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シャサーラと夜姫

作者: ゴリラ

 宮田紗羅は、真面目な、おとなしい少女だった。長い髪を三つ編みに結い、いつも、気難しげにキュッと口を引き締めている。しかしその一方で、紗羅はひどく男の子に憧れていた。男の子として、木に登り、飛び降りられたらいいのに。そして、足を骨折などしたら、さぞ楽しいだろうに。彼女の中には、いつもそのようなトチ狂った考えが潜んでいる。


 紗羅のその想いは強かった。なので、ある場所に引き寄せられたのだ。



『スーパーヒーロー募集! 年齢・経験、共に不問。制服貸し出します。一緒に街を守りませんか?』



 そのポスターを見つけた時、紗羅はどこかに吸い込まれるような思いがした。誰かに、髪の毛一本だけをターゲットに絞られて、引っ張られるような感覚。導かれるまま、紗羅は、どこともわからない場所まで歩いていく。


 そこには、あくまで地味な建物があった。ところどころ欠けた赤レンガが積み上げられた、縦長の直方体の建物。どこか埃っぽい匂いや、砂のサラサラ言う音が聞こえていた。


 紗羅がドアを開けるのをためらう必要はなかった。焦茶色の重厚なドアは、チリンチリンという軽やかな音を立てて、ひとりでに開いた。


 建物の中は、どこかごちゃごちゃとしていた。物が絶妙なバランスで積み上げられ、今にも、ぐらぐらゆらゆら、倒れそうに見える。床には、一センチメートルもあるのではないかと疑うほどの、埃の層ができていた。


 紗羅がおっかなびっくり、埃でぬめついている床に一歩踏み出すと、建物の奥から、陽気な鼻歌が聞こえてきた。紗羅にはそれが、男の人のもののような気がした。



「……あの、誰かいるんですか」

「ふん、ふん、ふ〜ん」



 鼻歌は止まらない。むしろ、さらに陽気になっていくようだった。紗羅は不安そうにため息をついて、建物の奥に進んだ。奥に行くにつれて、物はますます増え、何層もの埃が、紗羅の足に踏まれた。紗羅は危うく、物にぶつかり倒すところだったが、積み上げた人は、独特のバランスセンスを持っていたのか、危なっかしげに、ぐらっぐらっと揺れはしたものの、崩れることはなかった。少し感心してから、紗羅はさらに進んだ。


 紗羅がその机の前に来た頃には、もう鼻歌は止まっていた。まるで教卓のような机の向こうには、一人の男が潜んでいた。しかし、光の加減か、紗羅には、その男の顔はよく見えなかった。ただ、まるで探偵のようなトレンチコートを着込み、ピアノを弾く時の軽やかな指の動作で、机を叩いている様子は見て取れた。紗羅は、少し息をついて、その男に声をかけた。



「あの、こんにちは」



 男は、黙っていた。黙って、彼にしか聞こえない演奏を楽しんでいた。



「あの……?」



 男は、演奏を終えて拍手喝采を受け、ご丁寧にもエアーブーケを受け取った後、やっと紗羅に言った。



「私を見た時、最初に何を思ったかね?」



 その声は、低く穏やかなテノールだった。紗羅は、何かに突き動かされるような思いで、素早く答えた。



「『顔の見えない人』」

「ふうむ、なら、きみは、私のことをそう呼ぶといい」



 〈顔の見えない人〉は、陽気に口笛を吹いてから——彼がやることはいつも、どこか陽気なのだ——、紗羅を手招きした。



「もう少しこっちに寄ってごらん。もちろん、ヒーローになりたいのなら、だが」



 紗羅は少し困った。彼女は、ヒーローになるつもりはなかった。


 自分が、遊園地のヒーローショーで、敵ではなく味方の頭をバシーンと叩く場面を思い浮かべながら、紗羅は首を横に振った。



「ヒーローショーなんて、私には無理です。私は、その——」



 すると〈顔の見えない人〉は、(もちろん陽気に)くっくっと笑った。



「ヒーローショーだって? それなら私も遠慮したいところだ。チビどもの世話は苦手なのでね。——もちろん、ショーのことではない。さあ、こっちに来てごらん」



 紗羅は、警戒しながらも、一歩後ろに引いていた足を、〈顔の見えない人〉に近づけた。彼は、その様子に満足したように、ふふんと鼻息を漏らした。



「きみの名前は?」

「紗羅って言います」

「サラか。いい名前だ。きみはスーパーヒーローになりたいかい?」

「いえ、別に……」

「『いえ、別に』、か!」〈顔の見えない人〉は、また、くっくっと笑った。「しかし、きみはヒーローにならなくてはなるまいよ。ここに足を踏み入れたのだからね。さあ、この中から好きなものを選びなさい」



