第18話 光がなくても⑧
*分からなくなったらep3にある用語集を参考にお読みください
「あなたは、普通の子じゃないの。あなたは、本来、インベスターとして生まれてきたわけじゃないのよ」
「どういうことですか⁉」
サラさんは元の場所に戻り、私が生まれた経緯を語り始めた。
「実はね、昔、私の両親は小さな零細企業を営んでいて、大きな企業の下請けを担っていたの。けれど、大きな企業は儲かっても、その恩恵が、当時のインフレの影響もあってか下請けにまで回ってこなくなった。それで、従業員を養えなくなってしまったの。ここまではついてこられてる? スレイ」
わたしは頷く。
「それでね、資金繰りに困っていたある日、会社の資金がいつの間にか横領されていたの。生活に困った社員がやったのか、私には詳細はわからなかったけれど、決算監査で発覚したの。経営状況を詳しく調べてみると、すでに債務超過に陥っており、経営を立て直すことは不可能だと判断され、会社は倒産した。それで、借金は雪だるま式に膨れ上がり、もうどうすることもできなくなった。それで私は高校を卒業してから、親の借金返済を手伝うために働き始めたわ。本当は大学にも行きたかったけれど、そんなお金の余裕はなかったから。一生懸命働いた。でも、高卒で、何のスキルもない私が、まともな仕事を見つけるのは本当に大変で……。仕事を探すのも難しかったし、やっと見つけても、満足な収入は得られなかった。そんな時、ある研究所が卵子提供の募集をしているのを見つけたの。多額のお金が得られることを知って、すぐに飛びついてしまった。一年後、私の元に研究所から赤ちゃんが届けられた。私は、実験のためだけの提供だと思っていたから、まさか子供が送られてくるなんて、想像もしていなかったわ」
サラさんは、遠くを見るような表情で話を続けた。
「研究所から研究員に抱えられてきた、まだ本当に小さな赤ちゃんだったわ。最初は、何が起こったのか、全く理解できなかった。その小さな命が私に微笑みかけたの。その笑顔を見た時、私は初めて、自分がとんでもないことをしてしまったと気づいたのよ。私は、お金のため、家族もために自分の卵子を提供しただけだと思っていた。でも、それは、私の一部を、未来を、誰かに売り渡してしまったということだったんだって……」
サラさんの声は小刻みに震え、彼女は悔いるように拳を震えながら握り閉めていた。
「——研究所からは、定期的に養育費が振り込まれてきたわ。金額は決して多くはなかったけれど、当時の私にとっては、本当にありがたいお金だった。でも、子供を育てるというのは、お金だけじゃない。時間も、愛情も、何もかもが必要なの。私は、仕事と借金返済で手一杯で、その子に十分な愛情を注ぐことができなかった。それに、研究所からは、子供についてほとんどの情報は開示されなかった。生年期日と性別だけで名前も、何もかも……。ただ、定期的に健康状態の報告書だけが送られてそれをチェックしてそれを返すだけだった」
「それが、私、なの?」
私は、恐る恐る尋ねた。サラさんの話は、まるで他人事のように聞こえたけれど、その子供が私である可能性を否定できなかった。
サラさんは、ゆっくりと頷いた。
「ええ、そうよ。研究所から送られてきた赤ちゃん、それがあなたなの。あなたは、私が提供した卵子から生まれた、正真正銘の私の子供よ」
サラさんの言葉は、重く、そして優しかった。私は、自分が何者なのか、ようやく少しだけ理解できた気がした。同時に、新たな疑問が湧き上がってきた。なぜ、サラさんは、今になって私にこの話をするのだろうか。そして、なぜ、私がインベスターではない、と言ったのだろうか。
「それじゃあ、なんで私はインベスターになってしまったの?」
彼女はまた俯き、重い口を開いた。
「実はね、その後も両親の借金はなかなか返済できなくて……生活は本当に苦しかったの。そんな時、人材派遣会社のある募集が目に留まったの。そこには、二つの募集が書かれていたわ。『三歳以下の子供を提供し、手厚く育成すること』、そして『妊娠能力のある人に対して代理出産をすること』。その二つの条件に、当時の私は、皮肉なことにぴったり当てはまってしまったの。それで、どうしても他にお金を得る方法が見つからなくて……仕方なく、藁もつかむ気持ちでその募集に応募してしまったの……」
サラさんの声は、ますます沈んでいった。
「どちらの募集も、当時の私にとっては信じられないほど条件が良かった。貧しい私には、子供に最高の教育を受けさせられる、代理出産ならまとまったお金が手に入る……そう、都合の良いことばかり考えてしまっていた。でも、後になって、その仕事の真実を知って、私は言葉を失ったわ」
サラさんは顔を上げ、私をまっすぐ見つめた。その瞳の奥には、深い後悔の色が濃く滲んでいた。
「人材派遣会社とは名ばかり。実際はかつての少子化対策の名残として存在する、子供を将来の会社の人的資本として扱う、非道な組織だった。子供たちは、まるで工場で大量生産される部品のように、生まれた時から徹底的に管理され、価値だけを追い求め育てられる。インベスター、というのは彼らが作った言葉で、要するに、会社に利益を生み出すための『投資対象』ってことなのよ」
私は息を呑んだ。サラさんの言葉は、想像していたよりも、ずっと残酷な現実を突きつけてきた。
「私があなたを会社に預けた後、会社からは全くといっていいほど連絡が途絶えたの。不安に駆られ、会社に連絡を試み、あなたに会わせてほしいと懇願した。けれど、返事すらなかった。私は、生活のために他の仕事やシードマザーの仕事を続けながら、ひそかに会社の内情を探り続けた。そして、愕然としたわ。特別なプログラム、美辞麗句で飾られていたけれど、実際は、副作用のリスクが高い薬を投与し、無理やり成長を加速させ、幼い命を速成栽培するようなものだった。自然の摂理を踏みにじる行為、ただ利益のために人を物として消費する、おぞましい行いが、そこで行われていたのよ」
