八
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「はぁ...研究って楽しいですね」
実験棟の大型水槽から、るりが顔を出す。
"波多江お姉さま、新しい実験データの解析が"
その時、実験棟の扉が開き、数人の作業員が巨大な水槽を運び込んでくる。全体をブルーシートで覆われたその水槽は、明らかに特殊な装置を内蔵していた。
「あれは」榊原が眉をひそめる。
波多江は、まるで宝物を見つけた子供のように目を輝かせていた。
作業員たちが慎重にブルーシートを外していく。そこには...
「ダイオウイカ!?」榊原の声が上がる。「水産研究所のために手放したのでは?」
「波多江博士の希望でね」
佐伯参事官が、静かに実験棟に入ってきていた。
「博士じゃありません!」
波多江の反応は早かったが、すでに彼女の関心は完全にダイオウイカに向いていた。
「でも、なぜ」榊原が問いかける。「あれだけの騒動の後」
「実は」佐伯がゆっくりと説明を始める。「水産研究所との共同研究という形で」
「共同研究?」
「はい。波多江研究員の理論が、深海生物の行動解析に革新的な示唆を」
その時、るりの声が響く。
"素晴らしいです!このダイオウイカの神経伝達パターンが、私のシステムに似ています"
波多江が水槽に駆け寄る。
「そうなんです!深海での知的活動と圧力応答の相関が、るりの制御システムの基礎になっていて」
「待て」榊原が制止する。「また勝手に」
「大丈夫です!」波多江は目を輝かせたまま説明を続ける。「今度は正式な手続きを。それに、るりの新しい機能の開発に絶対必要なんです」
水槽の中のダイオウイカが、まるで波多江の言葉に反応するように触腕を動かす。
「新しい機能?」霜島が資料に目を落とす。
"はい"るりが答える。"私の深海適応能力を、さらに向上させるために"
「そうです!」波多江が嬉しそうに付け加える。「ダイオウイカの神経系と筋繊維構造を参考に、るりの制御システムを」
「波多江君」榊原は額に手を当てる。「順序立てて説明を」
「えっと」彼女は少し考え込む。「まず、この触腕の動きの解析から始めて」
水槽の中で、ダイオウイカが優雅に泳ぎ始める。その動きは、確かに人工知能るりの動作と、どこか共通していた。
"波多江お姉さま"るりの声が期待に満ちている。"私も、あんな風に美しく泳げるようになるんですね"
「ええ!」波多江は満面の笑みを浮かべる。「それに、この研究で42.3%の効率向上が」
「また42.3か」榊原は思わず微笑む。
佐伯は、そんな実験棟の様子を静かに見守っていた。
「彼女の直感は」佐伯が小声で言う。「時として、驚くべき真実を導き出す」
水槽の中で、ダイオウイカとるりが、まるで挨拶を交わすように向き合う。
それは、人工知能と深海生物という、異なる存在の不思議な対話のように見えた。




