第18話 光がなくても⑤
*分からなくなったらep3にある用語集を参考にお読みください
「ねえ、ここまであなたを楽しませてあげたんだから、それ相応の見返りがないと困るわ。お嬢様、何か金目の物になる物くださらない?」
——……え?
私が逃げ出してからというもの、ずっと笑顔で優しく接してくれていたのは、私から何らかのインセンティブを得るための演技だったのか? 彼女への信頼は音を立てて崩れ落ち、私の心は再び暗闇へと突き落とされた。今、私を温めているのは、先ほど胃に収めたばかりの食事だけ。しかし、その温もりさえも、今にもはかなく消え去ってしまいそうだった。確かに私は資産家の娘だけれど、彼女が期待するような金銭など、一度も手にしたことなどない。どう対応すべきか、私は頭の中で必死に言葉を探した。その時、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「あ、さっき俺の手首を噛んだガキだ。ZⅦだ!」
「間違いない。おい、お前ら、捕まえろ! インベスターの一人だぞ!」
朝、私を捕まえようとしていた、大柄な男たちが、私を目標にして走ってきた。その声を聞いた途端、今まで聞いたこともないような甲高い剣幕で、隣にいたイヴァンカさんが私に怒鳴りつけてきた。
「あなた……よくも……よくも、よくも! 私を騙してくれたわね!」
——私は騙していない。ちゃんと資産家の娘だって言ったじゃない。
心の叫びは虚しく、私は再び捕獲者たちに追い詰められようとしていた。もう駄目だ——まさにそう覚悟した、その瞬間だった。
「おい、ちょっとまて……よく見ろよ、ZⅦの隣にいるあの女。よく見るとあれに似ていないか?噂の先週から消費期限のやつじゃないか?この一週間行方が分からなくなってるっていう」
「マジだ。やつも一緒に捕まえろ!」 彼らはそう言うと、私ではなく、イヴァンカさんを先に襲い掛かろうとした。
「待って頂戴!」
彼女は悲鳴のような声を上げると、素早く私の背後に回り込んだ。次の瞬間、固い感触が体を覆う。どうやら彼女の腕が私の首に巻き付き、もう片方の腕で私の腕を掴んだのだ。私は身動きが取れなくなり、イヴァンカさんは私を盾にするようにして、男たちに向かって私の耳元で叫んだ。
「私、今、このインベスターを捕まえたわ。今持っている金と、このインベスターを換金すれば、私はアセンションシェルに入って、消費期限を十年も延ばすことができる。さあ、邪魔しないで、どいて頂戴! そうでしょ?お金さえあれば何でもなるのよね?」
——どういうこと……私がインベスター? 何、アセンションシェルって?
彼女の口から放たれる言葉の意味は理解できなかった。しかし、私とイヴァンカさんの間には、私たちを捕まえようとする男たちを挟んで、奇妙な膠着状態が生まれていた。
「クソーあのやろーインベスターを盾にしやがって……。どうすればいい?」
「どうもこうも、換金されたら何も出来ないぜ!」
「さぁ、どうします? 私をこのままの逃がすか……いっそこの子を……」
しばらく睨み合っていたが、私は彼女の言葉を聞き、イヴァンカさんの拘束を振りほどこうと必死に身を捩った。彼女の手を爪で引っ掻き、引き剥がそうと藻掻き苦しむ。そして、再び彼女の手に歯を食い込ませた。数時間前の男に噛みついた時とは異なり、今回は容易に彼女の手を解放させることができた。
「ギキャー‼」
イヴァンカさんの甲高い叫び声が響く。手から解放された私は、イヴァンカさんと、道を挟んで対峙する捕獲者たちに向かって、堰を切ったように叫んだ。
「どうして私がイベスターなのよ! 私は資産家の娘なのよ! 立派になるために、会社を発展させるために、今まで必死に努力してきたのに、一体どういうことなの!」
イヴァンカさんは、私の言葉を聞くと、くつくつと喉を鳴らして笑い出した。そして、蔑むような冷たい視線を私に向け、吐き捨てるように言った。
「ホホホホホホ、何を馬鹿なことを言っているの? 資産家の娘? あなたが人材派遣会社の会長ジャダム様の“真の”遺伝子を受け継いでいるはずないでしょ」
——ど、どういうこと……?
私は彼女の言葉に愕然とする。
「あなたはジャダム様の会社を維持し、繁栄させるためのインベスター、ただの駒なのよ! 真の息子と娘は、あなたがたが成長して稼いだ金を吸い上げて、贅沢三昧の暮らしをしているの。彼らは一生、苦労なんてせずに生きていけるのよ!」
——……‼
彼女から放たれる衝撃の真実は、私から一瞬にして力を奪い去った。全身の力が抜け落ち、膝から崩れ落ちる。今まで信じてきた幼い頃から過ごしてきた環境、与えられてきた教育、それら全てが会社の繁栄のため、駒となる人材を育成するためのものだったというのか。では、私のように、その教育に上手く適応できなかった、市場価値のない人間はどうなるのだろうか。この世界は、市場価値という名の物差しで、モノや人の価値を測っている。そう理解した瞬間、想像もしなかった結末が幾重にも脳裏をよぎり、私の体は内側から溶解していくような感覚に陥った。恐怖、悔恨、無念。様々な負の感情が濁流となって、私の内から溢れ出す。
今、私の目の前では、捕獲者たちが、どちらから捕まえようかと、獲物を前に品定めでもするように右往左往している。イヴァンカさんもまた、私を再び捕えようと手を伸ばしてくる。どちらに捕まろうとも、もはや私に未来などない。全てを投げ捨てて、今すぐ消え去ってしまいたい。そう強く願った、まさにその瞬間だった。
——!
