七
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「深度2,000メートル。船体異常なし」
潜水艦「みらい」の艦橋で、風間艦長が静かに状況を確認する。
最新鋭のリチウムイオン推進システムを搭載した「みらい」は、海上自衛隊が誇る次世代型潜水艦だった。全長84メートル、最大潜航深度6,000メートル。従来の潜水艦では到達不可能だった深海域での長期活動を可能にする、革新的な実験艦である。
艦橋の特殊強化ガラス窓から、漆黒の姿が見える。
"みらい艦長"るりの声が、艦内に響く。"予定深度まで、あと500メートル"
その泳ぎは、まるで本物の深海生物のようだった。
「了解、るり」風間が応答する。「船体周辺の圧力データは」
"すでに計測済みです。波多江お姉さまの理論通り、渦流の発生が"
「お姉さま、か」風間は小さく微笑む。
新型複合センサーが、周辺の海域データを次々と表示していく。「みらい」の性能は、従来の潜水艦とは次元が違った。
特に、耐圧船殻に使用された新素材は、波多江の研究から生まれた技術の応用だった。シンスイウオの特殊な鱗の構造を模倣し、圧力を効率的に分散させる。
「深度2,300メートル」
「船体各部、正常値を維持」
「周辺音響、クリア」
整然とした報告が続く中、艦橋の窓外でるりが優雅な旋回を行う。
"風間艦長"るりの声が再び響く。"目標の反応を捉えました"
「位置は?」
"深度2,800メートル付近。予想通りの群れの大きさです"
風間は表示されたデータを確認する。今回の任務の真の目的。アジの群れの行動調査と捕獲。
一見、単純な任務に思える。しかし、この深度でのアジの群れは極めて特異な存在だった。
"風間艦長"るりの声が、少し興奮を帯びる。"波多江お姉さまの仮説通りです。この群れ、通常とは異なる遊泳パターンを"
「了解した」風間が静かに命じる。「作戦開始」
るりの漆黒の体が、深海の闇に溶け込むように姿を変える。その動きは、まさにシンスイウオそのものだった。
「アジの群れか」風間は思索に耽る。「なぜ、この深度で」
"私にも分かります"るりの声が応える。"この群れには、何か特別な」
その時、ソナーが新たな反応を示す。
「これは」航海長が声を上げる。
群れの中心から、異常な音波が検出された。
"風間艦長!"るりの声が緊張を帯びる。"群れの中に、予期せぬ生体反応が"
「るり、距離を取れ」
しかし、るりの反応はなかった。
"すみません、風間艦長"その声は、まるで波多江のように好奇心に満ちていた。"でも、これは見逃せない発見になるかもしれません"
風間は、思わず苦笑する。人工知能とはいえ、確かに波多江の妹だった。
「みらい」の艦橋で、誰もが息を潜める。
漆黒の深海で、未知の発見への期待と緊張が交錯していた。




