2 予期せぬ幸
その報せは突然やってきた。
「婚約ですか……?」
なぜそうなったかは分からないのだけれど、私に婚約の申し込みがあったらしい。しかもそれは病に倒れたはずのイブニール公爵から。
「誰かの悪戯では?」
そうでなくてはしがない男爵家に婚約の打診なんて届くはずがない。けれど父は、汗を拭いながらそうじゃないんだと首を横に振る。
「封蝋の印は確かにイブニール公爵家のものだし、なによりこの手紙は公爵のご学友でもあるレイノルド様から直接いただいたものだ。間違いではないし悪戯でもない。宛名も正しい」
「そのようですね……」
封蝋は間違いないし、宛名もリリー・マクベル男爵令嬢殿とわたしの名が正しく記されている。
そしてレイノルド様といえばイブニール公爵が最も心を置き右腕とも言えるお方。視察の際には従者としていつも付き添ってきていたので、わたしもよく存じている。
グレーアッシュの髪色に、緑色に煌めく切れ長の目。
三男坊のため爵位を次ぐことはないものの、元が伯爵の出で見栄えもよく、さらにイブニール公爵の元で経営術を学んでいるとあって、婿養子としての需要は高かったはずだ。
イブニール公爵の顔が少しも思い出せないのに、レイノルド様のお顔がはっきりと思い出せてしまったことに僅かな不快感を感じて眉根が寄る。
「嫌なら断ろうか?」
わたしの表情を見て勘違いをした父が、心配そうな表情でこちらを窺っていた。
「いえ。イブニール公爵との葡萄取引がこの領地での収入の半分以上を支えていることはわかっています。その手紙がどういう理由で届いたのであれ、断ることはいたしません」
それに、とわたしは付け加える。
「公爵様のことは好きですから」
父を安心させるために言ったことだが、存分に効果があった。父はほっとしたようでやんわりと笑みを浮かべた。
「お前は昔からイブニール公爵に懐いていたからね」
貴族のほとんどは政略結婚。嫌いな相手であれば不幸なことだが、そこに親愛があるのならそれはもう幸福なものだと言うのが貴族界での常識だった。
(懐いているどころか、愛しているんですけどね)
でも、今は内緒にしておこうと思う。愛していると正直な気持ちを伝えれば、父は神の奇跡だ巡り合わせだと大喜びする。イブニール公爵の体調や手紙の思惑に関してなにも分かっていない状態で、ぬか喜びさせたくはない。
(頬、赤くなってないわよね?)
父の手前冷静を装ってはいるし、見初めてもらえたなんて身の程知らずな勘違いはしない。
けれど、意中の相手から届いた婚約打診で人並みに浮かれていたし、頬の色を気にする程度には気持ちが高揚していた。