第23話 セリアさん②
※ ※ ※
~約20年前~ 場所:惑星アレア エルフ府
~エアリア目線~
私は夢をよく見る。目を閉じると、現実と夢の境界が曖昧な世界が広がる。普通の人は『違う、それはただの夢だ!』というだろう。だが、私にとって夢の中は真実の世界そのものだ。
昨夜、私は鳥となり大空を飛んだ。
朝、夜明けの光を浴びて目を覚ますと、私は空腹に導かれる様に羽を羽ばたかせ空に舞い上がる。苦労の末、獲物を狩ると巣に戻り子供たちに餌をあげ、そして自分の分も食べ一日が終わる。こんな単調な日々が繰り返される。だが、青い空の下、雛たちのために働く。熱を帯びた空気を切り裂いて進む。その平凡ながらも温かな感覚に、全身が包まれ、実に心地よかった。
このように夢は私に素晴らしい体験をもたらすが、時に残酷な一面も持つ。
以前見た夢では、乾いた草原の中、私は肉食獣となってさまよっていた。
毎日のように空腹に導かれ草食動物を追う。数日前から何も口にしていなかったのだろう、飢えに突き動かされ、獲物を捕らえねば生きられないと本能が告げる。執拗な追跡の末、遂に首元に食らいつき、一瞬で命を奪い、むさぼり食らう。その時の私は、ただひたすらに食欲を満たすためだけに生きていたが、満たされたはずの心に、どこか空虚さが漂った。私はふと導かれるように周りを見渡した。そこには広大な草原に独り立ち尽くす、自分だけがいた。夢の中の私は、群れを離れた孤独な獣。頼れる仲間もいないまま、毎日を孤独に過ごし数年後。私は老いによって狩りができなくなり、独り、餓死という悲惨な最期を迎えた。
様々な夢を見るが、とりわけ心惹かれるのは、たまに見るある「特別な夢」。それは心の奥底を温かく満たし、根源的な何かに響くような……とても不思議な夢だ。
いつものように瞼を閉じ意識を手放すと、そこは漆黒の闇だ。だが、目が慣れてくると、そこは鮮度をもった世界であることがはっきりとしてくる。見上げれば無数の星達が、まるで散りばめられた光の粒のよう、静かに、しかし確かに瞬いている。足元には鏡面が広がり、星々の光を寸分違わず映し出していた。それは宇宙空間に浮かんでいるかのような、現実離れした感覚だ。
細胞を冷涼な風が包む、そんな幻想的な空間の中を私は進む。それは私の意志とは無関係に、何かに背を押されるような力。その力に導かれ、緩やかに、しかし確実に何処かへと向かっている。その感覚はどこか暖かく、そして、心地よい。
——!
ふと自身の体に目をやると、それは白く眩いほどに発光している。しかし、その光は不思議と目に刺さることはなく、むしろ焚火の灯りの様に柔らかい。ゆっくりと進む足は、まるで地面に星々が瞬くかのように、一瞬一瞬光を拾い上げ、まるで地面と一体化するアメーバのように滑らかに進んでいく。
——……!
視線を上げ、しばらくすると、遠く、空と地面を隔てる地平線に、他のどの星とも違う小さく、それでいて大きな明度の光球が見えてくる。その光は温かく、私をいつも迎え入れてくれるような、強い求心力を持っている。私はいつもその正体を確かめようと、無意識に歩みを進めてしまう。ゆっくり、ゆっくりと、時間も空間の感覚も忘れてしまうほど進み続ける。もう少し、あと僅か――。手が届きそうになったその寸前、視界の端から冷たい霧のように、じわりと白い靄が忍び寄る。そして、暗闇を伴い空間が侵食され始めると、私の意識は唐突に現実へと引き戻されるのだった。
ハッと目覚めると、見慣れた白い自室の天井が視界に広がっていた。私は周囲を見渡し、ここが現実の世界であることを確認する。
「は~」
安堵の吐息が漏れる。まだ微睡みの残る身体を起こし、ゆっくりとベッドを離れた。その時、キッチンから甘く食欲をそそるやわらかな香りが漂ってきた。その香りに誘われるようにドアを開けてリビングへ向かう。すると、そこではいつものように楽しげに優雅な身のこなしでセリアさんが料理をしていた。
ここは小さな彼女が働く組織の社用住宅。
幼い頃から私はセリアさんとずっと一緒にここで過ごしてきた。なぜか私には幼い頃から母親も父親もいなかった。なぜセリアさんが両親のいない私を育ててくれたのか、幼い私には、その理由が分からなかった。けれど、いつも仕事が忙しいながらも料理や洗濯、時には読み聞かせなど一般家庭と同様いやそれ以上に一生懸命私を育ててくれた彼女は私にとって本物の親のような存在で、誰にも代えがたい、心の底から大好きな人だった。
テーブルに着くと、間もなく料理の乗った白い皿や茶色のお椀が次々と運ばれてくる。焼きたての火照ったウィンナー、ふっくらとした卵焼き、鮮やかなミニトマトとブロッコリー。それに、湯気の立つ温かいご飯と味噌汁。食事が揃ったところで、私はあいさつをして食べ始めた。
「いただきます」
私が食べていると。程なくして前方の机が揺れ、視界の上部に壁ができた。気になりふと前方に目を向けると、セリアさんは机に肘をつき手を頬にあて、ニコニコしながらこちらをじっと見つめている。
