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第22話 混沌の中へ①

~6期後 5期8日~  降恒11時55分 天気:曇り 


「——来たか……」


 昨日から、体の奥底で何かが呼応するようなざわめきを感じていた。その違和感は時間が経つほどに大きくなり、不安を抱えながらも、今日もトレーニングと訓練に明け暮れる。エヴァンさんも、僕のただならぬ様子を察してか、機態の最終調整に没頭し、いつでも出動できるよう作業場兼研究室にこもりきりだった。そんな折、ステラリンクが反応し、アメリア軍からの通達が届いた。


 発生予想時刻:9日昇恒5時40分。発生場所:レガリス共和国家 首都レガリア上空


 僕は冷たい金属の床を踏みしめ、ロッカーへ向かう。大きく深呼吸したが、肺に空気を満たすと、それは重い鉛のように感じ、心臓が圧迫した。それでも、意を決し、中に丁寧に収納されていたASFアーマーに手を伸ばす。ロッカーの薄暗い灯りの中、灰色の装甲が鈍く光っていた。

 だが、それを掴み、装着しようとした瞬間、内臓を直接鷲掴みされるようなぞっとする震えが体の底から湧き上がった。科学では説明できない『絶対的な混沌』。これから相対するそれは、今まで大切な人々を無に帰してきた、あの存在だ。

 こんな馬鹿げた敵に挑む自分が滑稽になり、僕はアーマーを床に置くと、力が抜けるように座り込んだ。膝を抱え、薄暗いロッカーの壁に背を預ける。ひんやりとした壁の感触が、高鳴る鼓動とは対照的に、僕の心をさらに冷やしていく。


 ——また、僕は何もできないのか……。


 以前、このような混沌の前に立たされた時があった。あれはいつだったか……。脳裏をよぎったのは、ジェイコブさんと戦った、あの激闘だった。あの時、もっと冷静に状況を判断し、海に飛び込むという選択をしていれば……ジェイコブさんに負けることはなかったはずだ。ただ、あの時の僕は、恐怖に足が竦んでしまった。前の週、誤ってアルフレッドさんを傷つけてしまった出来事が鮮明に蘇り、結局、僕はそのトラウマを克服できず、負けてしまった。


 ——……結局、僕は何も変われていないのか……。


 その後も何度も目の前に混沌は現れた。料理や絵画、学校の臨時教員にだって挑戦してきた。それらは上手くいった。ささやかな、成功体験。あれで、僕は少しは強くなれたと思っていたのに。

 しかし、今回挑むのは、今までとは比較にならない、巨大な混沌。そして、舞台は人々の生活の中心、首都レガリアだ。もし、今、自分が立ち上がらなければ、何千万もの人々の命が失われるかもしれない……。僕は、崖っぷちに立たされたのではなく、まさに最前線の、逃げ場のない先鋒に立たされている。これまで積み上げてきたささやかな成功が、この絶対的な脅威の前では、あまりにも無力に思えた。

 それでも全てを失ったあの絶望を、もう二度と繰り返したくない。

 だが、そう誓ったはずなのに、この足と手は、またしても竦んでいる。もう後戻りはできないのに、なぜ僕はエヴァンさんに頼み、この場に立ってしまったのだろうか。言いしれぬ後悔の波が、押し寄せては引いていく。



 ——今なら、まだ間に合うかもしれない。全てをなかったことにして、この場から立ち去ることもできるかもしれない……。


 そう言い聞かせるように、僕は一度装着しかけたアーマーから手を離し、重い足取りでロッカーへと戻し、そこから離れようとした。そんな僕の様子を、エヴァンさんは見ていたのだろうか、背後から低い声が聞こえてきた。


「そんなに怖いなら、逃げてもいいんだぞ。シン」


 エヴァンさんの言葉に、僕は思わず振り返った。彼から、まさか諦めることを勧めるような言葉が飛び出してくるとは、想像もしていなかったからだ。


「いいんですか、僕が逃げても⁉ たぶんですが……、あの空間に身を投じなければ、H・ゲートを破壊することはできない。もし僕が行かなければ、今回は何千万、もしかしたらそれ以上の人々が死ぬことになるんですよ!」


「別にいいじゃないか。シンが行かなければ、世間ではただの自然現象として処理されるだろう。アメリア軍、いやアメリア政府が責任を問われ、彼らは失職に追い込まれるくらいだ。まあ、どうせ、また同じような連中がその座に座るだけのことだが……。例えお前が逃げたところで、誰も見ていないから誰もお前を責めやしないさ。そうだろう? 」


 エヴァンさんはそう言いながら自身の作業に没頭し続ける。


「——そうやって逃げていれば、お前は誰にも責任を押し付けられることなく、これからは俺と一緒に、ここで穏やかに、生きていけるんだぞ、いいじゃないかそれで……」



「はっ⁉ なんでそんな酷いことを言うんですか!これから大勢の人が死ぬんですよ!街が、世界が地獄になるかもしれないんですよ。それでも、エヴァンさんは構わないって言うんですか!」


 僕はエヴァンさんのあまりにも冷淡な言葉に、思わず声を荒げていた。まるで胸ぐらを掴むかのような勢いで、僕はエヴァンさんに詰め寄る。どうして、いつも誰にでも優しく接する彼がそんなことを考えているのか、信じられなかった。


