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書評集 蔦を這わせる  作者: みかげ石
1/3

書評4-1 彩瀬まる 『やがて海へと届く』

 シリーズ形式で書評を載せておけばそれほど目立たず、体裁としても読みやすいのかなと思っていたのですが、実際やってみると小説でもないものがこの先自分の作品欄を埋め尽くしていくのもどうなのかなと気がつき、結局は連載ものの体を取ることにしました。

 こうして他人の創作に触れた文章を私の作品であるかのように扱うことには正直抵抗もありますが、それでも読み手だからできるアプローチが世界の片隅に置かれてあってもいいのかなという思いも片方にはあります。


 私がこの作家の存在を知ったのは割と最近のことで、その出会いは意識的に小説から遠ざかる生活を十数年も選んできたことを強く実感させられるものとなりました。

 最初に読んだのは『骨を彩る』という連作短編集で、あちらの方が彼女の純粋な技量であったり、本来作品との間で保っている距離感を窺わせるものがあって、仕事としての完成度は高いように思うのですが、なんて言うんでしょう、『やがて海へと届く』には読んでいてこう、「私は今、何を投げかけられてしまったのか」と感じずにはいられないものがあって、私はまだ言葉にならないものを抱えたまま、すでに半月ほどが過ぎています。こちらを取り上げたのはもう、それが理由だということにしておきます。ほんとうに、リハビリがてらに読むような小説ではありませんでした。これは褒めてもいますが、私の率直な愚痴でもあります。


 何かを読んでいてここまで言葉が浮かばない小説に出会うのはあまり記憶にないことですし、何を書いたところで私はきっと納得しないのでしょうが、それでもやってみる価値はあると思っています。ひと足先に何かを理解してみせることで誰かを作品へと誘うのが真っ当なレビューだとしたら、何かに躓き、派手に転んでみせることだって、物語の大きさや豊かさを伝えるにはかえって必要な振る舞いだとも言えるでしょうから。「先達はあらまほしきものなり」と、昔の人もそう言っています。



彩瀬まる著 『やがて海へと届く』(講談社文庫 233頁)

おすすめ度 ☆4.5(10段階の9)


あらすじ

 一人旅の途中ですみれが消息を絶ったあの震災から三年。今もなお親友の不在を受け入れられない真奈は、すみれのかつての恋人、遠野敦が切り出す「形見分けをしたい」という申し出に反感を覚える。親友を亡き人として扱う彼を許せず、どれだけ時が経っても自分だけは彼女と繋がっていたいと悼み続けるが――。

(特に過不足のない文章でしたので、講談社文庫の背表紙からそのまま引用しています) 


レビュー1(未読の方へ)

 この小説には通し番号が振られていて、奇数章で語られる現実世界の「私」と、偶数章で語られるどこか現実ではない世界の「私」が交互に描かれる構成になっています。あらすじに書かれているのは奇数章の「私」、つまりは真奈の実生活を描いたものなのですが、この偶数章で描かれる世界をどう受け止めたらよいのか。これがひとつの躓きの石になるような気がします。

 そこでは何か私たちにまるで了解のない世界が、この作家らしい色彩豊かで一つひとつに手触りの感じられる感覚的な筆致で紡がれていくのですが、「私」の感触だけが唯一頼りとなるおぼつかない世界なだけに、そこで描かれる世界のディテールはひどく不気味で生々しく、与えるべき人間に筆が与えられてしまうとこういうことになるのかと、半ば戦慄してしまうほどの出来です。

 そして正直なところ、私はこの了解のなさと描写の生々しさから「早く奇数章に飛ばないものか」と、次の章のページへと指を差し入れていたくらいで、つまりは実際、一度目の読了の際には私は現に躓いていたのです。

 その間私は「感じたままに受け取ればよい」と何度も自分に言い聞かせていましたし、そうすることで結末に触れる頃には、同僚の背中のすぐ隣で涙を浮かべてページを繰っていたのですが、それでも心の片隅で感じていたことを意識せずにはいられませんでした。彼女のファンからは浅はかだと詰られそうですが、それはおよそこういうものです。「この小説は、奇数章だけで十分説得的に、そして感動的に閉じられることができたのではないか」と。

(この考えがある意味では有意義だったのが、それを確かめようともう一度私にこの本を開かせたことです。余程暇に飽かしたとしても、同じ本を読み返すことなど私はめったにしませんから、私は浅はかだからこそ、二周目に自分が浅はかだったと気がつくことになったという訳です)


 この作品は震災を扱ったもので、私としてはこういうセンシティブな題材を扱った表現に触れるときは作者の思いや境遇をあまり目にしないようにしています。こちらが靴を脱いで立ち入ることができるのは、大きなものの前に何かを背負わざるを得なかった彼女が、心の内で向き合い続けた作品に対してだけで、それ以外の何かで予め心を傾けてしまいたくないからですが、それでも私は彼女が描かざるを得なかった世界の深さにほとんど怯んでしまっていたように思います。

