6 愛する人は
わたしはずきりと痛む胸を、そっと押さえた。
愛しているという言葉が真実ならどれほど嬉しいだろう。
イブニール公爵の顔はいまも思い出せないけれど、わたしは間違いなく彼を愛している。
呪いのせいか初見で抱いたお顔の印象は曖昧だけれど、それでもこの想いに間違いはないと断言できる。
わたしはイブニール公爵が領地を訪ねてくださるたび、徐々に好意を抱くようになっていったのだ。
仕事に取り組む真剣な横顔に惹かれ、優しさに胸が高鳴り、イブニール公爵への想いは減ることなく増していくばかりだったことをしっかりと覚えている。
『ここの葡萄は本当に素晴らしいですね。心を込めて育てているのがよく分かります』
その言葉が嬉しかった。
『今日はいつにもまして暑いので、気をつけて作業してくださいね』
その心遣いが嬉しかった。
小さな出来事が積み重なって、いつしかわたしは公爵様に恋をした。
遠くから見ているだけのことが多いけれど、たまに目が合って微笑まれるとその度に心臓が大きく跳ねた。
とはいえ、男爵令嬢が恋をするには遠すぎる存在。だからその恋を成就させるつもりは微塵もなかった。
今回の婚約の件だって、なにかの間違いか、そうでなければのっぴきならない事情があってのことだろうと察していた。
たとえ尋ねて行った先で婚約が白紙になったとしても一時の夢だと思おう、何があっても涼しい顔で受け入れよう、そういうつもりでやってきた。
運が良ければ婚約者のふり、ひいては白い結婚なんて可能性もあるかもしれない、なんて夢もちょっとは見ていたけれど。
だからといって心にもない愛を語られるのはつらい。
嘘で愛の言葉を囁かれるより、友愛で構わないから本音で心を通い合わせたい。
「それは、本心ですか……?」
わたしはつらい気持ちを押し込めながら、涙目になりかけのわずかに潤んだ瞳でイブニール公爵を見る。
イブニール公爵はわたしの様子に戸惑いを感じてか、肩をぴくりと揺らした。
「もちろんです。もしあなたがわたしを愛せなくても、決して咎めたりはいたしません」
そうじゃない。わたしが聞きたいのは別のこと。
「イブニール公爵は……あなた様は本当に、私のことを愛していらっしゃるんですか……?」
まっすぐ見据えたまま、疑問をぶつける。それを受け止めたイブニール公爵の喉がごくりと動く。
「私はマクベル嬢を心から愛しています……」
銀の素材に唯一覆われていない口元。そこからかすれ声で返ってきたその言葉を、わたしは信じてもいいのだろうか。
そっと目を閉じ、ひとつ深呼吸をしてからゆっくりとまぶたをあげる。
(もともと諦めようと思ってた恋だもの。もしかしたら傷つく結果になるかもしれないけれど、いま逃げ出したら必ず後悔するはず)
「その言葉、信じます」
自分への宣言も兼ねてはっきりと発言する。そして「これから婚約者としてよろしくお願いいたします」と、緊張から開放された自然な笑顔でお伝えした。
もしかしたらちょっと気の抜けたようになってしまったかもしれない。