「別にいいじゃないか。既にこの世界は、多くの人にとって地獄のようなものじゃないか」


 ——……⁉


「生まれてからずっと、日々の食事にも事欠く人々、アメリア連邦の法律という名の元に、資産家たちに奴隷のように扱われる人々。確かに、経済成長という一つの指標で見れば、年々数値は上がっているのかもしれない。けれど、それが本当に人間が本来目指すべき世界なのか? 本当に大切なのは、人々が安心して暮らせる、そんな場所なんじゃないのか? 俺にはそれが、はっきり言って分からない。ならば、いっそのこと皆が死の淵に立たされれば、世界中の人々が皆、初めて命の尊さについて真剣に考え、手を取り合い協力するかもしれない。そっちの方が、今の歪んだ世界よりも、ずっと良い未来に繋がるんじゃないのか?」


 僕は、エヴァンさんのあまりにも突飛な考えに、言葉を失った。だが、考える。確かに、そうなのかもしれない。今の世界は、人々が作り出したものが何のために存在しているのかさえ分からなくなり、経済という一つの指標だけに囚われ、人を稼ぎの為に物のように扱う者たちすらいる。それよりも、全てを失う瀬戸際で、皆が命のことに真剣に向き合える、カオスな状況の方が、ある意味、健全なのかもしれない。僕が何もしない方が、世界は自然と、より良い方向へ変わっていくのかもしれない。だが、これから確実に被害を受けるレガリアの人々……その命はどうなるのだろうか? そう考えると、ますます自分の取るべき道が分からなくなってきた。そんな時、エヴァンさんの声が、まるで暗闇に差し込む一筋の光のように、優しく僕を導く。


「だがな、シン……。エアリアさんはお前にこの世界のことを託したんだ。俺だって、正直なところ、エアリアさんが何を見ているのか、何を考えていたのかさっぱり分からない。けれど、誰かに託されたってことは、その人には、それを成し遂げる責任がある気がするんだ。そのことを踏まえて、シン、最後は自分で考えて、自分で判断するんだ。俺に言えるのは、これだけしかないんだよ……。本当は……お前に行ってほしくないんだ……」


 エヴァンさんは、深い憂いを湛えた瞳で僕を一瞬見つめると、背を向けて作業場へと戻って行った。僕は、彼の言葉を何度も反芻しながら、深く考え込んだ。エアリアさんに託された、この世界の未来。彼女やエミュエールハウスの皆から受け取った、数えきれないほどの大きなもの。それは、言葉や数値で表せるような、単純なものではない。今、僕の背中には、それ以上に大きく、目には見えない、確かな何かが支えになっている。そう感じた瞬間、僕は自然と、もう一度ロッカーへと向かう力が湧き上がってきた気がした。ゆっくりと、しかし確かな一歩を踏み出し、ロッカーへと歩を進めた。

 そして、僕は再びアーマーを手に取り、胸当てを装着し、ステラリンクを覗き込んだ。ホログラフィックディスプレイに『Deploy the armor(アーマーを展開せよ)』の文字が浮かび上がり、それをタップする。すると、胸部から雲のようなものが噴き出し、全身を薄く包み込む。液体状になった雲は瞬く間に固体へと変化し、最終的には微かに金属光沢を帯びた装甲が全身を覆う。そして更にステラリンクを操作し目の前に透明な壁が作られるとHDU(ヘッドアップディスプレイ)には詳細なデータが映し出された。

 僕は“コツコツ”とした軽い足音を立てながらエヴァンさんの研究部屋へと急いだ。そこには僕の出発を心配で見送りに来たのかレーアも心配そうな目付きでエヴァンさんのそばに佇んでいた。ユナの姿がないことに、体の力が抜けるような感覚がした。


 ——ユナちゃんは一緒じゃないのか……。


 だが、それでいい。ユナがこんな悲壮な場面に出くわすにはまだ早すぎる。彼女は何も知らず、眠っていた方がいいだろう。僕はレーアに対し軽く頭を下げて応えると、目の前の彼らに向き直った。



「シン、体には気を付けるんだよ……あたしができるのは、これだけしかなくて……本当にごめん……ごめんな……」


 レーアは初めて僕に対してしくしく涙を流した。彼女が僕に初めてみせる姿につられて目頭が熱くなったが、息を整えて彼女に応える。


「僕の事、こんなに心配してくれてありがとうございます。でも、これは僕が決めたことなんです。レーア、どうか心の中で、僕の無事を祈っていてくれますか?お願いします」


 レーアは僕の言葉に涙をのみながらこくりと頷く。そして僕はエヴァンさんの方を向いた。


「エヴァンさん、準備完了しました。いつでも出動できます」


 エヴァンさんは僕の姿をしばらく黙って見つめていたが、やがて重い口を開く。


「シン、覚悟は、決まったんだな……」


「はい、覚悟はできました」


その言葉と共に、胸の奥で何かが静かに燃え上がった。


「そうか……」


 エヴァンさんは、どこか悲しそうな表情でしばし考え込んでいたが、再び口を開いた。


「手順は、以前言った通りだ。後のことは知能機関シオンが脳内でサポートしてくれる。その指示に従うように、いいな?」


「はい、わかりました」


 そう答える僕に、エヴァンさんはボタンを押した。すると、巨大な倉庫兼家のシャッターがゆっくりと開き始める。普段は農作業ロボットを出すときに半分だけ開くシャッターが、今日は全てを許容するかのように完全に開放された。外の世界は全てを飲み込むかのような漆黒の闇。秋の季節に向かう肌寒い風が体をそっと包み込んだ。しばらくして視界が慣れてくると、倉庫やバーティカル・ファームセンター、農地に設置された灯りだけが、あちこちでかろうじて光っているのがはっきりと分かった。


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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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