第21話 失われた希望①
D.C.2256年 1期上旬 昇恒10時16分 天気:曇り
数日後、新年を迎えアリエス市への侵入がようやく許可された。H・ゲート発生から数日、アリエス市は広範囲にわたって焦土と化し、中心部では今もなお高熱の炎が燃え続けていた。通常の装備では侵入は不可能であり、高度な防護機能を備えた全身防護服を着用して初めて、安全な侵入が国からようやく認められた。
今、僕とエヴァンさんはユナをレーアに託し、手がかりを求めてエアリアさんの家があったとされる場所へとホバーバイクで向かっていた。
助手席から見える、かつてエアリアさんたちが暮らしていた山間部。そこは、平野部に広がっていた市街地とともに、地形そのものが変貌していた。かつて緑豊かな山々が存在した場所は、巨大なクレーターのような窪地となり、赤茶けた地肌と黒炭化した残骸が広がる様は、まるで異質な惑星に迷い込んだかのような光景だった。
僕らはやっとのことでエアリアさんの家があったとされる場所に到着した。しかし、目の前に広がる荒廃した光景は、記憶の中の風景とあまりにもかけ離れており、正確な位置の特定は困難を極めた。
——本当に、ここに家が存在したのだろうか……?
その事実さえも疑わしく思わせるほどの光景が眼前に広がっていた。
「シン、何か発見したらすぐに知らせてくれ。今は辛いとは思うが、彼らを弔うためにも僅かでも何かしら残したものがきっとあるはずだから、足元に注意して頑張ってくれ」
「……そう、ですね……わかりました。善処します」
バイクから降りしばらく歩いて僕は、かつてエミュエールハウスがあったであろう場所の跡地についた。
もちろん,その場所も同様だった。
幾何の時間、僕は血眼になって、焼け残った土地を慎重に探査した。エアリアさん、ロミ、クレア、スレイ、彼らの存在を証明する、何らかの物理的な痕跡を求めて。しかし、指先に触れるのは、黒く焼け焦げ、原型を留めない物質ばかり。「無」を必死になってどかし、掘り進めるが、彼らの生きた証となるような、具体的な“カタチ”は見当たらなかった。彼らの“カタチ”は、もはや僕の記憶の中にしか存在しないと実感した時、胸にぽっかりと穴が開き、自然と曇天の空をただ見上げていた。
——……‼
すると突然、静寂を切り裂くように脳内に直接響くような感覚で、どこからともなく女性の合成音声が聞こえた。だが周りを見回しても何もない。僕は何かが聞こえる方に意識を集中し、その声に耳を澄ませる。
『Biometric authentication. Subject: Shin Johann Steiner. Authentication code: Approved. Dimensional isolation field deactivated. Information entropy convergence processing, start.』(生体認証 対象:シン・ヨハン・シュタイナー 認証コード:承認。次元隔離フィールド解除。情報エントロピー収束処理、開始)
直後、僕の視界の先に、最初は大気中のプラズマが凝縮するように、ぼんやりとした輪郭が現れる。それは徐々にその密度を高め、やがて、コンシュルジュドローンとしてやわらかく実体化した。するとドローンは、これまで見たこともない大きな口をゆっくりと開いた。その奥から、金属的な質感を持つ球体。——かつてエアリアさんの地下室で目撃した、あの物体がふわりと綿毛のように僕の手のひらに静かに降り立った。
目の前で起きた未知の現象と、手のひらにある球体の確かな存在感に、僕の思考は完全に停止した。どれほどの時間が経っただろうか、ただ呆然と目の前の球体を見つめていると、ふと人影が近づいてくるのを感じた。その気配に顔を上げると、そこにはエヴァンさんが立っていた。彼もまた、僕の手にある異様な物体に気づき、訝しげな表情でそれを見つめている。そして、ふいに口を開いた。
「シン、それは……もしかして、エアリアさんがシンのために残してくれた、何らかのデバイスじゃないか? こんな状況だから今は迂闊に触らず、一旦家に持ち帰って詳細に解析してみよう」
エヴァンさんは、僕の肩を軽くぽんぽんと叩き、帰還用のホバーバイクの手配に向かった。促されるまま、僕はまだ状況を完全に理解できていない状態でその球体を両腕に抱え、エヴァンさんの後を追った。
家に戻り、僕はエヴァンさんの作業机に例の球体をそっと置いた。僕らは沈黙の中、その物体をじっと見つめていた。しばらくして、顎に手を置き思案顔だったエヴァンさんが重い口を開いた。
「もしかしたら……これは……。そうだ、これは俺たちが昔研究で使っていた技術を応用したものだ。次元の裂け目に情報体として物質を保存する技術で、アルケオン粒子を利用して情報エントロピーを極限まで増大させ、対象の情報が失われないように格納する。そして、取り出す際には再び情報エントロピーを収束させることで、物体を元の状態に戻すんだ。理論自体は確立されていたが、ここまで高精度かつ個人レベルで扱えるようにしたのは驚きだ……。たぶん……エアリアさんは、この技術を独自に研究していたんだろう。シン、おそらく、もう一度手をかざせば生体認証が完了して、中身が分かるはずだよ。やってみたらどうだ?」
「わかりました」
『Biometric authentication. Subject: Shin Johann Steiner. Authentication code: Approved. Open』
(生体認証 対象:シン・ヨハン・シュタイナー 認証コード:承認。解放)