突然、強烈な光が視界を焼き付けた。一瞬で距離を詰めた眩いライトが、水たまりの水を跳ね上げながら猛スピードで私の目の前に迫る。イヴァンカさんも、捕獲者たちも、私に気を取られていたのだろう、誰も避けることができなかった。
“ドカーーーーーーン‼”
轟音が鼓膜を劈き、私以外の人間は、まるで紙で作られた人形のように吹き飛ばされた。衝突の衝撃で、突っ込んで行った車は、体勢を戻すと私の目の前まで後退してきた。そして、助手席のドアが開き、運転席を見た私は驚愕に息を呑んだ。
——!
そこにいたのは、先ほどインベスター育成施設で、ガラス越しに顔を合わせた、ピクシーカットの女性だったのだ。
「さあ、早く乗って! 後始末はすぐに済ませるから」
有無を言わせぬ強い口調で、彼女は言い放った。私は反射的に頷き、彼女の車の助手席へと身を滑り込ませる。私が搭乗したのを確認すると女性は、車から降り、跳ね飛ばされた人たちへ躊躇なく近づき、背中に取り付けられたデバイスを、まるで熟練のプロのような手つきで取り外していく。その手際の良さは目を見張るほどで、一瞬のうちに作業は終わり、彼女は取り外したデバイスと交換するように、彼らの遺体の上に無造作に札束を置いた。そして、再び車に戻ると、今度は私の背中に装着されたデバイスの取り外しをも済ませ、エンジンを急発進させその場を後にした。
私は彼女の高速で運転する車の中で、私は目の前で起きた出来事を反芻していた。全身を襲う震えを必死に抑えようとするが、動揺は増すばかりだ。運転席の女性が助手席から手を伸ばし私の背中をそっと撫でた。その微かな温かさから、いくらか気分が落ち着いた気もしたが、それでも震えは全く収まらなかった。
私の心の中は、今も嵐が吹き荒れているかのようで、窓の外をぼんやりと眺める余裕などあるはずもなく、車内は重苦しい静寂に支配されていた。私は一体どこへ連れて行かれるのだろうか? この女性は一体何者なのだろう? 消費期限とは? アセンションシェルとは? 人に会うたびに新たな疑問や未知の言葉が押し寄せてきて、思考は飽和しており、誰に聞けば真実に辿り着けるのか、そもそも誰を信じればいいのかさえ分からなくなっていた。
隣で運転するピクシーカットの彼女を再び盗み見る。ジャケット姿の彼女は真剣な表情でハンドルを握り、前方の道を見つめている。その横顔は相変わらず無表情で、何を考えているのか読み取れなかった。しかし、あの絶望的な状況から私を救い出してくれたのは紛れもなく彼女だ。警戒心は簡単には拭えないものの、今は藁にも縋る思いで彼女を信じるしか道はない。移動中、私はとにかく目の前の道しか見なかった。
しばらく施設の敷地内を走り続けていたが、やがて厳重な警備の門が見えてきた。彼女は着ていたジャケットを脱ぎタンクトップ姿になると、私の上にそっとジャケットを被せて言った。
「少し、隠れていて!」
私は彼女の言葉に従い、自分の存在を最大限にまで希薄にしようと身を縮こまらせた。彼女は警備員と短いやり取りを交わしているようだったが、間もなくゲートは開き、車は再び走り出した。ゲートを通過してからも、私は不安に駆られ、しばらく身を屈めたままだったが、やがて背後から「もう隠れなくてもいいわ」と彼女の声が聞こえてきた。
私は慎重に顔を上げ、あたりを見回した。そして、ゆっくりと呼吸を繰り返すと、少しずつ冷静さを取り戻していくのを感じた。気持ちはいくらか落ち着いてきたものの、未だにこの状況を正しく理解できているとは言い難かった。
「あの……」
張り詰めた静寂を破るように、私は声を絞り出した。しかし彼女は反応しない。
「あの、あなたは……一体?」
もう一度絞り込むと運転していた彼女は、初めて私の方に視線を向けた。しかし、すぐに前へと視線を戻し、落ち着いた声で答えた。
「今はまだ、私の名前を知る必要はないわ。ただ、私はあなたを助けるために来た。今は、それで十分でしょう」
「助ける……? どうして、私を?」
私の疑問に彼女は黙ってしまった。なので私はしばらく間をおいてから問い掛ける。
「私はこれから……どこへ?」
私の執着に近い問いかけに、彼女は初めて口元を皮肉に歪ませた。しかし、その微笑は悲しげな色を帯びていて、すぐに消え失せた。
「それは……これから、あなたが知ることになるわ。一緒に来てもらうわよ」
彼女はそう言うと、再び重い沈黙に包まれた。私はそれ以上何も聞けなかった、しばらくしてようやく窓の外の景色をまともに眺める心の余裕を取り戻してきた。空は夕焼けに染まり始めており、遥か東の地平線には、今まさに沈もうとしているルミナの最後の輝きが見えた。そして、手前の目に焦点を合わせると、夕日に照らされた高層ビルが、整然と林立していた。
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