 箱を受け取りながら、紗羅は、相手のペースに巻き込まれているような感覚を受けた。しかし、もともと受け身の彼女は、少し気乗りしない様子だが、とりあえず、厳重そうに鍵がかけられている箱を開けた。箱の中には、たくさんのカードがあった。


 紗羅は、顔を上げて〈顔の見えない人〉を見た。



「この中から、一枚選ぶんですか。そうしたら、私は絶対にスーパーヒーローにならなくちゃいけないんですか」



 〈顔の見えない人〉は、フードを揺らした。頷いたのだろう、と紗羅は思った。紗羅が少し暗い顔をしているのを見ながら、彼は不思議そうな声を出した。



「どうしてそんな顔をするのか、私にはわからないな。きみは、ヒーローになりたいから、この建物に入れたんだ。きみは、ヒーローになりたがっている。もしくは、別人になりたがっている」



 別人に?


 紗羅は、サッと箱の中を見て、もう一度、顔を上げた。



「どういうことですか? ヒーローになるということは、別人になれるということなの?」



 〈顔の見えない人〉は、辛抱強く、紗羅に答えた。



「ほとんどそうだ。もちろん、別人になりたくないのなら、ならなくとも良い。しかし大体は、ならざるを得ないがね。きみは別人になりたいのだろう?」


 紗羅は、興奮した顔で頷いた。「そうなんです、私——」



 今度こそ、〈顔の見えない人〉は、面倒そうな声になった。



「きみの話なんてどうでもいいがね。私に必要なのは、スーパーヒーローだ。さあ、その中から、自分に合ったカードを選びなさい」

「でも、そんなのわかりません。それぞれがどういうものなのか、教えてください」

「そんなことはしなくてもいい。きみは感覚でわかる。自分の直感を信じるんだ」



 紗羅は、それなら、と思い、もう一度カードの山を見つめた。実は、最初から、これではないかというカードがあった。そのカードには、弓を構え、羽根を差した帽子を被っている、男の姿があった。紗羅は少しもためらう様子を見せずに、そのカードを手に取った。



「私のカードは、これです」



 すると、そのカードから、実際にその人が飛び出してきた。自由人のような明るい顔立ちに、いたずらっぽい笑顔。紗羅が手に取ったので、カードの男は、いくらか少年らしい風貌になってはいたが、それでも紗羅を惹きつけた。弓を持った少年は、そのまま流れ星のような速さで、紗羅の頭の中のカチューシャに飛び込んだ。


 もともと赤いリボンだったカチューシャは、今では木製のものに変わっていた。矢をモチーフにした飾りがつけてある。紗羅はその一連の出来事に、思わずポカーンとしてしまった。



「……い、今のはなんなの?」



 〈顔の見えない人〉は、至極丁寧に教えてくれた。



「きみはスーパーヒーローになったんだ。しかし、決して正体を明かしてはならない。……敵に出会ったらこう言いなさい。『ハンター・ショー・アップ、変身』とね。全てが片付いたら、『ハンター・ゴー・アウェイ』と言うんだ」

「敵って誰なの?」

「もちろん、悪い者たちだ」



 それじゃ伝わらない、煙に巻かないでくれと、紗羅が言う前に、その建物は消え失せてしまっていた。紗羅はいつの間にか、空き地にポツンと、一人で立っていた。


 しかし紗羅は、そのことを夢のせいにできなかった。なぜなら、彼女のカチューシャは木製に変わっていて、矢の飾りがついていたからだった。……



 * * * 


 

