女の温もりが消えていき彼女の呼吸が止まったことを本能で悟ると、私の体から熱い感覚が、からだの底から湧きだし私の体温を下げた。しかし、それよりも、遥かに大きな、暖かい何かが、私の体を優しく包み込み、体温を平熱に保ってくれている。そんな不思議な悦に近い感情が、胸の奥からじんわりと広がってきたのだ。
しばらくして私は赤々と燃え上がる、まるで地獄絵図のような現場を後にし、外へと出た。先程までの熱気とは打って変わり、少し肌寒い夜の空気が、私を包んだ。私に今、残されているものは、特殊な棒型のデバイスと腕の中の赤ん坊、ただ一人。私は導かれるようにふと夜空を見上げた。すると、満天の星空の片隅で、一つの星の光が、ふっと息を吹きかけたように消えたような気がした。普通ならば、不吉な兆候と捉えるだろう。しかし、その消えた光は、私にとって、今、腕の中ですやすやと眠る、この幼い命になにか宿ったようにしか、思えてならないのだった。
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