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第21話 失われた希望⑤

~1日後~


 目を開けると、見慣れた高い天井が目に入った。ゆっくりと視線を動かすと、ぼやけた視界の先に誰だか分からないがベッドの脇で若い男の人と赤髪の女の人が、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。遠くからは、誰の声か判然としないが子供たちの元気な声が微かに聞こえてくる。日常の音がひどく遠く、現実離れしたものに感じられた。


「くっ!」


 咄嗟に起き上がろうとしたが、右手に走った激痛に思わず声が出る。ふと痛みのある方を見ると、お医者さんが施してくれたのか、何やら中で特殊な青い液体が流動する特殊ギプスがはめられている。僕は手で体を支えることはできないので、仕方なく腹筋に力を込めてゆっくりと上体を起こした。


「シン、大丈夫……?」


「無理して起きなくてもいいぞ」


 焦点が合い始めた視界の先に、レーアとエヴァンさんが、不安と安堵が入り混じったような表情で僕を見つめている。僕は今の状況が呑み込めず、ただ鈍く残った疲れと、頭痛を伴った体中の痛みが漂いしばらく目の前の光景をただ茫然と見るしかなかった。


 ——何してたんだっけ……。


 僕は頭の中で記憶を辿る。


 ——アリエス市から帰ってきて、エアリアさんが残してくれたデバイスを開け、友達からの安否を確認するための動画を見てたっけ……。それでその後アメリア軍からの報告が届いて、何だかはっきりとは分からないけれど……理性を抑えられなくなって、自暴自棄になって……。


 僕はなんとなく今の状況を理解したが、それでも僕の気持ちは上の空でしばらく周りの様子を見続けていた。ふと横を見るとレーアの子供達がエヴァンさんの家の中で様々な農業用の機械や僕の乗って来た戦闘機態を興味深そうにのぞき込んだり、機械を壁にかくれんぼに興じている。


「何をしてるんだか……」


 ふっと体の力が抜け、その賑やかな光景をぼんやりと眺めていると、その中から一人小さな赤ん坊がよちよちと僕の方に近づいて来た。最初は誰だか分からなかったが僕の寝るベッドまで来ると、ベッドの段差を登り、俗世の不安も感じさせない、無垢の笑顔を僕に向け、一瞬だけ小さな翼を広げるように「わー」と手を広げた。

 まるで全ての悪さえも許せるようなその笑顔を見て、僕はやっと誰かと認識した。彼女はユナだった。全てを失った中で唯一、ライアン夫婦が残してくれた明日への希望。


 ——!


 その純粋な光は、僕の心を焼き焦がした絶望の闇を、一筋の光明となって照らした。

 そんな彼女の変わらない優しく可愛らしい眼差しに触れた瞬間、奥底に無理やり押し込めていた怒りや絶望の塊が、堰を切ったように解け始めた。その代わりに、熱いものが胸いっぱいに込み上げてくる。

 僕はもう、自分を抑えることができなかった。

 まるで迷子の子供のように、彼女の体に顔を埋め、声を上げて泣いた。満たされ、そして奪われた温かな記憶が、嗚咽と共に次から次へと溢れ出した。小さな彼女の手が、僕の髪を、頬を優しく撫で、不器用だけれど確かに、そして懸命に僕を慰めてくれる。その温かさが、僕の頬を伝う涙と混じり合い、どこかひどく懐かしい痛みを残した。


 ——この小さな命だけは、絶対に、絶対に守り抜かなくてはいけない。


 だが、その確かな誓いと絶望的な現実の前にどうしようもなく心は揺れ動く。すがるように僕はひたすらに暖かい匂いの中にうずくまった。近くにいたレーアは何も言わず、ただ静かに、僕の背中を優しく撫でてくれた。その温もりが、さらに心の奥底に溜まっていた涙を誘い、僕はしばらくの間、ただ泣き続けていた。