 しかし、スーパーヒーローになる権利を得たからと言って、紗羅は急には変われなかった。真面目でおとなしい。その本質は変わりにくい。


 事実、紗羅はとあることが、どうしてもできなかった。



「はぁー……」



 紗羅がため息をつくと、その友人の大島おおしま美里(みさと)は、サッと眉を上げた。



「あんた、まさか、まだ内藤と話せてないとでも言うんじゃないでしょうね」

「そのまさかと言ったら?」

「心底呆れる!」



 美里は、きれいに整ったポニーテールを振り回して、紗羅の肘を指で突いた。



「マジで意味わかんない。もう高校生でしょ。男子ってだけで話せないわけ?」

「そんなことないよ! でも、ほら、内藤くんは……」

「『何かが違う気がするの……』」両手を組み、いかにも夢見る乙女風に言い切った美里は、軽蔑しきったように紗羅を見やった。「でもさ、それって委員会の仕事なんでしょ? やらないのはおかしいし、それに、話してあげないのは、内藤がかわいそう。あいつ何もできないじゃん」

「それはそうだけど」



 紗羅が目を伏せるので、美里はこれ以上言うのは諦めて、話題を変えた。



「そういえば、カチューシャ変えたね。どこで買ったの?」

「えっ、あの、えっと」



 紗羅は途端に挙動不審になった。美里はもう一度話題を戻さずにはいられなかった。



「委員会の仕事っつっても、プリント渡すだけでしょ。それならわたしがやってあげてもいいけど」



 紗羅は、パッと顔を輝かせた。そして、美里にガバッと抱きつく。



「やった! みさとん、大好き。ほんとに、ありがと!」

「はいはい。で、そのプリントってどこなの」

「ちょっと待って。プリントファイルの中に……」



 紗羅がリュックの中を漁っていると、机の上に、淡いピンクのプリントファイルが、無造作に置かれた。次いで、黒澤くろさわ明里(あかり)の高飛車な声が響く。



「はい、宮田さん。これ、落ちてたわよ」



 その鼻にかかるような声に、美里はグッと顔をしかめた。そして、紗羅に耳打ちをする。



「ほら紗羅、女王様が来たよ」

「美里、そんな言い方だめでしょ」



 美里は、フンと言いたげだったが、紗羅は逆に、明里にふんわりと微笑みかけた。



「ありがとう、黒澤さん。今ちょうど、探してて」

「ふうん、そう?」



 明里は、キツいがきれいな顔立ちだった。眉の線も、鼻の筋も、性格も、全てがはっきりとしている。紗羅は密かに、そんな明里に憧れていた。


 しかし明里は、紗羅を軽蔑的に見た。



「今少し聞いたけれど、宮田さん、全部人に任せるの。意気地なしって感じ。プリントくらい自分で渡しなさいよ。そんなのわけないでしょ」



 紗羅は、自分の心に、ぐさっと何かが刺さったのを感じた。明里はそのまま、短いスカートを翻して、二人から離れていく。美里は、怒りのあまり拳をプルプル震えさせていた。



「なんだよ、あいつーっ。許せない、てかイラっとする! 勝手に横から口出ししやがって」

「でも、事実だし。やっぱり私って、意気地なしなのかな」

「そんなことないそんなことない!」美里は、明るくころころと笑い、手を振った。「あんま気に病むなって。どうせあいつの嫌味だから。知ってた? あの女王様も、内藤が好きなんだって噂」

「『も』って何?」



 紗羅が憤慨しながら聞くと、美里はさらに笑った。



「あ、あーっ、そうだったそうだった! そうか、秘密だった秘密だった。あははっ」

「……」

「てことでさ、まあ、これも自分で渡しなよ」



 美里がプリントファイルを指差す。



「やっぱり、わたしが渡すのっておかしいもん。絶対、紗羅が渡したほうがいい。その件では、わたしと明里女王様の意見は一致してるね」

「……でも、」

「『でも』も何もあるかいっ。いーから行きなさい! ほら!」



 紗羅は、しぶしぶ、プリントファイルを手に取った。そこから、ある一枚のプリントを抜き出す。それは、学習委員である内藤に、紗羅が渡さなければならない、お知らせのプリントだった。紗羅は、もう一人の学習委員なのだった。



「でも、私……」

「ほら、早く! ウジウジしないでさ。大体、学習委員会議があったのっていつ? 内藤も、そろそろかなって思ってるよ」

「で、でも……」

「早くしなって!」



 甲高く笑う美里に背を押されて、紗羅は、内藤の席へとひた走った。けれど内藤は他の男子に囲まれていて、とてもではないが、紗羅が話しかけることはできなかった。


 内藤は、切長の瞳の、なかなかいいフェイスの男だった。クラスの女子たちが、「内藤ってイケメンだよね〜っ」と騒ぐタイプだ。それに、数学命のような見た目の割に、言うことが面白く、男女関係なく人気がある。


 紗羅にとって、内藤に話しかけることはほとんど拷問だった。



(やっぱり、私には無理だ!)