 だからといって、何か難しいことが書かれている訳ではないのです。こちらの理解を超えたような、何か深遠な世界が語られているのでもありません。描かれているのはむしろ、私たちが嫌というほど目を向けることを強いられてきた夢の手触りであったり、記憶が持つ最も原初的な刺激と呼べるものです。有り体に言えば、「整然とした記憶」というのが要件として備えているはずのもの――いつ、どこで、誰が、どんなふうにと続けられる、あの5W1Hのようなもの――、こうしたものをすべて忘れ去ったとしても、なお「私」に残される生の体験、あるいは刺激の痕跡というべきものを、彼女は丹念に描き出していきます。それはたとえば、こういう表現に見出せるでしょう。


「あの男は恋人だったのか、父親だったのか、それとも息子だったのか。よく思い出せない。ただ、舌を濡らした強烈なうまみと、それを贈られた喜びばかりが鮮明だ」


 これは偶数章で、小料理屋を営む妻のある男から、鯵のなめろうを載せた指を口の中へと差し入れられるシーンに続く言葉ですが、「私」はこうした前後の文脈なり、説明的な理解というものにまるで関心を持っていません。これは端的に、この「私」の物語が物語としての脈絡なり、現実的な理解というものを本質的に求めていないことを示しています。ですから、「私」がただ、自らが受けた刺激や感情の溢れ出るままに姿かたちを変えながら、あの不分明な世界をどこまでも歩いていくとき、私たちはこの手の理解の仕方を、一度手放さなければならないでしょう。

 

 こういう作品を読むと、生きることは本来的に傷を負うことなのだと腑に落ちるような思いがします。嬉しい、悲しいという感情も、始まりは私に訪れた刺激によってもたらされたそれぞれの傷の痕なのだろうと。

 この作家は人の心の奥底に沈殿した澱のような世界にまで降り立つことで、自らに呼び起こされた記憶や感情を、その起源において出会い直し、自らを語り直そうとしているように思います。そうでもしないと伝えようのない、自らの心の底に重くのしかかっているものを、どうにかして描き出そうともがいている。そのように感じずにはいられません。

 おそらくこの世界は、彼女の普段の営みによって生まれる世界からは遠く、そして深いものなのでしょう。奇数章と偶数章において私たちに流れる時間がまるで異なっているように、彼女においてもかけた歳月の異なる静かな熱量がそこには注がれ続けたのでしょう。それがどこまで成功しているのかは別にしても、彼女が描き切った世界はそういうものだという感覚が私にはあります。


 性差でものを語るような時代でもないでしょうが、私には常々思うことがあります。女性というのはおそらく、私よりも深く息を吐くことに慣れているのではないか、と。出産のことを頭に置いている訳ではありません。同じ感慨を口にする場合でも、彼女たちの言葉は語り出しにおいても滑らかで、語尾も豊かでバリエーションが多い。ただ、そういうようなことからです。

 こういう文脈から女性の文学を評価する向きには積極的な時代ではないでしょうし、私も同じ考えのつもりではいますが、それでも女性というのは、「本当に同じ世界を生きているのか」と思えるほどに深遠なものを、豊かな情緒とともに吐き出すことができるような気がしています。そうした実感や感動もまた、旧態依然の古臭いものだと言われたらそれまでかもしれませんが(私にはそうした見識の現在地がよく分からないのです)、少なくともこういう文脈を抜きにしても、この作品の特異さや偉大さを、少しでも多くの人に知ってもらいたいというのは確かです。


 大げさなことを書いて未読の方に変に身構えさせてしまったかもしれませんが、偶数章と奇数章、それぞれの物語は互いに独立し、どちらかがどちらかに直接作用するというものでもありませんし、それぞれの物語をどういうふうに結び付けて捉えるかも、そもそも読者に委ねられた自由というものです。そして、どのような読み方をしたとしても、それぞれの結末はきっと読む人の心を深く揺さぶることでしょう。人生でこういう作品に出会えたことは、ほんとうに幸運なことだと私は感じています。


 評点としては、やはりこの偶数章の受け止め方でしょう。彼女の真摯さに打たれたとはいえ、私はこれをただの労作として済ませるつもりはありません。彼女はほんとうに何かとんでもないことを成し遂げてしまったようにも感じていますが、読むことにこれだけ負荷のかかるものを――その負荷が誰かの痛みに寄り添うことで起きるものではないことは書いておきますが――、手放しで評価できるのかという思いもどこかにはあります。

 私は情にもろい割にはこういうドライなところがあって、昔から近しい人を困らせてきたのですが、この点だけは今も心に残ることから評点は9としておきます。それでも、この作品を読んだ方はきっと、「こんなんもう満点でええやろ、みかげ石」と義憤を覚えるくらいの素晴らしい作品だということは念を押しておきますし、実際この小説は、誰かの死を扱ったものではなく、生きることへと向かう強い輝きを放つものだということが必ず伝わるものと思います。

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