私は息を呑んで話を聞き入る。
「そして、市場価値がなくなった人材は、さっき見たように使い捨てのゴミのように切り捨てられると知った。でも、当時の私は、そんなこと、欠片も知らなかった。ただ、あなたの将来のためになると、盲信していた。愚かだったわ……本当に、救いようもなく愚かだった……」
サラさんの目から、一筋の涙が頬を伝った。私が、初めて見る母の涙だった。それは、私に対する拭いきれない罪悪感と、過去の愚行に対する深い後悔が滲む、悲痛な涙だった。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
私は、ただ押し黙り、母の言葉を聞いていた。もし彼女に助けられていなければ、私はどんな運命を辿っていたのだろうか。怒り、悲しみ、混乱……胸の奥で渦巻く感情の濁流に、喉が締め付けられ、声が出なかった。
「でも、皮肉なことに、不幸中の幸いか、あなたに巡り合うことができた。研究所から送られてきたあなたの髪の色は青緑色で、そんな特別な髪色の子は滅多にいない。そして今日。たまたま見学に来ていたあなたを見かけた時、奇跡だと思ったわ。本当はもう髪色は変わっているはずなんだけれど……当時の髪色そのままで……本当に、あなたに会えてよかった」
今日、生まれて初めて、この髪が私の運命を変えてくれたのだと知った。今まで密かに嫌っていた青緑色の髪に、初めてほんの少しの愛着が湧く。そんな温かい気持ちに包まれていると、ふと母は改めて真剣な表情で問いかけてきた。
「それじゃあ、スレイ、これからどうしたい? 正直に言って、未だに私は両親の借金返済に追われて、あなたと一緒に暮らせる状況じゃないの。だから……お願いがあるの。一つ、提案させてほしい」
母は近くにあった小枝を拾い上げると、地面に簡単な惑星エリシアの世界地図を描き始めた。指先は、レガリス共和国家の極東あたりを示している。
「ここに、アメリア連邦国に見捨てられた子供たちを保護する施設、『エミュエールハウス』という場所がある。そこに行ってみるのはどうかしら。私が施設に連絡を入れておくし、住所も後で送るわ」
「じゃあ、いつになったら、サラさん、いや……私はお母さんと一緒に住むことができるの?」
母は少しの間考え込み、ゆっくりと私に向き直り、優しいけれど、力強い声で言った。
「私が借金を全部返し終わったら、必ずあなたのいるエミュエールハウスへ行くから。それまで待っていてくれる?いい、スレイ?」
私は力強く頷いた。その力強い母の言葉が背中を押し、凍える心にじんわりとした温かさが広がっていく。しばらくして気分が落ち着くと、私たちは買ってきた食料を開けた。中から出てきたのは、パックに入った簡素な食べ物だった。鍋を小さくなった焚火の上に置き、お湯を沸かし始めた。お湯が沸騰するとお湯にパックを浸した。そしてその鍋を見ながら母は少し申し訳なさそうに呟いた。
「ごめんね、スレイ。あなたとの最初の食事が、こんな簡単なもので……」
そう言うと、母は紙製のお椀にご飯をよそい、別の簡素なパックを開けた。中から出てきたのは、見たことのない茶色い食べ物だった。思わず「これ、何?」と尋ねた。
「カレーライスよ」と母は微笑んだ。
そのカレーは、少し健康的とは言えないような色をしていた。もしかしたら、植物性のビタミンは足りないかもしれない。しかし、湯気に混じって漂ってくるスパイスの香りは、抗いがたいほど食欲をそそった。通常ならば完璧とは言えない食事。それでも、その香りは何故か私の心を温かく懐かしい気持ちで満たされていくようだった。
母は「さあ、どうぞ」そう言って、私に差し出してくれた。
私は初めて食べるカレーライスを、匙で一口掬って口に運んだ。初めての味なのに、どうしてだろう、暖かいものが体中いっぱいに広がり、ふいに溢れたものが体の底からせりあがり視界が滲んだ。それは、舌の上で感じる味覚だけじゃない、私の乾いた心に染み渡るような、まるで、生まれて初めて母親に抱きしめられた時のような、カタチを伴った温もりそのものだった。そんな私の様子を見てか、母は不思議そうに尋ねた。
「どうしたの? スレイ、そんなに感動しちゃって? 施設では、もっと良いもの食べさせてもらえなかったの?初めて一緒に食べる食事がこんなので、本当にごめんね。もっといいものを用意できればよかったんだけど……」
私は首を横に振った。
「……違う。施設では、栄養バランスの取れた食事がちゃんと用意されていた。でも……この食事、このカレーライスは……」
施設では、確かに栄養バランスの取れた食事がきちんと用意されていた。けれど、このカレーライスは違った。私が今まで食べたどんなものとも違う、温かく、そして胸の奥から込み上げてくるような、言葉にできない『何か』が、この味にはあった。
「そんなに気に入ったの? それじゃあ、カレーライスを私たちがまた会えた時の、特別な食事にしましょうか」
彼女がそう笑顔で提案すると、私は力強く頷いた。
私たちは夜明けまで、揺れる炎を囲んで、ゆっくりとカレーライスを味わいながら、私がどんな毎日を送り、何を感じてきたのか、母はどんな日々を過ごし、何を今まで背負ってきたのか、時間の許す限り、心ゆくまで語り合った。その時間は、永遠に続くかのように、何よりも大切な宝物として、私の胸に刻まれた。
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