 紗羅は、しょんぼりと肩を落としながら、美里のもとに戻ろうとした。しかし、キャアッと騒ぎがあった後、美里は大きなシャボン玉の中に入れられて、空に打ち上がっていた。なんてこった、いつの間にか教室の天井も破壊されている。



「え、えええっ?」



 紗羅は困惑した。どういうことだ。今までこんなことはなかったはずだ。


 向かいの校舎の屋上に、大きなシャボン玉用吹き棒を持った変質者が、ドヤ顔で立っていた。紗羅は思わず、頭のカチューシャに手をやった。



(もしかしてこれが、悪い者?)



 教室の中は、人でごった返している。誰もがあの変質者から逃れたくて、必死のようだった。机が倒れて、人も倒れて、それでも進んで。


 あまりの騒ぎに、紗羅は目が回りそうだった。頭がクラクラとして、なんだか頭痛もしてくる。



(……いや、)



 紗羅は思った。頭が痛いのは、カチューシャに頭を締め付けられているからだった。まるで、そう、早くしろとでも言っているようだ。



「ううっ、痛い! 痛い、痛い!」



 紗羅は涙目でのたうち回った。いつの間にか、教室の中は空っぽになっていた。みんな逃げたのだ。私も逃げなくては、と紗羅はなんとか立ち上がり、そして気がついた。



「そうだ、私……スーパーヒーローだった」



 始まりの言葉ってなんだっけ? そう、確か……。


 紗羅はよく考えずに、思いついたまま叫んだ。



「ハンター・ショー・アップ! 変身‼︎」



 紗羅は、カチューシャから出てきたキラキラに包まれた。足元から指の先まで、一気に魔法のようなものが染み渡る。紗羅は、あっという間にあのカードの中の狩人の姿になった。ひとつだけ違うことは、顔に、まるで鳥のような革製のマスクをつけていることだった。



「わあ、何これ、すごい!」



 思わず言ってから、紗羅はうめいた。自分の声の質が、変わっていたのだ。高い声には違いないが、そう……どちらかというと、声変わり前の男子の高さなのだ。ボーイソプラノと言うべきか。紗羅はかなり困惑した。



「えっと、私、どうすれば……」

『やあ、こんにちは。初めまして』

「きゃあっ⁉︎」



 急に頭の中に声が響き、紗羅は悲鳴をあげた。すると、その声は、不満そうに言った。



『ぼくの姿で、「きゃあ」なんて言わないでほしいな。ぼくは、ハンター、狩人だよ。きみをスーパーヒーローにしているのは、このぼくさ。さ、さっさと悪者をやっつけてくれ。その方法はわかるよね?』

「わからないに決まってる」



 紗羅は、ぎりっと奥歯を噛み締めて、その後、パッと自分の口に手をやった。こんなこと、今までしたことなかったのに。すると、ハンターはころころと愉快そうに笑った。



『いいね、ぼくらしくなってる。そんなふうに、きみが自分で行動するんだ。さあ、悪者のところに行って。……そうだ、パートナーを見つけたほうがいいかもな。プリンセスなんてどうだい?』

「はぁ?」



 叫ぶ紗羅の隣に、ストンと、すらっとした人影が飛び降りてきた。その人影は、繊細なティアラを頭に飾り、過度に華美でない、動きやすそうな美しいドレスを身に纏っていた。そしてその顔は、どこぞのアイドルにも引けを取らないほどの美少女だった。ふわふわの金色の巻き毛が、肩の上で跳ねている。


 その少女は、かわいらしい目の運び方をした。



「初めまして。あなたは新入りさんかしら? わたしもスーパーヒーローよ。プリンセスの力を借りているの。名前は、ナイト・プリンセス。あなたは?」

「へえ、夜のお姫様か。いいね、夜姫よるひめと呼んでもいい?」



 紗羅は、スラスラと言ってのけた。夜姫は、ため息をついてから、頷いた。



「構わないことよ。それで、あなたの名前は?」

「えっと……」

『シャサーラとかいいんじゃない?』

「……シャサーラだ。ハンターの力を借りている」

「シャサーラね。いい名前。さて、これが初仕事?」



 夜姫は、ストレッチをしながら、上目遣いに言った。紗羅改めシャサーラは、大きく自慢げに頷いた。



「そうだよ、きみは?」

「わたしは何回かしたことがあるの。では、わたしについてきて」



 そう言ったかと思うと、夜姫は俊敏な動きで、穴の空いた天井から、校舎の外に出た。その動きがあまりにも美しく洗練されていて、鮮やかなものだったので、シャサーラは思わず見惚れた。