 どれくらいの時間が経っただろうか。泣き疲れて呼吸が少しずつ落ち着き、冷静さを取り戻し始めた頃、僕の様子を見計らったように、エヴァンさんが静かに口を開いた。


「どうだ、落ち着いたか、シン」


 僕は呼吸をなんとかして整え、涙で濡れた顔を上げてエヴァンさんに向き直る。僕の様子を確認すると、彼は心底ほっとしたように表情を和らげ、穏やかな口調で話し始めた。


「よかった……。本当に、一時はどうなることかと思ったぞ。シン、実はな……俺自身が言うのをためらっていて、今まで言ってなかったことだが……。えっとな……。エアリアさんに以前、俺とレーアさんは忠告されていたんだ。『13日から14日にかけては、絶対にアリエス市とその周辺に近づかないように』ってな。俺はその言葉がどうもずっと引っかかっていて……。以前、エアリアさんはシンが来ることも当てていて、不気味なくらいだった。だから、仕方なくエアリアさんの言葉に従い、シンが俺のホバーバイクや車を使って遠出しようとするのを、その日だけはなんとか引き止めようと色々画策してたんだが……すまなかった」


 彼の言葉を引き継ぐように、レーアさんも悲しげに眉を寄せて言った。


「エアリアちゃんにあの時、『お願いだから、その日は絶対に行かないで』って……。理由は教えてくれなかったけれど、あの時のエアリアちゃんは、何かひどく切羽詰まった様子で、まるで何かに追い詰められているみたいだった……。今思えば、もっと強く理由を聞いていれば……。もっと寄り添ってあげていれば……こんなことには……」


 ——どういうことなんだ……? エアリアさんは、なぜ? まるで、これから起こる全てを知っていたのか……?


 エヴァンさんとレーアさんの言葉が、僕の混乱した心に新たな疑問の波紋を広げる。エアリアさんは一体何を知っていたというのだろうか? そして、なぜそれを僕には直接伝えてくれなかったのか? 疑問は泡のように次々と浮かび上がり、僕の心を捉えて離さなかった。


「なぜ、知っていたのに……? それなら、なぜライアンたちも……」


「それがなぜなのか、よく分からないんだ……。でもな、最後に会った時、エアリアさんはお前のことをこう言っていたぞ。『シンはこれから、私たちの世界の命運の鍵を握る。その存在になるかもしれない……。だから私は、彼の未来に賭けることにしたんだ』って。詳しいことは分からない。けれど、その強い決意のような言葉を言い残して彼女は帰っていったんだ」


 エヴァンさんはそう言うが今の僕は完全に思考停止に陥っていた。


「そんなこと言われても、僕には今、事態に対処する力なんてありませんよ……」


「それは、これからのお前次第だ、シン。エアリアさんは、シンの判断に、これからの俺たちの未来を、命を懸けて託したんだ。たとえ今、目の前の混沌に怖気づいてしまったとしても、これから先、きっとお前の前には、より困難な局面が幾度となく訪れるだろう。それは仕方のない事なんだ。だけれど、そのたびに人は乗り越えなければならない。どんな理不尽な困難が襲いかかろうとも……それを受け入れて、人は前へ進むしかないんだ。だから今は落ち着いて、今目の前に起きていることを整理するしかない」


 ——そんなことは頭では理解している。けれど……理不尽な困難を受け入れて、前へ進む? そんなことが本当にできるのか……⁉


 僕はしばらくの間、黙り込んでしまった。絶望と無力感が再び僕の心を深く覆い尽くそうとする。しかし、その奥底で、小さな、しかし確かな温もりのプラズマが静かに反抗しているのを感じる。それは、ロミ、クレア、スレイ、ライアン、学校の子供たち、地域の人たち……そしてエアリアさんの笑顔だった。大切な人たちを失った悲しみと、抗いがたい運命への無力感。そして、もう二度とこの悲劇を繰り返したくないという強い思い。それらの相反する感情が、小さいながらも僕の中で激しく衝突を繰り返していた。

 そんな僕の様子を見てか、エヴァンさんは気を遣い、少しだけ話題を変えるように話を続けた。


「それで……、俺もシンが寝ている間。いろいろなことを考えてたんだが……突然で無粋な質問だが、いいか?」


「はい、どうぞ」僕はぶっきらぼうに答えた。  


「今後どうしたいんだ? 六期末には軍隊に戻るとエアリアさんから聞いていたが?」


「ええ、もちろん、今はそんな気分ではないですが……七期に学校に戻れるようにするつもりです。そのことに何か問題でも?」


 ——なぜ今、そんなことを唐突に聞くのだろうか……。


 僕は先ほどから不可解な話をするエヴァンさんがより疑わしく感じられる。  


「お前が最初に(ヘルズ)・ゲートに巻き込まれたのが10期、次に発生したのが20期、そして今回の24期。確実に発生間隔が狭まっている。たぶん、このままいけば七期前に再び現れる可能性だって否定できない。そうなれば、俺たちだけで対処することも視野に入れる必要が出てくるかもしれない」


