9 親しみ深く
敬語を取り払ったイブニール公爵は、急激に親しみやすさが増した。
声からは硬さがなくなってまろやかだし、胸に手を当ててほっと息をついている姿は自然体だからこそ出たものに見えた。
「想像と違って幻滅したかな?」
とんでもない、とわたしは首を横に振る。
「雰囲気が変わって驚きはしましたが、イブニール公爵の優しい性格がそのまま表れているようで親しみが持てます」
思っていたことをそのまま言葉にする。
イブニール公爵は口をぽかんと開けた。どういう心情かはわからない。
数秒ののち、口は元通りに閉じられる。
「僕のことはレオンハルトと」
「あ……はい。えっと……レオンハルト……様」
「それからあなたも敬語はなしで」
「はい。じゃなくて……うん」
本当にこれでいいの?という気持ちが顔に出て、眉が寄る。
「なんだかすごく失礼なことをしている気分だわ……」
「そんなことはないよ。嬉しい。これからはリリーと呼んでもいいかな?」
「構いま……うん、大丈夫」
わたしはこくりと頷く。レオンハルト様はくすりと笑いをこぼした。
「ありがとう。リリー、よろしくね」
こころなし弾んだ声とともに、胸の前で重ねたままとなっていた左手が持ち上げられた。
なんだろう、と首をかしげる間もなく、レオンハルト様の顔が寄せられ唇がふわりと掠る。
「しばらくしたらルーベンをよこすから、それまで部屋でゆっくりしていて」
レオンハルト様がわたしの左手をゆっくりと降ろしながら語り掛ける。しかしながらわたしは予想外のことに息をのみ固まっていた。
レオンハルト様はそれに気づかなかったご様子で「それではまた夕食の時に会おう」と言い残して、来た道を戻っていった。
レオンハルト様が去ったあと、呼吸を取り戻したと同時にじわじわと熱が上がってくる。
「びっくりした……」
手の甲に口を寄せるだなんて、恋愛小説の中でしか見たことがない。
もちろん世の恋人たちの中には真似をしている人もいるだろうけれど。
(恋愛小説よりも触れている時間は短かったけれど……)
それでもわたしには充分刺激的で、熱が冷めるまでもう少しだけ時間がかかった。