『わーお、彼女ビューティフルだね』

「そうだね……」



 そう言ってしまってから、シャサーラはハッとして、頬を叩いた。



「危なっ、今ぼくはシャサーラ! よし、今行くぞ、夜姫ちゃん!」

『ウゲーッ、その呼び方はないよ』



 シャサーラはハンターの声を無視して、机の上に乗り、覚束ない手つきで、上に登った。屋上では、夜姫が呆れたような様子で待っていた。



「鈍臭いわねー、ぴょんとジャンプすればいいでしょう」

「待っといてくれたのかい?」

「ちょっと、新入りのくせに馴れ馴れしくしないでちょうだい。さあ、作戦を立てるわよ。あの悪者を、一体どうする?」



 シャサーラは、向かいの屋上の変質者を見やり、頭を掻いた。



「さっぱり思いつかんな」

「あなたは新入りだもの、仕方ないわ」思いがけず優しい口調で言ってから、夜姫は考え込むような顔になった。そして、シャサーラに聞いた。「あなたはどんな能力があるの?」



 シャサーラは、肩をすくめた。



「さあね」

「でもあなた、ハンターなんでしょう。弓も持っているし、使えるんじゃない?」

「そうかもしれない。でもぼく、弓なんか使えないよ」



 抗議するように言うと、夜姫は、シャサーラの鼻を、ツンと叩いた。



「そりゃ、変身前のあなたは無理かもしれないけど、今のあなたはスーパーヒーローよ。きっとできるわ。それ以外には、何かないの?」



 シャサーラは、今度は自分の服装を眺めてみた。いかにもハンターらしい服装である。緑のマントに羽のついた帽子。そしてこれは……角笛?

「なんだろう、これ」



 シャサーラが角笛を摘み上げて見せると、夜姫の表情は、明るくなった。



「きっと、何かの能力ね。でもまだ吹かないで。効果がわからないし」

「きみの能力はなんなの?」



 すると夜姫は、長い睫毛を伏せた。その青い瞳に、この上ない悲しみを宿す。



「わたしはプリンセスだから、戦う系の能力はないの。ただ……」



 するとその時、屋上のシャボン玉変質者が、急に叫び出した。



「ヒャッハーッ、人どもが空に打ち上がって行くぜぃ!」



 夜姫は、サッと青ざめた。



「それはいけない! 宇宙に行ってしまったら取り返しがつかないわ! さあ、シャサーラ、弓を使って。シャボン玉を割って!」

「でも、そんなことをしたら……」

「いいから、お願いだからっ」



 夜姫は、シャサーラの胸にしがみつき、そう喘いだ。シャサーラは、夜姫の美しい髪が、流れるように揺れるのを見ながら、頷いた。



「きみの望みなら叶えるよ、プリンセス」



 シャサーラは、背中から矢をとり、弓の弦を引いた。弓をしたことなどしたことがないが、なぜかシャサーラは、できるような気がした。


 ヒュンッ。


 矢が、凄まじい速さと轟音で、シャボン玉を割っていく。ひとつだけでなく、軌道を変えて、すべてのシャボン玉を。



「うわああああああああ」

「いやぁぁぁぁぁぁ」

「ひええええええええええ」



 シャボン玉に捕えられていた人たちが、支えを失い、一気に落ちていく。あと数秒後には、頭が潰れ、腕が折れ、足が変な方向に曲がってしまう人たちが出てくるだろうと、シャサーラは少し羨ましく思った。しかし、そうはならなかった。夜姫が、彼女の力を発揮したのだ。


 夜姫は、いかにも清らかな、神々しい光に纏われていた。胸の前で両手を合わせ、金髪が逆立っていく。



「〈この世のものたちよ。姫たる我が命ずる。全てを、あるべき所へ〉」



 夜姫は、光を手のひらの上に集め、そこに、ふうっと息を吐いた。光はクルクルと螺旋を描き、落下していく人々を包む。すると、落下の勢いは穏やかになり、人々は、緩やかに運動場に着地することができた。