 僕はエヴァンさんの提案を聞き、心底呆れた。


「はぁ……エヴァンさん、それは無理だと思います。まず、あの(アブソリュート)・スペースに侵入できなければ、この現象を止めることは不可能なんです。未だにアメリア軍でさえそれができていない。ましてや個人で対処するなんて到底不可能です。だから今の僕にできることなんて、ほとんどない……ただ、目の前で起きている現象を見守るしかないんです……」


 僕の言葉を聞くとエヴァンさんはしばらく考え込むように黙り込んだ。そして、沈黙を破って口から出た言葉は、僕を驚愕させた。


「——いや……侵入方法ある」


 ——⁉


 僕は思わず身を乗り出し、エヴァンさんを注視する。


「今回、I.F.D.O.がH・ゲートの予測方法を確立することができた。そして今のお前の乗ってきた最新鋭の機態、それと俺の過去のノウハウがあれば、数時間前に準備して中に侵入し対処することも、理論上は可能かもしれない。俺は以前、似たような状況の初期研究に関わっていた。だが……」


 ——だが……? 僕はエヴァンさんの次の言葉を待った。


「今のお前のアーマーの性能では、物理定数の異なる空間に長時間留まることは難しい可能性がある。そのリスクを踏まえても、それでもやってみる価値はあるが……最終的な判断は、お前に委ねられるんだ」


 エヴァンさんが、なぜここまで詳細な情報を知っているのか、疑問は残った。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。僕は思考を巡らせる。今、この状況を打破できるとすれば、それは僕しかいないのかもしれない。なぜなら、以前H・ゲートから放たれる柱に巻き込まれながらもただ一人、生還することができたのは、この僕なのだから。そして、これまで人生の岐路に立たされるたび、常に僕を暖かく、そして力強く突き動かしてきた、あの内なる力——今、その声に従うべきなのだと、本能を超えた何かが告げている。それに従えば、きっと、必ず、あの中に入り、破壊することができるかもしれない……。確かに、死ぬことは恐ろしい。しかし、何もしないまま、目の前で大切な人たちを失い続けることだけは、もっと耐えられない。そう覚悟したとき、胸の奥底で、消えかけていた炎が再び、激しく燃え上がろうとしているのを感じた。体の底から、巨大なエネルギーが奔流となって全身を駆け巡る感覚を。


「エヴァンさん、お願いします。僕にやらせてください!」


 迷いを断ち切り、覚悟を言葉にした僕に、しかし、エヴァンさんはなおも躊躇していた。


「本当にいいのか、シン。死ぬ可能性だって充分あるんだぞ。当然だが、俺はお前に死んでほしくないんだ……」


「それはわかってます。でも僕はもう、何もせずに、目の前の人が次々と死んでいくのをただ見ているなんて、耐えられないんです。今までだって、何度も何度も、何かできるはずだと挑戦しようとした。けれど、そのたび、僕は、怖気づいて逃げて、何もできなかった。その結果がこれです。僕はまた、大切な人たちを失ってしまった。もうこれ以上、こんな思いは繰り返したくないんです。そして今、僕にたった一度きりのチャンスが訪れた。どうか、やらせてください。お願いします!」


 僕は渾身の力で頭を下げた。僕に残された道は、もはやこれしかない。そう信じるしかなかった。エヴァンさんはしばらく押し黙って、不快な沈黙が重く立ち込めただけで、返事は聞こえなかった。その間は、僕の決意を試すかのように長く感じられ、一秒一秒が永遠にも思えた。しかし、長い、長い沈黙が続いた後、ついに、彼の重い口が開いた。


「……わかった。善処するよ。詳しい事は明日から説明する。しかし、期間はお前が軍に帰るまでの六期間だけ、その事実は留意しとけよ。そしてシン。今日は色々とあってもう疲れてるだろ? 今日はこれで終わりにしよう」


 彼の眼差しには、僕の覚悟を慮るような、複雑な感情が揺れていた。しかし、僕にはもう、迷いはなかった。


「分かりました、お願いします!」


 僕は、覚悟と決意を新たに、身が引き締まる思いで力強く頷いた。


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