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十二

十二


「波多江研究員。それは、何ですか」


佐伯参事官は、実験棟の入り口で足を止めた。波多江の作業台の上には、奇妙な形をした装置が並んでいる。


「イルカの声帯を再現する実験装置です!」


「イルカの...」


「はい!」波多江は嬉しそうに説明を始める。「るりに、イルカの歌を歌わせるための」


実験水槽からるりの困惑した声が響く。


"波多江お姉さま...私に歌を?"


「ええ!深海での音波コミュニケーションの研究として」


榊原が深いため息をつく。


「波多江君。先週はダイオウイカのダンス、今週はイルカの歌か」


「違います!」波多江は真剣な表情で反論する。「これは立派な研究です。深海生物の発声メカニズムを解明することで」


「具体的には?」霜島が資料から目を上げる。


「まず」波多江は装置を手に取る。「イルカの声帯構造を完全に再現し、その振動パターンを分析。そして、るりの発声システムに」


"波多江お姉さま"るりの声が少し震えている。"私は、歌が上手くないかもしれません"


「大丈夫!」波多江が水槽に近づく。「この装置で、42.3キロヘルツまでの音域を」


「待て」榊原が制止する。「その数字には、何か科学的根拠が」


「もちろんです!」波多江の目が輝く。「シンスイウオの発声周波数の研究から」


実験棟が静まり返る。


「シンスイウオが...歌を?」佐伯が困惑した表情を見せる。


「そうです!深海で観測された音波パターンが、まるで歌のように」


彼女は次々と図表を取り出す。


「これが音波の波形で、この周期性が歌の構造を示していて」


"面白そうです"るりの声が明るくなる。"私も、深海で歌えるようになるんですね"


「ええ!」波多江が嬉しそうに頷く。「それに、この装置を使えば」


その時、実験装置から奇妙な音が響いた。


「あ」波多江が慌てて調整を始める。「周波数が少しずれて」


甲高い音が実験棟に響き渡る。


「波多江君!」

「波多江さん!」

「波多江研究員!」


三つの制止の声が重なる中、装置はついに止まった。


「えっと」波多江は少し照れた様子で言う。「微調整が必要かもしれません」


"波多江お姉さま"るりの声には、確かな愛情が混じっていた。"私、頑張って練習します"


「そうよ!」波多江の声が弾む。「深海のディーバを目指して」


「ディーバ?」榊原は思わず目を閉じる。


実験棟に、波多江の夢と、るりの優しい笑い声が響いていた。佐伯は、この奇妙な姉妹の研究風景を、微笑ましく見守っている。


結局、その日の報告書には「深海音響通信の生体模倣研究」という厳めしいタイトルが付けられた。波多江とるりの「ディーバ計画」は、正式記録からそっと除外されることになった。

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