 シャサーラは、感嘆するように、夜姫を見た。



「きみ、すごいね。これなら、校舎も直せるんじゃない?」



 その言葉を聞いて、夜姫はハッとして、散々な目に遭った校舎を見やった。そして、慌てたように、両手を組み合わせる。



「どうしましょう……校舎までは考えていなかったわ。この力は、変身したら一回限りなのに……」

「じゃ、また変身し直すといいよ。ほら、隠れて隠れて」



 夜姫は、押されるがまま、進んでいたが、しかし、弱ったように首を横に振った。



「いいえ、それはいけないの。だって、わたしの変身前の人は、できることならわたしに変身したくないみたいなんですもの。だから、戻ってしまえば、もう二度と変身できないわ」

「でもさあ」



 シャサーラが何かを言いかけると、ハンターの声が、彼の頭の中に響いた。



『一体何をしているんだよ、シャサーラ? まだ悪者は倒しきれていないよ。早くしてくれ』

「なんだって? 夜姫ちゃん、まだ悪者を倒しきれていないって本当かい?」



 夜姫は、ゆっくりと頷き、そして、凛としたように顔を上げた。



「そうよ。だからまだ変身を解くことはできないわ。さあ、あちらに行きましょう、シャサーラ。ダッシュよ」



 二人は、これ以上ないほどの速度で走った。そして、吐く息も荒く屋上に駆け込んだ時には、また、例の惨状に戻っていた。



「きゃあああああ」

「誰か助けてえ」



 生徒や先生がシャボン玉の中に入っているのを見て、シャサーラは、参ったとばかりに肩をすくめた。



「こりゃいかんな。状況が戻ってしまった」

「そうね、申し訳ないことをしたわ」



 シャボン玉男は、また、「ヒャッハーッ」と笑った。笑い方まで変質者である。



「お前らがスーパーヒーローかぁ! この街は俺のもんだ! 早いとこずらかりなぁ‼︎」



 シャサーラは、どこか醒めた顔つきだった。



「こいつ……終いにゃ家もシャボン玉で包むつもりか?」

「そうしたら、火星移住も夢じゃないわね!」



 軽口を叩いてから、夜姫は、シャボン玉男をハタと睨んだ。



「早いところやっつけてしまいたいけど、どうすればいいのか、検討もつかないわ! あなたは?」

「さあ、ぼくもよくわからないな。何せもともと頭脳派じゃないし」

「あら、わたしはもともとそうなんだけど……プリンセスになると、どうも弱くなっちゃうみたいなの。ああ、どうしましょ!」



 ふとシャサーラは、今なら何をやっても構わないんじゃないか、と狂った思考に走った。なぜだか今この世界は、なんでもありのトンデモ世界な気がしてきたのだ。



「角笛を吹いてみるよ」

「ええ? でも、その笛は」

「そうだね、効果がわからない。でも、やらないよりマシだ。ところで、どうなったらあいつを倒したことになるの?」

「あいつの口から花火が打ち上がったら、わたしたちの勝ちよ!」

「どういう負け方だよ……」



 シャサーラは、呆れつつも、鹿の見た目を模した角笛を吹いた。ピューッと、空に突き抜けるような、高い音が響き渡る。すると、どこからともなく足音が聞こえて、砂埃と共に、猟犬の群れがやってきた。


 夜姫は、ヒュウッと口笛を吹いた。



「まあ、すごい! こういうことなら、さっさとやって貰えばよかったわ。この子達は、あなたの言うことを聞くの?」


 シャサーラは、少し考えてから、答えた。「どうもそうらしい。しかし、一体どうすればいいんだろう?」


「さあ、それはわからないけれど。とりあえず、あのシャボン玉のお方を襲わせたらどう? そのために来たんじゃないのかしら」

「どうだろう、それは楽観的すぎるような……」


『いいから早くしたほうがいい! 紗羅に戻れなくなるぞ!』

「そりゃいかん!」



 シャサーラは思わず口走り、猟犬の群れに向かって、また角笛を吹いた。群れはシャボン玉男に向かって駆け出していく。


 猟犬は、男に襲いかかる……かと思いきや、あろうことかペロペロペロペロと、その男のあちこちを舐め始めたのだ! 男は、あまりにくすぐったいので、ウヒャヒャヒャヒャと、笑い転げ始めた。ヒャッハーッ、ではなかった。