優雅な面長の輪郭、丁寧に整えられた細い眉、そして吸い込まれるような青紫の大きな瞳。彼女の佇まいは、見る者に安らぎを与えた。そして何より印象的なのは、落ち着いた瑠璃色のショートボブと、いつも身に着けている精巧なチョーカーだった。そして今朝は、以前からずっと気になっていた、ある疑問を口にしてみることにした。
「そういえばセリアさん」
「何?エアリア」セリアさんが優しく微笑む。
「どうしていつもこんなに手間のかかる料理を作るの?前に家の事友達に話したら、みんな驚いていたよ。他の家は効率が悪いからって、いつも配達で済ませているみたいだけど、何か理由があるの?」
突然の問いに、セリアさんは少し驚いたように目を伏せ、考え込む仕草を見せた。やがて顔を上げ、柔らかくそれでいて静かに答える。
「うーん、なんでだろうね、そういえば私にとって当たり前な行動で気にしたこともなかったわ……。うーんそうね、たぶんね、私がしたことで、誰かが喜んでくれるから、かしら?」
「ど、どういうこと?」彼女の言葉の意味を掴めず、思わず問い返した。
「ほら、今、私があなたにご飯を作ってあげたでしょう?それをいつもあなたは夢中で食べてくれる。その顔を見てるとね、ああ、この子のために作って良かったなって、心から思うのよ。それだけで、私はもう十分なの」
まだ完全に理解しきれない私の心を察したのか、セリアさんはさらに言葉を続けた。
「少し、答え方が適切でなかったかしら……。そうね、私たちは毎日、何かしらの目的を持って働いていると思うの。誰かの笑顔のためとか、誰かが元気になってくれればいいとか。そして、そうして自分が行ったことが、相手のためになれば、誰もが嬉しい気持ちになる。本来、人はそうやって誰かのために働くものなのよ」
「そうなの……でも、私はまだ……人のために働いていないけど……?」
私の言葉に、セリアさんは優しく微笑んだ。
「大丈夫、大丈夫よ。あなたがこうして元気でいてくれるだけで、私はとても嬉しいの。、あなたはもう、すでにみんなのために頑張っているわよ」
「そ、そうなの……?」
「ええ、そうなのよ。本当は皆、誰もが誰かの役に立ちたくて、働いたり、活動したりしているんだと思うわ。そして、そうして自分が行ったことが、相手のためになれば、誰もが嬉しい気持ちになる。もちろん、すぐに目に見える見返りが得られるとは限らないけれど。でも、今の社会は、どうしても 直接的な見返りを求めがちでしょう? そして、その見返りを他人と比較して、自分は劣っていると感じてしまう。その結果、目に見えない大切なもの、例えば……そうね……、人の役に立つ喜びとか、そういう定性的、無形の価値が、いつの間にか本来の目的から置き去りにされてしまうの。そうなると、どうなるか、わかるかしら?」
首を横に振る私に、セリアさんは穏やかな口調で語りかけた。
「みんな、何のために働いてるのか分からなくなって、心を病んじゃう人がたくさんいるのよ。私だってね、毎日研究ばかりしてるけど、時々、自分が何のためにこれをやってるのか、本当にこれで合ってるのかなって、分からなくなる瞬間があるの。でもね、こうしてあなたが帰ってきてくれる場所があって、あなたにご飯を作ってあげられるこの時間が、私はとても嬉しいの。あなたがこうしていてくれるから、私は私でいられる。それが、今の私の生きがいになっているのよ」
「セリアさんは私がいると幸せなの?」と私は聞いた。心臓がとくんと跳ねる。
「そう幸せなの。あなたがこうしていてくれるから、私は私でいられる。それが、今の私の生きがいになっているのよ……少しはわかったかしら?」
「ふ~ん、そうなんだね……」
彼女の話すべてを完全に理解できたわけではない。けれど、セリアさんがどこか嬉しそうに話すのを見て、この当時の私はなんだか心が温かくなって不思議とわくわくとした期待さえ感じていた。
私は食事を終え、学校の授業に出るため自室で身支度を整えていると、大きな声がキッチンから流れてきた。
「——あ、そうだ、忘れてた!」
そう言うとセリアさんが部屋に入ってきて思いついたように声をかける。
「そういえば、今日は以前話していた病院の日よ。授業には遅れてしまう旨、後から担任の先生に伝えておくから、今は急いで病院へ行く準備をしなさい」
——そうだった、すっかり忘れていた。
「わかったわ。すぐ準備できるから、私、セリアさんの準備ができるまで、玄関で待ってるね」
私はそう返事をして、セリアさんが後片付けをしている間、玄関で待った。間もなく、支度を終えたセリアさんが部屋から出てきて、ホバーバイクの準備を始める。二人でバイクに乗り込み、病院へと向かった。
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