エヴァンさんの言葉に従い、僕は球体に再び手を触れた。直後、微かな電子音とともに球体が淡く発光し、外郭がまるで花弁が開くように滑らかに展開し、内部に収められたものが姿を現した。記録デバイスらしき四角い箱、僕がこの家で描いてきた絵、スレイが大切にしていた本、エミュエールハウスでの日々を想起させる品々が、溢れ出すように出現した。
僕はそれらを一つ一つ手に取り、確認するたびに、彼らと共有したかけがえのない時間が鮮明に蘇蘇ってきた。エアリアさんの優しい微笑み、ロミの屈託のない笑顔、クレアの明るく響く声、スレイの穏やかで知的な眼差し。彼らの存在がどれほど僕の心の支えとなっていたのか、溢れ出す記憶の断片は、まるで実体を伴って僕の頭の中で形作られ、そして儚く消えていった。彼らは確かにそこに存在していたのに、もう二度と触れることはできない。その事実に、胸が締め付けられる。
次に僕は、四角いデータデバイスを手に取り、ステラリンクを近づけ接続を試みた。すると驚くべきことに、エアリアさんが生前に記録した膨大な情報が流れ込んできた。それは日々の些細な出来事から、高度な専門知識まで、多岐にわたるデータだった。その中のエミュエールハウスでの思い出が記録されたフォルダを開くと、エアリアさんがいつの間にか撮り溜めていたであろう無数の写真が目に飛び込んできた。ロミ、クレア、スレイ、そしてエアリアさんとの思い出の記録……。このデバイスの出現も、そこに記録されたデータの内容も、すべてがあらかじめ用意されていたかのような完璧なシナリオに思えた。まるで彼女が、自身の未来を予見していたとでも言うかのように。
僕は夢中になって記録された情報を注意深く精査していく。すると、家族の記録とは明らかに異なる見慣れないデータ群が目に留まった。それらのファイルは二期に一度の間隔で定期的にエアリアさんの元へ送信されていたようで、ファイル形式を調べると動画データであることが判明した。僕は試しにその中の一つを選択してみた。
——!
画面を開くと久しぶりにかつての友人達の顔が画面に現れた。士官学校時代の同期生たちが、行方不明になった僕の安否を気遣い、メッセージを送ってきてくれていたのだ。しかし、僕のフレモ端末は、寮の自室に置いてきたはずだ。
——なぜ、その情報がエアリアさんが所持していたデバイスに残されているのだろうか?
「エヴァンさん、僕、アメリア軍に置いてきたはずなんですが、僕のフレモに届くはずのデータが、なぜかエアリアさんのデバイスに残されていたんです。一体どういうことなのでしょうか?」
エヴァンさんは少し考え込み、冷静に答えた。
「シンのステラリンクの解析すれば、端末所有者の認証情報くらい容易に特定して、勝手に同期することぐらいできる。俺たちのような専門家なら、それほど難しいことじゃない。エアリアさんなら、もっと簡単にやってのけたとしても不思議じゃないしな」
——そこまで、エアリアさんは準備を……。
驚き、疑問、そして言いようのない空虚感。複雑な感情が胸の中で渦巻く中、僕はエヴァンさんの部屋を後にした。球状のデバイスを抱え、外に出て、どんよりとした曇天の下、家の前に座り込んだ。まるで操り人形のように、無意識のままステラリンクに表示されるホログラフィックをスクロールし、動画を再生した。
ステラリンクのホログラフィックに映し出されたのは、手持ちカメラ映像。激しく揺れる画面の向こうで、ジャン、イリア、ミハイロワ、ムルの四人が、心配そうな面持ちでレンズを見つめている。彼らの姿を見た瞬間、胸に熱いものがこみ上げてきた。彼らは一人ずつ順番に、未だ行方不明であろう僕に向かって、それぞれの言葉を紡ぎ始めた。
『シン、もし生きてるなら、どうか返事してくれ! みんな、本当にお前のこと心配してるんだ。 今は無理でも、諦めず皆で定期的に連絡するからな! いいな!』
ジャンの声は、ひしひしと焦燥と心配を伝えてきた。
『シン君……シン君、聞こえていますか……?私たちはみんな、あなたのことを心配しています。もし、もし生きているなら……ほんの一言でいいから、返事をしてね。私たちは大丈夫だから……。シン君の声を聞かせて……。シン君がいなくなって……胸が痛いよ……。無事でいて……お願いだから……返事してね……』
イリアの優しい声は、かすかに震え、その奥に隠された悲しみが痛いほどに伝わってきた。
『シン。応答してください。ミハイロワです。私たちは今、あなたとの通信確立を試みているわ。状況は不確定だけど……。でも、私は決して諦めていない。 私たちはできる限りの手を尽くしているから。だから……シンの無事を、何とか声で、言葉で。応答可能なら、お願い! シン、聞こえている⁉私たちは、全員、あなたの返事を待っているわ』
ミハイロワは、普段の明るさを保ちながらも、その声には抑えきれないほどの必死さが滲み出ていた。
『——本当はシンに生きていて欲しいんだ。……正直、最近まで少し、お前を見下してしまっていたところもあった。だけど……本当はシンに感謝してるんだ……色々と勉強のこと教えてくれたし……。 シン……? お前……そこにいるのか……? 生きてるなら返事してくれ! 頼む!』
ムルは最初、わずかに視線を外したが、最後にははっきりとした顔でカメラに目を向け、力強く言い放った。
彼らの心からのひと言ひと言を聞いているうちに、僕の心の空洞が、ゆっくりと、しかし確かに温かいもので満たされていくような感覚がした。それは、失われたと思っていた大切な繋がりが、再び確かにそこにあることを教えてくれるものだった。それと同時に、彼らと笑い合った賑やかな日々、共に困難に立ち向かい乗り越えた記憶、何気ない日常の中で交わした言葉や視線の一つ一つが鮮やかに脳裏に蘇る。まるで堰を切ったダムのように、感謝と愛情、そして彼らに会いたいという強い思いが怒涛のように溢れ出してきた。
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