 シャサーラと夜姫が飽き始めてきた五分後、不意にシャボン玉男は、ヘップションッ、とくしゃみをした。すると、その口から、火花を散らして何かが出てきた。その何かは、ヒューッと打ち上がって、青々とした空に、ドカーンと大きく花開いた。きれいな花火だった。



「花火……? てことは……」



 夜姫は、シャサーラに抱きつき、頬にキスをした。



「よくやったわ、わたしたちの勝ちよ! では、また会うことがないように、シャサーラ!」



 夜姫は、力強い動きで、屋上から飛び降りていった。シャサーラは慌てて追いかけて、柵に手をかけてその姿を探したが、夜姫は神隠しにあったかのように消え失せていた。もしくは、変身前に戻ったのかもしれない。シャサーラも、ハンターからの声がうるさかったので、うんざりとしながらも、叫ぶことにした。



「ハンター・ゴー・アウェイ!」



 するとシャサーラは、一気に自分の体から魔法が抜けていくのを感じた。そして、何もかもがすべて紗羅に戻った時に、彼女は、木製のカチューシャに手をやりながら、ため息をついた。



(とんだ茶番だった……)



 それに、校舎は元に戻っていない。夜姫はどうするのだろうと考えながら、紗羅は、彼女について思いを馳せていた。



(夜姫ちゃんは、すごくパワフルで、こちらが逆らえない『何か』を持っていた……私も、そうなれたらいいのに)



 紗羅は、ぼやけた足取りで、屋上から出た。瓦礫の量が多く、歩きづらい。



(でも、シャサーラも、軽い感じだったけど、勇敢だったよね。ああそれに、木に登ればよかった。やっと夢が叶えられるかと思ったのに)



 よくわからないが、シャサーラになった紗羅は、男の子になっていた。色々と考えながら教室に戻ると、クラスメイトは、ほとんど戻ってきていなかった。しかし、内藤だけが、自分の席に腰をかけ、半壊した窓の向こうの山を見上げていた。



「あっ、内藤、くん……」



 内藤が紗羅に振り返る。彼の顔に、爽やかな笑みが浮かんだ。



「ああ、宮田さん。宮田さんが二番手だったね。大丈夫だった?」

「う、うん、なんとか……」



 紗羅はぎこちない笑みを浮かべながら、自分の席に向かった。しかし、椅子の脚は折れて、机は木っ端微塵になっていた。紗羅の顔が引き攣った。



「まさか、こんなことになるなんて思わなかったよね。被害は、どう? おれはそんなにないけど」

「……かなりひどい、かも」

「そっか。そういえば、この前の委員会って、どうなったの?」



 聞かれて、紗羅はキョトンとした。そしてその後、ぶっと吹き出した。まさか冗談だろう、このタイミングで。プリントファイルだって見当たらない。それに彼の背景では、壁がほとんど崩れかかっている。


 散々笑ってから、紗羅は、不思議そうな顔をした内藤を見上げた。



「なんでそんなに笑うんだよ」

「だって、おかしくて。学校、こんなになってるのに」

「まあそうだけどね。ヒーローがどうかしてくれるだろ。で、会議はどうなったの?」



 ヒーローと聞いてドキリとしたことも忘れて、紗羅は、恥ずかしそうに目を伏せた。



「プリントを入れておいたファイルが、無くなっちゃって……」

「覚えてないの?」

「覚えてはいるけど」

「じゃ、教えてよ。どんな議題だった?」



 会議のことをこと細やかに話しながらも、紗羅は、おかしくてたまらなかった。校舎は崩れていて、クラスメイトは死ぬほど怖い目に遭っていて、なのに私たちは……。


 話し終えると、紗羅は、また大きな声で笑った。それは、やっとの思いで戻ってきたクラスメイトにも伝染した。


 全て過ぎ去ってしまえば、それは笑い話に過ぎないのだ。何もかも、どんなことさえも、視点の角度を変えることさえできれば。


 しかし、工事の費用を伝え聞いて、笑い続けることができた者は、誰もいなかった。

ノリで書いたけどなんか微妙。

ノリって大事!うん!

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