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第21話 失われた希望④

 D.C.2256年 1期上旬 降恒4時12分 天気:曇り 


 彼らから送られてくる安否確認の動画。僕はそれを食い入るように見つめていた。画面の中の彼らの声と姿が、張り裂けんばかりに空っぽになった僕の心を、確かに、少しずつ満たしていく。

 しかし、その満たされる感覚はあまりにも儚かった。まるでスポンジが水を吸い込んでもすぐに乾いてしまうように、現実の冷たい輪郭が悲しいほどはっきりと浮かび上がり、心は容赦なく空虚の底へ沈められた。

 ふと、僕は引き寄せられるように自分の手を見つめた。残された数少ない命綱を確かめるように、指を折り、一つ一つ大切な名前を数える。エヴァンさん、レーア、ユナ、ジャン、イリア、ミハイロワ、ムル……。たったこれだけだ。次に、胸の中で失った、あまりにも多くの名前を心の中で反芻する。アルフレッドさん、デニーさん、同じ部隊のみんな、リアン、ライアン、ミリーさん、ロミ、クレア、スレイ、エアリアさん……。

 失ったものの重さに比べ、この手に、そして心に残されたものはあまりにも少なかった。


「どうして……皆が……なぜ僕だけ……」


 その時だった。“ピロン”と脳内と共に乾いた空気中に響いたのは、ステラリンクの通知音だった。僕は現実からの逃避を求めるように、反射的にそれを開いた。



 I.F.D.O. 研究報告


 先日、我々I.F.D.O.(恒星間航行研究開発機構)は、近年惑星エリシア、アレア各地で頻発し、甚大な被害をもたらしている位相空間異常収束現象「H・ヘルズ・ゲート」の早期予知手法の確立に成功したことをご報告いたします。この画期的な進展は、H・ゲート発生に伴う不可逆的な被害の最小化、ひいてはその制御に向けた大きな一歩となることを確信しております。

 これまで、H・ゲートの発生に先立ち、その上空に未確認の異常重力場が形成されることは、膨大な観測データから確認されておりました。しかし、この重力場が突如として出現し、その形成からH・ゲートの顕現に至るまでの時間差が極めて不規則であったため、正確な発生時期の特定は不可能であり、予測は常に推測の域を出ませんでした。

 しかし、長年にわたる過去のH・ゲート発生データの徹底的な再分析と、新たな理論物理学的アプローチの導入により、我々の研究チームは遂に、発生数時間前に検出可能な明確な前兆パターンを特定することに成功しました……。


 通知を目にした瞬間、まるで全身の血液が逆流し、代わりに灼熱の溶岩が血管を駆け巡るような感覚に襲われた。体中の水分が一瞬で蒸発し、乾ききった心の奥底で、絶望の業火が燃え上がっていく。


 ——なぜ、なぜだ……! なぜ、もっと早く……!


 もし、ほんの数日、いや数時間でも早くこの情報を知っていたなら……。僕たちは、彼らはあんな形で消滅することもなかったのかもしれない……。そうでなくてもこの無慈悲な世界から一緒に消滅することもできたはずだ。しかし、そんな詮無い後悔も虚しい。生き残った僕がこれから対峙しなければならない現実は、現代科学ですら解明できない、抗いようのない『自然現象』。その事実と照らし合わせた時。悲しみと激しい怒り、そして抗う術のない深い絶望の濁流に、無力感が絡みつく。僕はその奔流に押し潰されそうになりながら、その場に蹲った。


 「ギィ‼」


 込み上げるどうしようもない激情をどこかにぶつけなければ、自分が自分でなくなってしまいそうだった。僕は握りしめた拳にありったけの思いを込め、硬い地面に一つ叩きつける。そしてもう一つ、さらに一つ。そのうち自然と気づかぬうちに何度も、何度も。しばらくすると、骨が軋む鈍い痛みが響く。殴る。拳の神経を無視して、また殴る。そして、さらに一つ。しかし、返ってくるのは虚しい反響と、自らの肉体が壊れていく感触だけだった。


 “パキッ!”


 乾いた微かな亀裂音が指先から聞こえた。だが、構わない。僕は無心にただひたすら拳を地面に叩きつけ続けた。体中の熱は、上半身、胸部、上腕部へと遷移する。それと共に、裂ける様な痛みは次第に麻痺し、熱を帯びた無感覚に近い状態に陥っていく。

 だがこれだけでは僕の情動を抑えられなかった。

 何を思ったか、ゆっくりと立ち上がると、今度は近くにあった頑丈そうな構造物に、怒りの矛先を向けた。足を振り上げ、ひたすら蹴る、蹴る、蹴る。さらに、衝動のままに頭を打ち付け始めた。痛みはもはや感じず、脳の奥底で危険な信号のような、不健康な痺れにも似た感覚が広がり始めた、その時だった。


「おい、シン! 何やってるんだ、やめろ! 死ぬ気か、お前!」


 エヴァンさんが駆け寄り、僕の自傷行為を力ずくで止めに入った。彼の腕が僕の体を強く抑えつける。しかし、僕の心は止まれなかった。

 何かを掴もうとすれば、指の間から零れ落ちる。

 暖かな光で満たされたと思ったら、全てが闇に塗りつぶされる。

 全ての掌握行為に対する反応に手ごたえはなく、無力感に苛まれ、僕にはもう何も残されていなかった。ロミ、クレア、スレイ、ライアン、そしてエアリアさん……。僕の心を支えていた大切な存在の全てが、絶対的な不条理によって、あまりにもあっけなく奪われたのだ。

 悲しみは、もはや怒りと破壊衝動へと変質していた。全てを奪った『何か』への、途方もない憎しみ。だが、相手が今のところ自然現象である以上、その怒りをぶつける対象すらない。この本質的な無力感が、破壊衝動と歪に絡み合い、結果として破壊できるのは自分自身だけという破滅的な結論に僕を導いていた。


「あぁっ……くそっ……! くそがあぁぁっ……! 放してくれ! ちくしょう……!」


 しばらくエヴァンさんの腕の中で意味のない言葉を叫びながら悶えていたが、やっとのことで彼の腕を振りほどき、道端に倒れ込んだ。再び自由になった後もただ自身の体を傷つけることだけが、今の僕の壊れそうな心をかろうじて繋ぎとめる唯一の方法のように思えた。だから再び僕は、ひたすら自身の頭を地面に叩きつけ始めた。当然のことながら、叩きつける度に痛みが脊髄を通して体中を駆け巡ったが、不思議なことに意識ははっきりとしていた。僕は今すぐに消えてしまいたいのに、心のなかにある何かがそうさせまいとしているようにすら感じ、その力さえも僕は敵意を向けようとしていた。


 ——……!


 その時だった。突然、視界が急速に白んでいき、意識が遠のき始めた。僕はまるで地面に引き寄せられるように座り込む。ふと目にした目の前のエヴァンさんの顔も、周囲の景色も、ノイズのように霞んでいく。


「エヴァ……ンさ……、どうし……て……⁉」


 薄れゆく視界の端に、何か小さな器具——簡易注射器のようなものを手に持つエヴァンさんのぼやけた姿が映った。抗えない眠気が押し寄せ、徐々に重くなっていく瞼。意識が深い闇に溶けていく感覚の中、僕はついに抵抗する術もなく意識を手放した。



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日にちが開いた場合も大体0時か20時頃に更新します。


また

https://kakuyomu.jp/works/16818622174814516832 カクヨミもよろしくお願いします。

@jyun_verse 積極的に発言はしませんがXも拡散よろしくお願いします。

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